十二

 深い穴に落ちていく。

 アカネは夢の中にいた。身体の奥深くをなぞられる不快な感触がする。

 もう落ち始めて随分が経つが、穴の底には辿りつかない。

 ――あなたはただ、私に従っていればそれでいいんですよ。

 誰かの声が聞こえる。柔らかく、抗いがたい、そんな声だった。

 ――そうです、もう少しだけ身を委ねてください。

 その声に導かれるように、アカネは目を覚ました。

 頭の中がガンガンと痛む。少し具合がよくないが、任務を実行する必要がある。

 ――わたしの動きひとつで誰かが死ぬかもしれない。

 そう思った途端、アカネは一瞬だけクリアな世界を取り戻しかけた。

 だが、少しすると靄がかかったような感触がアカネを包んでしまう。

 それでも、作戦は待ってはくれなかった。

 アカネは手早く支度をして、集合場所へ急いだ。


 ユキナは目を疑った。

 アカネの身体の動きが、明らかに鈍い。しかも、このことに気がついているのはどうやら自分だけらしく、普段接触のない第二部隊はもちろん、第一部隊の面々ですら、アカネの様子がおかしいことに気づかない。

 ――本当に私しか気づいてないの?

 ユキナの目には、明らかにアカネの動きが鈍く、また、普段の機微が消えているように感じているのだが、他の部隊員たちはそれを気にする様子がない。これほど明らかな差なのに、気がついているのはユキナだけなのだ。

 ――とはいえ、私から「どうしました?」って訊くのは、やっぱり失礼だよな……。

 しかし、アカネの体調悪化は、実質的に部隊戦力の大幅な低下と、それに伴うユキナの圧倒的負担増に繋がってしまう。

 ――実際、体調悪いって言われても作戦をやめられるわけじゃないし、私が支援しきるしか生き残る道がないのか……。

 ユキナは既に気づいていた。この作戦がそもそもかなりの無理筋であり、結果的にこの作戦によって、残存戦力に自分が残れるかどうかすら怪しいほど、戦力の大幅な損耗が起きることを。

 そして、おそらくはそれこそが、アケチ中将の本当の目的である可能性を。

 ――どっちにしろ、部隊長が途中で死ねば、私も死ぬし、みんな死ぬだけ。何が何でも部隊長を生かさないと、生き残る道はない。

 ユキナは徐々に決意を固めていく。臆病ではあるが頑固でもあるユキナは、こうして自分の中で少しずつ決意を固め、それが様々な場面でかれの生存を助けてきていた。

 実は今回も、結局はその性格に大いに助けられることとなるのだが、その顛末をまだかれは知らない。


 【東南連絡坑シン・アクア・ライン】を三十名程度の【V】が駆け抜けていく。統制の取れた低空飛行からは、まるで飛行音が聞こえてくるかのようだが、実際かれらは大きさに似合わずかなり小さな音しかさせないので、これだけの数が飛んでいても、電気モーター自動車と同じくらいの音しか聞こえない。そのため、敵――【竜】の軍勢側が異変に気付くのは、追い風に乗ったかれらの匂いによって、が第一となる。言語を話すことのできないかれらのことばを聞くのが、【東南連絡坑中継基地シン・アクア・ミッドポイント】こと〈ウミホタル〉に配置されたアリシア・ジョンソンの役割であった。

「来たか。慌てるな。こちらの入り口に張り付いて、一度に大量の【やつら】が入り込まないようにするんだ。数、戦力どちらもさほど差がない。落ち着いて戦えば、地の利はこちらにある」

 【ドラゴン】たちは人語を話すことはできないが、聞くことはできるので、アリシアの言葉にも耳を傾けられる。

 〈脱獄ジェイルブレイク〉を行い、【竜】と人間の状態を行き来できる者のうち、セリナだけはなぜか【竜】のことばがわからなかった。もちろん、態度などからある程度のことは察されたが、アリシアやエレナほど【竜】たちと細かくコミュニケーションをとることができなかったのである。サキの力を借りていないアリシアでも、【竜】の言葉はわかっているし、サキ自身もある程度【竜】の言葉を察することができることから、セリナだけがたまたま、コミュニケーションが難しい状態であると一味の中では結論付けていた。

 いずれにしても、〈ウミホタル〉の将はアリシアであり、かれについた【竜】の軍勢は、くしくも【V】の合同部隊と同規模であった。

「敵が見えたぞ! かつての同胞だ! 人類滅亡の片棒を担がされている! 楽にしてやれ!」

 アリシアは声を張り上げ、【竜】に変身した。


「見敵しました! 交戦状態に入ります!」

 アカネが声を張り上げ、合同部隊の全員がめいめいの得物を取り出した。

「敵影に【雷光竜トール】を確認! 交戦は避けられません! 討伐します!」

 アカネは速度を急速に上げる。

 ユキナは再び、目を疑った。

 ――群れから突出しようとしている!

