十九

 セリナに疲労が蓄積し始めた。

 【選ばれなかった者アンコレクテッド】たちは、集団として統制がとれていないながら、それぞれが少しずつ人間と異なる形をしており、多様な戦闘方法を持っていた。セリナは他のふたりよりも圧倒的に得物の有効範囲リーチが短いため、このような乱戦で広範囲の攻撃を行うことができず、敵の数を減らすことが困難で防戦に回るのが常であった。唯一優位を取れる空中は、あとからあとから登場する新手により封じられていた。

 ハルカは猛烈な勢いで急所に剣を入れ敵を刻んでいくし、ミツキは取り囲まれても鉞を一閃させて複数の敵を一気に両断していく。かれらと比べてセリナは劣勢にあった。

 くそ、やっぱりダメか。

 敵も数が減り、残っているのは身体が大きく、明らかに人の形をとどめていないものたちだった。象ほどの大きさに拡大された【選ばれなかった者アンコレクテッド】がセリナの前に立ちはだかった。かれの胴ほどもある腕で全力の殴打を受け、セリナは吹き飛ばされた。

「畜生……」

 この状況を打開するには、アレしかない。

 セリナはここで、究極の方法を取ることを決心した。

「ハルカ、すまない……」


 時は、セリナがハルカの自室に呼び出された頃に遡る。


 ハルカはこう言っていた。

「不思議なことに【耐竜装フォース】にはそんな仕様はないはずだが、生き物としての都合なのか、僕たち【V】は、誰かを支配したい、殺めたい、ものにしたいという欲求・衝動を抱くほど【耐竜装】が消耗し、【ドラゴン】へと近づいていく。継戦能力が高い【V】ほど早く死に、場合によっては【竜】になるのはそのためだ。現に、この【詰所ステーション】の中で、廿にじゅう期代で生き残っているのはフミコと僕らだけ、さんじゅう期代では第五部隊長のキクチ・サキ軍曹だけだ。しかもキクチは元々工兵で、【詰所】のインフラ整備の専門知識をたまたま持っていた状態でずっと第五部隊にいるからほとんど実戦では戦績がない。

 ――セリナ、だから君は【耐竜装】が少なくとも他の【V】より脆く、より【竜】に変化しやすいと言っていい。理由はわざわざ言わないけど、わかるだろう?」

 セリナは気まずそうにうなずいた。

「これからの激しい戦いの中で意識しておく必要があるから、これだけは覚えておいてくれ。実は、【耐竜装】には人間へと縛り付けている精神を解放し、【竜】へ即座に変化させるコマンドがある。【志願者ナチュラル】と【純粋兵コレクテッド】でその機序が異なるから別の名がついているが、やっていることは同じだ。【志願者ぼくら】の場合は、これを【覚醒コラプション】という。

 ――それは、【V】に【耐竜装フォース】が実装される前から存在した、【V】を自らの意思で急速に【ドラゴン】へと変化させる現象から引用している。【志願者ナチュラル】特有の感情の昂ぶりにより自らの内なる【竜】を呼び覚ますことで、【覚醒コラプション】は発生する。当然、【覚醒コラプション】によって【竜】となれば【V】に戻ることはかなわず、人としての意識は消滅する。ちなみに、【純粋兵】の場合はもっと簡単で、【耐竜装】のコマンドを自らハッキングするだけで同じ現象を引き起こす。感情が植え付けられたものプリセットしかないから、冷静に判断してスイッチを切れるようにしてある。しかも厄介なことに、必ずしも【竜】の身体にはならない。だから僕はこれを【解放リボーン】と呼ぶことにした。【解放】した【純粋兵】は初めて起こる自らの強烈な破壊衝動を処理できず極端な行動をとりやすいから、瞳が輝いた【純粋兵】には近づかない方がいい。

 ――君はおそらく、これを意識しないと勝手に【覚醒コラプション】を引き起こしそうだから、ここで先に説明しておく。つまり、どんなに厳しい状況でも、これを引き起こしそうになったら、一度冷静になってくれ。【竜】になったら最後、僕は君を殺すしかなくなってしまうから。それは絶対に避けたいんだ」



 セリナの異変に先に気づいたのは、ミツキだった。

「セリナさま、身体が……」

 セリナの四肢が猛烈な勢いで鱗に包まれ、指の先が尖っていく。

 

 たべたい。

 

 セリナは身体の中の「なにか」が声を発した事に気づいた。

 

 にくたべたい。

 

