第7章:世界の頂点へ

 ドバイの夜景を見下ろすVBL専用練習場。煌めく光の下、NOVAはひとりボールを突いていた。

 バーチャルの床に反響するドリブル音は、まるで心臓の鼓動のように速く、強く響く。


 「……そのリズム、悪くない」

 低い声が背後から響いた。振り返れば――イーグル。

 「アメリカの準決勝で見たよ。お前たちのチームワークは本物だ」


 NOVAは警戒するように汗を拭った。

 イーグルは続けた。

 「だが、次はアル=ナジールだ。奴らのアバターは……ただの人間じゃない。接触のたびにデータが書き換えられる。おそらく“リアルタイム・ニューラルハック”を仕込まれている」


 「ニューラルハック……?」

 遥は眉をひそめた。聞き慣れない単語に、頭の上に「?」が浮かんでいるのが見えるようだ。


 イーグルはため息をつき、早口で説明を続ける。

 「脳波同期のフィードバック経路を利用して、メンタルパラメータを書き換える。つまり、接触プレイが“感染トリガー”になり、思考レイテンシが増大するんだ」


 「……えっと、つまり……風邪みたいなもの?」

 「いや違う、もっとシステム的な――」

 「インフルエンザのバグ版?」

 「……いや、そういうレベルじゃ……」


 何度か噛み砕こうと試みるイーグルだったが、遥は首をかしげたまま。

 「うーん……“メンタルOSがクラッシュ”とか言われても……」


 さすがのイーグルも痺れを切らした。

 「……いいか、要するにだな。あいつらにベタベタ触られるな。それで戦え!」


 「……それ、最初からそう言ってよ!」


 遥の突っ込みに、イーグルは苦笑いを浮かべ、背を向けた。

 「……まったく。説明ってのは、難しいな」

 そうぼやきながら、闇の中に姿を消した。


 ◇ ◇ ◇


 ホテルの一室。日本代表4人はテーブルを囲んでいた。

 遥が緊張した面持ちで口を開く。


 「その……イーグルが言うにはね、えっと……“脳波同期のフィードバック経路を利用して、メンタルパラメータが書き換えられる”らしいの」


 「は?」

 「どゆこと?」

 「……おまえ、今プログラム会議してんのか?」


 Hare Showが即座に両手を挙げて降参ポーズ。

 QUEENも「まるで呪文ね」と眉をひそめる。

 唯一理解できそうなYUTAですら、顎に手を当て「まあ……分からんでもないけど」と歯切れが悪い。


 「ちょ、ちょっと! あたしだってよくわかんないよ!」遥は真っ赤になって声を上げた。

 「結論! 触られたらヤバい、ってこと!」


 「おお、そういうことか!」Hare Showが大げさに手を打つ。

 「最初からそれでいいじゃない」QUEENは呆れ顔。


 ようやく全員が理解(?)したところで、改めて作戦会議が始まった。


 「接触を避けるなんて、3×3じゃ無理ゲーだろ」Hare Showが肩を落とす。

 「でも、相手は人間+AIのハイブリッド。完璧なシンクロ率で来る。普通にやったら、間違いなく押し潰される」YUTAが冷静に言った。

 「じゃあ……スピードで翻弄するしかない」NOVAは強く言い切った。

 QUEENは腕を組み、頷いた。「そうね。私たちの強みは“自由さ”。奴らのプログラム通りには動けない」


 「そこで、俺から一つ、NOVAに提案がある」

 YUTAが、呟く……


 ◇ ◇ ◇


 決勝戦――アリーナは満員の観客で埋め尽くされていた。

 「ファイナルマッチ! 日本代表――対――アル=ナジール共和国代表!」


 コートに立った瞬間、会場がざわついた。

 NOVAのアバターが……

……リアルの遥に近い様相へと変わっていたのだ。


 「え……なんだそれ?ルール違反じゃないのか?」

観客席がざわめく。

 すぐにアナウンスが入った。

 「説明します。総パラメータ値の範囲内であれば、ゲームごとにパラメーターの再配分を行うことはルール上認められています」


 「――つまり、OKってことさ。」

 YUTAは胸を張って言った。


 対するアル=ナジールの4人。

 アバターは軍服のように統一され、全員の動きは完璧に同期している。まるで“ひとつのAI”が4人を同時に操作しているかのようだった。


 ゲーム開始。

 序盤は、NOVAたちがスピードで翻弄し、点を重ねる。

 しかしすぐにアル=ナジールが修正をかける。