 ユキナは思わず追随する。

 立ち向かってきた【竜段レベル4】の二体の竜を、アカネは何事もなく斬り裂いて進む。ユキナも向かってくる【竜段3】の目にボウガンを撃ち込み、後続にとどめを譲った。

 群体での戦いにおいて、ユキナは決定打を与えこそしないものの、敵の主戦力を大幅に減衰させ、後続の者にとどめを譲る戦法で先へ進む。無論、アカネは斬り込み隊長として先陣を切って敵を〈神速シンソク〉で斬り伏せる。このため第一部隊はこういった突撃陣形を非常に得意としており、そういった意味でいえば、アリシアが選択した坑内での乱戦は、ミツキとジヨンを主戦力とし残りは完全支援と化す第二部隊だけが相手ならまだしも、この作戦上においては完全に不利をとってしまう愚策であった。

 加えて、アカネは一直線に【雷光竜トール】と化したアリシアへ飛んだ。これはアリシアにとって想定外の出来事であり、アリシアの部隊はこれにより致命的な打撃を受けることとなった。

 アカネの初撃の〈神速〉を間一髪で躱し、アリシアはアカネに両腕の爪を振り下ろす。

 すいっ、とアカネは円を描くように動いてこれを回避した。

 ――やっぱり調子がよくない。

 ユキナはアカネの異変を確定的なものとみていた。本来のアカネであれば、最小限、身の捻りだけでこれを躱し、返す刀でどちらかの腕は両断していたはずだった。ユキナから見て、アカネはかなりの不調に見えた。ここまで雑な動きはほとんど、見たことすらない。

 しかし、それでもなお【竜段5】の強大な【竜】にほぼ単体で挑み、傷ひとつつく気配のないアカネは異様な強さであったし、それ故にかれの不調に気づいていたのは、やはりユキナだけであった。

 【雷光竜】は翼をはためかせ猛烈な速度でアカネから逃げようとする。

 ユキナは弩に矢をつがえ、【雷光竜】めがけて放った。

 放たれた矢は翼を撃ち抜き、【雷光竜】の目元に突き刺さった。

 ――こいつら、強すぎる。いつの間にここまで――

 目の前に迫り、幅広の両刃剣クレイモアを上段に掲げたアカネを見つめ、【雷光竜】となったアリシアは焦りと驚きを浮かべた。

 次の瞬間、アカネは【雷光竜】の首を両断し、〈ウミホタル〉の内部へその身体を思いっきり蹴って押し込んだ。その橙色の身体は〈ウミホタル〉の擁壁にぶつかり、少しめり込んだ。

 アカネが【雷光竜トール】の身体を、坑内から無理矢理〈ウミホタル〉へ押し込んだのは、【竜段レベル5】でも上位となるほどの強大さを持つ竜の身体によって坑内を大きく埋めてしまうおそれがあるためである。実際、その身体が坑内に横たわると、少なくとも車両の通行ができないほどの支障となってしまうところだった。

 将を失った【竜】の軍勢は、一瞬でその士気を失った。もっとも、【雷光竜】が倒れた段階で生き残っている【竜】の全てがユキナかほかの部隊員により攻撃を加えられている手負いであった。【竜】たちが全滅するまでにそう時間はかからず、〈ウミホタル〉はこうしてあっけなく陥落した。


「この調子で【旧東東京詰所オールド・イースト・トウキョウ・ステーション】まで一気に詰め上り、制圧に向かいましょう!」

 一旦集合した合同部隊にどよめきが起こった。

 今しがた戦闘が終了し、せっかく〈ウミホタル〉を制圧し、一度態勢を立て直してから、という雰囲気であったので、ほとんどの者はアカネの常軌を逸した命令を素直に受け止められなかった。

 ――なんてことを。

 ユキナは気が気ではなかった。下手をすれば部隊内の統制が取れなくなってしまう。

「部隊長、さすがに少し休憩を入れた方がいいのではありませんか?」

 おそるおそる、ユキナは提案した。

「いえ、この流れで【旧東東京詰所】を落とした方がいいと思います」

 アカネは立ち上がり、強引に進んでいこうとした。

「待ってください! 無茶ですよ! みなさん今ようやく安心できるところだったのに!」

 ユキナはたまりかねてアカネの肩をつかんだ。

 もう限界だった。いくらアカネの体調が悪かろうと、ユキナはこれ以上アカネに振り回されるのは我慢できなかった。

「〈ウミホタル〉が陥落したことを【旧東東京詰所】が知ったら、〈部隊長シストゥラ〉が出てくる。その前にわたしたちは【旧東東京詰所】にたどり着かないと、この人員での突破は不可能だよ。〈部隊長シストゥラ〉は、ものすごく強いんだから」

 アカネの言葉はとても空虚に響いた。

「私たち以外の、ここにいる【みなさん】は! ここから先に踏み込んだことが! 多くても一度きりだけの方々なんですよ! 今ここで態勢を整えないと、どちらにしても制圧は難しいですし、そもそも【日輪竜トゥルヌソル】が出てきてまともに戦えるのはおそらくこの中で部隊長だけです! 部隊長だって調子が良くないじゃないですか! だから今休んでください!」

 ユキナの猛烈な剣幕に押され、アカネは釈然としない顔をした。

「――わかりました。暫時休憩し、【旧東東京詰所オールド・イースト・トウキョウ・ステーション】へ向かいます」

 アカネの力のない声が、〈ウミホタル〉に空虚に響いた。

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