 たべたい。

 たべたい。

 ひと。たべたい。

 ひとひとひとひとひとひとひとひとひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいたすけてひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいたすけにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいにくたべたいたべたいたすけてたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいにくたべにくたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいにくたべたいひとたべたいひとたべたいひとたべたいにくたべたいにく

 セリナは自分の行動を後悔する余裕もなくその奔流に飲まれていく。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 脳天に強い衝撃を受け、セリナは昏倒し、意識を失った。



 無数とも思え、単調な動きに終始していた【選ばれなかった者アンコレクテッド】たちに微妙な変化が出てきていることを、ミツキは感じ取った。これまでまさかりを振り回してさえいれば勝手に死んでいくほど弱かったかれらが、徐々にミツキの鉞を避け、その隙を縫うように得物を差し入れてくるようになった。

 辺りに目を向けると、人の姿に近いような【選ばれなかった者アンコレクテッド】たちはそのほとんどが既に死体と化していて、残っているのは、明らかに異形のもの――例えば、他の生物と合成されているような、明らかに人の姿を模していないものばかりだった。

 ミツキは思わずセリナを見遣る。

 セリナは、象に似た、巨大な【選ばれなかった者アンコレクテッド】に殴打され、吹き飛ばされたところだった。

 壁にたたきつけられ、かなりの量の血を吐いたセリナの瞳が爛々と輝いていることに、ミツキは非常に嫌な予感がした。直後、セリナの身体が四肢の端から猛烈な勢いで濃い緑色の鱗に浸食され始めた。

「セリナさま、身体が……」

 その言葉とともに、ミツキの視界の端で何かが動いた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 セリナの絶叫とその人影がほぼ同時に動いた。次の瞬間、ハルカがセリナの脳天に跳び蹴りを入れ、セリナを昏倒させた。

「馬鹿野郎!」

 ハルカは蹴り倒したその脚で、セリナを吹き飛ばした巨大な【選ばれなかった者アンコレクテッド】の鼻を蹴り、頭上に飛び上がってまっすぐ長剣を振り下ろし、一気に縦に両断した。

 残っているのは、豹に似て俊敏な動きをするものと、蛸のように八本の脚を自在に操るものの二体だった。

「こいつら……【混合兵キメラ】か」

 ハルカが吐き捨てるように言った。

 ミツキは一瞬考え、鉞を豹の方へ投げ放つ。鉞はくるくると縦に回転し、豹の脳天に突き刺さった。次の瞬間、ハルカが蛸の脳天に長剣を突き刺し、両断した。

 周囲に敵がいなくなったことを確認すると、ハルカとミツキはセリナのもとへ駆け寄る。

「セリナさまは……?」

「おそらく自分の力だけではどうにもならない、とか思って、【覚醒コラプション】を試したんだろう。あれだけやるなって言ったのに、本当に馬鹿な奴だ」

 ハルカの声は明らかな怒りを含んでいた。

「【覚醒コラプション】とは、一体?」

「簡単に言うと、【志願者ナチュラル】だけに使える裏技で、一瞬で【竜】になる技だ。僕が説明しなくても勝手にやりそうだったから、そういう技があって、君は説明しないと勝手にやりかねないって言ったのに、やろうとしたから無理矢理意識を飛ばして止めた」

 ハルカは冷静に、ミツキに必要となる部分だけを説明した。ミツキが【解放リボーン】に興味を持てば、強すぎる好奇心の前に「手遅れ」となりかねないからだ。

「なるほど」

「ミツキ、君が声をかけてくれて助かった。あと少しでも遅れていたら、僕らはセリナを相手にしなければならなかった。それだけは絶対に避けたかったからね」

 ミツキは唾を飲み込んだ。

「こいつは昔から卑屈なんだよ。自分の持っている力を過小評価して、常人離れした潜在能力に気づかないばかりか、それに向き合おうともしない。愚かな、どこまでも愚かな奴だ。僕はセリナのそういうところが本当に嫌いだった。少なくとも僕が見ている限りずっとそうだった。いや、おそらく、死ぬまでずっとそうだ。そのくせ、目の前の欲望には抗えず、かといって奔放にもなれない。面倒くさくて愚かなんだ、こいつは。

 ――いっぺん訊きたかったことだけれど、ミツキ、君はこんな奴のどこに慕情を抱くんだい?」

 ハルカの表情は、その言葉とは乖離するように真剣だった。

 ミツキは少しの間考え、うなずいて話し始めた。

「私にもわからないんです。それも、知りたいことでもあります。

 ――今わかっていることをお話しますと、セリナさまって、こう――うまく言葉に出来ないですけれど、どこか、すごく、魅力的な人だと思いませんか? ハルカさんの仰ることも、確かに一理あるとは思います。私は【純粋兵コレクテッド】なので、性別で指向が異なることがあまり理解できません。それでも、もしセリナさまが男で、私が女だったのなら、きっと恋に落ちてしまっていたのだろうと思います。だから、どこが、と言われましても、ちょっと困ります。強いて言うなら、その人間的なところが、憧れなのかもしれません」

