第9話 追う者、追われる者



「炎よ!」


1頭目の狼の首が落ちたのとほぼ同時に、ヴァンは叫んだ。

差し向けた手の平にすぐさま魔法陣が現れ、炎が放たれる――レオは咄嗟にヴァンの射線から逃れるため前転しようとしたが、川底に手をついた頃には森狼に魔法が着弾していた。


2人とも顔を見合せて笑い、ヒュウと口笛を吹いた。お互いの手際があまりにいいので、この任務は楽勝かもしれないと思ったくらいだ。


しかし彼らのこの行為の中に、決定的な過ちがあった。


ひと呼吸おいてすぐ、向こう岸から木の葉と枝が踏み荒らされる荒々しい音が迫ってきた。


『群れが来たぞ!なぜ口笛を吹いた!?』


レックスが怒りながらビュンとヴァンの頭上に着地した。


「も、もっともだ!このバカ!」

「お前もだろうが!」

「風下に逃げるぞ!」


二人は喧嘩しながらも風下に向け全力疾走した。ヴァンが躓いて転がったりしながら走る中、レオは持ち前の身体能力で鹿のように森を駆けた。


『群れは1キロほど後方だ。撒いたようだぞ』


レックスがそう告げた時、二人ははようやく息をついた。ヴァンは辺りを見回し、安全確認をしてから近くの木を指さした。


「匂いで追跡されるかもしれない。木の上に登ろう」

「おっ…おう」


ヴァンはスルスルと近くの木に登ったが、レオは木登りの経験がない。たどたどしく枝を辿って身体能力のみでヴァンを追った。


その木を登りきると、今まで姿が見えなかった小動物たちが枝の至るところでこちらを見ていた。襲ってくる様子はない―突然の侵入者に怯えているようだ。


「冬支度を邪魔してごめんな、お前ら」


ヴァンは小動物たちを見ながら、本当に申し訳なさそうに言った。レオはそんな姿がちょっと可笑しかった。ベリーにはあんなにツンケンしてクラスの生徒にもすぐ噛み付くのに、森の小動物にはすぐ謝るのか――変なやつ。


「さて、どうする?」

「どうすっかなあ」


レオは森狼を誘き出す作戦や、奇襲しては逃げる作戦などをヴァンに提案した。もちろんヴァンはそれらを聞き意見を返したが、別の考えが頭を占拠しており、集中できなかった。


「おい、ヴァン、どうした?」


眉間にシワが寄りっぱなしだぞ、とレオが笑う。コイツは人をよく見ている――出会ったばかりなのに、気遣われるのは何回目だろう。ヴァンは言い淀んでいたが、意を決して顔を上げた。


「気になることがある」


ヴァンはずっと違和感を抱いていた。蹄の後に混ざっている複数人のブーツの跡。獣道は高い位置まで枝が折れていたし、川辺の隅には焚き火跡もあった。


「絶対に俺ら以外に人がいる…と、思う。でも――レックスは見当たらないって言うんだ。もしいるなら、その人たちも危険なのに」

「――…なるほど」


レオはそれを聞くと、エリアス――彼の番を呼んだ。


「エリィ、頼めるかい?」


小さなグリフォンはゆっくりと瞬きを返すと、警笛のような鳴き声を森に響かせた。小動物たちが一目散に逃げていく。


「何を――」

「シッ」

「んもがっ」


レオはヴァンの口を塞いで、エリアスを指さした。なんだか分からないが、邪魔するなということらしい。


5、6秒ほど経っただろうか。レオは少しエリアスと見つめ合ったあと、口を開いた。


「確かに、人がいるみたいだ。3人かな。俺らから100メートルくらい離れたところにいる――位置はバラバラだ」

「そんなことまで分かるのか!エリィは――いててててて」


エリアスに鋭い足で引っ掻かれてヴァンは枝から落ちそうになったが、なんとかこらえた。


「エリアスは僕以外がエリィって呼ぶと怒るんだよ。可愛いだろ?」

「…先に言っといてくれ…」


レオの話によると、エリアスは鋭い聴覚と視覚を持っており、鳴き声の反響を聴いてかなり精度の高い空間認識をすることができるらしい。


「さっきは俺らの口笛で群れが寄ってきたのに、迂闊だぞ」

「ほぼ鳥の声だし大丈夫かなって思って」

「まあ…大丈夫だとは思うけど」


ヴァンの耳には、さっきの鳴き声は肉食鳥類の声によく似て聞こえた。小動物も逃げていったし…グリフォンは基本生態系の頂点だ。森狼も、逃げることはあっても寄ってくることはないだろう。


視力についてはレックスも負けていないとヴァンは思っていたが、話を聞いてみるとエリアスは1キロ先の昆虫も、魔法で身を隠している人間も視えるというから驚きだ。


「まだ空は飛べないから機動力はないけど。将来的には偵察でレックスには負けないはずさ」


誇らしげに小さな翼をしゃなりと畳んだエリアスの姿は美しい。ヴァンの頭の上で話を聞いていたレックスは、悔しがるかと思いきや鼻を鳴らして機嫌良さそうにしていた。


「なんだ、悔しくないのか?」

『なぜだ?優れた能力は賞賛されるべきだ。比べる必要はない。――そんなことより、他の人間の気配は気にしなくていいのか』

「ああ…そうだった」


やはり監視だろうか?だとしたら一体誰が?ベリーの配下?王家の人間?それとも第三者?――副校長、ラスが送り込んだ助っ人の可能性も――いや、ないだろう。あの男は利もないのに進んで人助けをするようには見えない。


「そいつら――3人は近付いてきたりしてるのか?」

「いいや………」


言葉を切って、レオはエリアスを見つめた。その目の瞳孔が縮んで、チラチラと色が変わっているのにヴァンは気づいた。彼の普段の目は落ち着いたオリーブグリーンだが、青に変わり、紫に転じ、最終的にエリアスと同じ鮮やかな橙色になった。

段々と彼の栗色の髪が逆だち、表情が失せると、その迫力にヴァンはゾッとした。いつ目覚めるか分からない巨大な怪鳥と対峙しているかのような気分だった。


「動かないな」


エリアスは忙しなく辺りを見回したが、レオは動かずエリアスを見つめたまま言った。視覚共有をしているようだ。番と感覚共有を行うと、最中は身体を動かせなくなる――ヴァンにも覚えがあった。


「こっちに手を出す気がないなら、気にせずやるか」

「そう…だな」


レオの返事に少しの含みを感じたが、ヴァンは気に留めなかった。また狩りに戻ると思ったら心が沸き立つような気持ちになったからだ。


「森狼の群れを誘き出すって話に戻るけど。まず、さっき通った滝つぼにぶち込んでやろうぜ」

「…なんだって?」


――楽しい作戦会議が始まる。

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