 ウォッチャーのような分析速度、アンドレを超えるフィジカル、シルキー以上のシュート精度。

 「……不正ツール集団かよ」Hare Showが顔を引きつらせた。


 点差はじわじわと広がっていく。


 「このままじゃ勝てない……」

 NOVAの胸に焦りが募る。

 そのとき、YUTAが声を上げた。

 「覚悟を決めよう。多少の接触は、避けられない!」


 ◇ ◇ ◇


 接触を覚悟した瞬間、NOVAたちの動きは、水を得た魚のように、動きがよくなり、得点を重ねる。


……


 接触を許した瞬間――NOVAの頭に、ノイズが走った。

 まるで強制的に別のOSが上書きされるような、不快な感覚。

 「……くっ!」

 動きが遅れる。応答レイテンシが数百ミリ秒単位で伸びている。


 QUEENも顔を歪めた。「体が……重い……」

 Hare Showも膝をつきそうになる。「なんだこれ……頭ん中に変なパケットが流れてきて……」


 ――これはイーグルが言っていたデータ汚染。精神そのものに侵入してくる“マルウェア”だ。

そして点差は、再び広がり始め、敗北の色が濃厚となり始める。


……

……

……


 しかし、ただ一人、YUTAだけが、冷静に動いていた。

 「やっぱり……」彼は小さく呟く。


 過去の不正ツール事件のあと、JVBLが監視及び再犯防止も含めYUTAのIDに仕込んでいた――“アンチウィルス・パッチ”。

 それが、いま外部からの感染を弾いていたのだ。


 「みんな! 立て!」

 YUTAはコートに響き渡る声で叫んだ。

 「みんなの中にも、このプログラムはある! 俺が起動させる!」


 そう言い、YUTAは、3人のアバターに触れる。

 次の瞬間、彼の声にシンクロするように、他の三人のアバターに光が走る。

 フィードバック回路が上書きされ、アンチウィルスコードが展開――汚染データを上書きしていく。


 「……体が、軽くなった!」

 「くっそ、やっと動ける!」


 そして、NOVAの中で何かが爆ぜた。

 視界が開け、時間が遅く見える――ゾーンだ。


 「行くぞ!」


 NOVAは、無茶とも思えるドリブルでディフェンダーを次々抜き去り、リングへ突き進む。

 観客が息を呑む。誰も予想できない角度、予想できないタイミングでのショット。


 そして――NOVAのゾーンは、アル=ナジールのプレイヤーとの接触にも影響を与えた。

 灼熱する集中の中で、彼女のメンタルパラメータがレッドゾーンを超え、潜在的に仕込まれていた抗体コードが暴走的に稼働する。


 汚染コードとは逆に、NOVAのアンチウィルスプログラムが相手へ流れ込んでいく。


 「……っ!」

 アル=ナジールのアバターが次々に硬直し、動きが鈍る。


 やがて停止。――中国戦で見たのと同しだ。

 リアルのプレイヤーが、気を失ってしまったようだ。

 「行動不能! アル=ナジール、棄権!」

 審判の声が響いた。


 ――日本、優勝。


 アリーナが爆発的な歓声に包まれる。

 だがその瞬間、NOVAも力尽きたかのように倒れた。


……

……

……


 「遥!」

 QUEEN、美月が駆け寄り、Hare Showが必死に呼びかける。

 YUTAが脈を確かめ、安堵の笑みを浮かべた。

 「……大丈夫。気を失ってるだけだ」


 しばらくして、遥はゆっくりと瞼を開けた。

 「……勝った、の?」

 「ああ! 世界の頂点だ!」

 4人は互いに手を重ね、涙混じりに笑い合った。


 ◇ ◇ ◇


 ゲームを見届けていた観客席の上段――そこにはXとイーグルが並んで立っていた。


 「見たか……彼らの力を」

 イーグルの声は低いが確信に満ちていた。


 Xは同時にモニターに流れるログを見つめながら呟く。

 「アル=ナジールに仕込まれた“群衆操作システム”。本来なら、人の意思を完全に制御するはずだった……」

 「だが――NOVAは突破した」イーグルが言った。


 Xはゆっくりと目を閉じた。

 「……遥、いや彼女の心にこそ、この世界を救う“鍵”があるのかもしれない」


 アリーナに響く歓声の中、二人は静かに確信していた。

 ――光と闇が交錯する次なる戦いは、もう始まっているのだ。


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