第12話 邂逅


――目が覚めた時、ヴァンは独りだった。

あの後、気を失ってしまったらしい。


「――レックス?」


呼びかけても反応はない。何より、心を柔らかな炎で包み込まれているような――レックスと過ごしている間に感じた『繋がり』が、今はどこにもなかった。


「………っ、」


脳裏には苦しむエリアス、怒り狂うレオ、自分の呼びかけに応えたばかりに捕まったレックスの姿が何度もフラッシュバックした。


――あの場で俺はあまりにも無力で、子供だった。レックスは消えてしまったのだろうか?…もう逢えないのだろうか。出会ったばかりだというのに――


ヴァンはその場でボロボロと涙を零した。覚えている限り、泣いたのは人生で初めてだった。


「あっ…目が覚めましたか!?」


鈴を転がしたような声がして、ふわりとカーテンが開いた。


周りを気にしていなかったが、どうやらここは医務室らしい。声の主は、薄緑色の長髪を腰まで揺らす少女だった。少女といっても見た目が可愛らしいだけで、同い年くらいだろう。


彼女はヴァンが泣いているのに気付くと、目を丸くして呆然と立ち尽くした。そのうえ、手に持っていたタライとタオルを落としてしまったのである。ドンガラガッシャン!と大きな音がして、医務室がさっと静まり返った。


「ご、ご、ごめんなさい!」


少女はヴァンのベッドから離れ、カーテンの囲みから出るとすぐにシャッと閉めた。ヴァンが周りに見られないよう配慮してくれたようだ。


「だ、大丈夫ですから!すみません!」


カーテンの向こうでタライを拾いながら、医務室にいる先生や生徒にペコペコしている影が見える。

よく聞こえないが、カーテンの向こうで誰かと少し会話を交わした後、彼女は隙間から顔だけ覗かせてきた。


「あ、あの、急に開けてすみませんでした。ずっと目を覚まさなかったので、嬉しくて…私、道具を消毒し直さないとなので、失礼しますね。お話は後ほど」


…なんだかひどく気を遣われてしまった。彼女は確か、番召喚のときに血を見てぶっ倒れた少女だ。


――普段はちゃんと気が利く子なんだな。


ヴァンはぼんやりとそんな感想を抱いた。名門の魔法学校に在籍できるだけあって、おどおどするばかりのか弱い少女というわけではないのだろう。


しばらくすると、少女は戻ってきて状況を説明してくれた。


「えっと…私はベリー先生の遠い親戚でして、セーリア・ベイリーといいます。いつもは医務室の手伝いをしてて」


赤毛の教師とは似ても似つかない髪色だが、目の色は同じだ。彩度が低く透き通ったオリーブグリーン。


「少しですけど、お話は聞いてます。その、危険な授業があって…そこで、お怪我をされたんですよね?」


ヴァンはまともに返事をする気力がなく、黙って頷いた。いつも先生に反抗的で、不真面目な印象だったヴァンの素直な反応に、セーリアは驚きながらも続けた。


「ベリー先生からの言付けは3つです。えっと、『番は無事』『レオは時間がかかるが、よくなる』『課題は合格』」


指折りしながらセーリアは笑顔で言ったが、ヴァンはまたもポロポロと泣き出してしまった。


「えっえっ、大丈夫ですか!?いい知らせかと思って、私…」

「よ…よかった……っ」


俯いてぱたぱた涙を落とす。鼻水も落ちているが、どうでもよかった。あいつらが無事ならなんでもいい。

セーリアは泣かせた責任を感じているのか、しずしずと泣くヴァンの背中を泣き止むまでさすってくれていた。


「レオって、レオナード・スミスさんですよね?今はご実家の…騎士団に帰って療養しているらしいです」

「そっか…」


騎士団本部――学園からは随分遠い。転移魔法陣なしだと片道一週間だ。


「見舞いって行けんのかな」


「えっ」と小さく声が漏れた。


騎士団副団長息子のエリートであるレオナード・スミスと、特待生として編入してきたヴァン・アドバント。セーリアは話しているところさえ見たことがなかった。


――本当に、何があったんだろう。いつも人を食ったような態度でベリー先生にタライを落とされているあのヴァン・アドベントが、こんな…。


「なあ、やっぱ無理かな?徒歩だと遠いからさ、休学になっちゃうよな」


セーリアはハッとして答えた。


「あ、えっと…ベリー先生に頼めば、転移魔法陣を用意してくれるかも…です。私から頼んでみましょうか?」


ヴァンは迷った。正直言ってあの教師のことは、まだ好きにはなれない。しかし明確に命の恩人だ――自分の命だけでなく、レックスも、レオのことも救った。


「――いや。大丈夫、俺から言ってみるから。ありがとう」


本当に、今日のヴァン・アドベントはどうしてしまったんだろう――セーリアは目を丸くしたが、ヴァンの苦虫を噛み潰したような顔に気づくと、小さく吹きだした。


――よかった、元気になってきたみたい。


「番は無事なんだよな。レック―じゃない、俺の竜は、どこにいるか知らない?」

「あの、真っ黒なドラゴンさんですね!研究室にいると思いますよ」


研究室――またか。この学園はやたらとレックスを研究したがる。変なことをされていないか心配だ。


「じゃあ早く、迎えに行かないと」

「えっ、もうですか!?」


ベッドから出ようとしたヴァンだが、尾骶骨から背骨にかけてひび割れたような激痛が走り、身体が固まった。しかし、無理にでも歩くために腰を持ち上げようとする。


「ム、ムリしないで!鎮痛の魔法をかけますから!!」


心配したセーリアが肩に置いた手を添えた瞬間、また激痛が走る。


「うっ」


そのまま、ヴァンはべしょっと床に倒れた。


「わ、わ、せ、先生ー!先生ー!手伝ってくださあい!」


冷たい床にほっぺたを押し付けたまま、段々と意識は遠のいていく。なんて無様なんだ――


――そういえば、レックスは生きているのになぜ、その存在を感じられないんだろう?


そんな疑問が、真っ暗な意識の中にぽつんと浮かんだ。意識はそこで途絶ず、深く深く沈んでいく。


やがて、水底に着地したような――

妙な感覚と共に、声が聞こえてきた。


「怯えている」

「お前が遠ざけているのだ」

「腰抜けめ」

「それでもアドベントか」


四方八方から、何度も反響してなじる男の声。


(うるせえ…誰だよ…)


「ごめんね、ヴァン」


一際優しい女の声が、ヴァンを包んだ。


「誰だよ!!!」


しかしヴァンは、それを跳ね除けるかのように叫んだ。


――この声を、俺は知っている。しかし、頭が理解を拒んでいる――まるで鍵がかけられているようだ。


「強くなりなさい」


無責任だ――好き放題言いやがって。

頭が煮えたぎるような怒りに、ヴァンは再び叫んだ


「足がすくむんだ!

俺は、何の役にも立たなかった!

少しくらい記憶力がいいからってなんだ。

俺は――あの時――友達の"番"が捕まったのに、すぐ動けもしなかった!」


頬に突然衝撃が走って―――ビリビリと痺れた感じがする。頬をはたかれた、のだろうか。ここは意識の中――ただの夢のはずなのに――


「貴方にしかできないことがあるわ」


聞いたことがある――この声――どこかで――


真っ黒な意識の海の中に沈んでいく。


「……母さん?」


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