 ミツキの真摯な語りに、ハルカは恥ずかしそうな顔を見せた。

 それはミツキにとって意外でもあり、同時にあることを予感するまでに至った。

「そうか。わかったよ。

 ――さっき、君は僕のことを嫌いだったと言ったね」

「ええ」

 ミツキはうなずいた。

「実は、僕も君のことが嫌いだった。ろくに身体も扱えないのに褒めちぎられて調子に乗った新兵だから、だと思っていたが、どうやら別の理由だったらしい」

 でしょうね、とミツキは口に出そうとしてやめた。セリナ以上に、ハルカが屈折した人間であることをミツキも知ることになったからだ。

 ハルカは、一度息を整えて、続けた。

「今の君は、配属当時と比較して、見違えるほどに強い。その結果が、周りに眠っているかれらの数に現れている」

「ハルカさんが、嫌いでも私のことをきちんと訓練させてくれたからです」

「まあ、そうとも言うね。

 ――おそらく、この期が終わったら、君は伍長に昇格するはずだ。今、第一部隊で階級が伍長の【V】はいないから、君が昇格すれば、間違いなく副長になるだろう」

 ハルカは決然とした表情で言った。

 ミツキは、かれが一体何を言っているのかわからなかった。

「――セリナを、頼んだ」

 ハルカは、セリナの身体を持ち上げ、ミツキに引き渡した。

「待ってください。それって――」

「文字通りの意味さ。勘違いしないでくれ。それに、君も気がついているだろう?」

 ハルカは周りを見回し、ミツキに視線を送る。

「あ、やはり、そうですよね」

「ああ。レイは【選ばれなかった者アンコレクテッド】たちはだいたい二百体と言っていたが、僕が撃破した数はだいたい四十くらい、おそらく君も同じくらいで、セリナは多めに見ても廿いくかどうかくらいしか倒していない」

「残りの百体程度は、【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】へ向かったということでしょうか」

「おそらく。最悪なのは、【東北連絡坑シン・ジョウバン・ライン】を経由して、【詰所】になだれこんだ場合だ。この研究所は通信妨害ジャミングがかかっていて【耐竜装フォース】からの通信をキャッチできない」

「ここを出た途端、ペトローヴナ曹長の甲高い怒声が聞こえてきそうですね……」

 ミツキの言葉に、ハルカは苦笑した。

「そこで、君はセリナと、【東北連絡坑シン・ジョウバン・ライン】を経由して【東東京詰所】へ向かってくれ。僕の予想では、第三部隊が全力で討伐にあたっているとするなら、君ひとりでもどうにかなるはずだ。動くのは、セリナが目を覚ましてからでいい」

「――ハルカさんは、これからどちらへ向かうのです?」

「僕は、これからレイを追う。行き先は予想がついている。僕の予想が正しければ、どちらにせよレイは最終的に【東東京詰所】に襲来するはずだ。どうせ、決着はそこまでつかないだろう。

 ――いいかい、セリナが起きてきたらここまで話すんだ」

「つまり、ハルカさんはセリナさまを置いて、おひとりで【零式】――オガシラ・レイを【東東京詰所】まで追い詰める、ということですね?」

 ミツキはそう言いながら、先程の予感を確信へと変えた。その確信は、かつて、オリガが生前、セリナの態度から得たものと同じであった。

「そういうこと。あと、こんなところで【覚醒コラプション】しようとするような奴は、もうついてこなくていい、ってセリナに伝えてくれると大変ありがたい」

「――それは、セリナさまにもう一度お会いしたときに、ご自分の言葉でお伝えした方がいいと思います」

 ミツキはハルカの目をまっすぐ見た。

「それじゃあ遅いだろう」

 ハルカの目が一瞬泳いだのを、ミツキは見逃さなかった。

「そういう意味じゃなくて、ハルカさん、あなたが、セリナさまに、本当に言いたいことの話をしています」

「わかっているよ。だから、遅いと言っているんだ」

「どうしてですか? 気持ちに早いも遅いもないでしょう? これではセリナさまがあまりにも――」

 ミツキはハルカの表情を見て、先を続けるのをやめた。

「――もう、長くないんだ。僕は、既に【覚醒コラプション】している」

 ハルカの表情はそれほどまでに切迫していた。

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