第22話 旗印の火、戦術級魔法の創造

 夜の工房街から少し離れた、誰も寄りつかない瓦礫の空き地。

 崩れた屋根材の傍ら、セレスは静かに息を整えていた。

 仲間たちには告げていない――これは完全に“内緒”の試みだ。


 頭の中に浮かんでいるのは、先ほど組み立てた仮説術式。


 ――あらかじめ術を「待機」させておいて、一斉に命令を下せばどうなるのか。


「……理屈は単純。でも、成功すれば戦場を覆す力になる」


 小さく呟き、杖に魔力を流し込む。

 焚き火の残光を押しのけるように、宙に淡い光の輪がひとつ、またひとつと浮かび上がった。

 それは通常の魔法陣が簡略化された、扱いやすい「弾倉」。


 円の中には炎が宿り、小さな火弾がじっと揺れている。

 一つ、二つ、三つ……数を重ねるたびに、空気がじわりと熱を帯びていく。

 十、二十――やがて三十を数え、セレスの周囲は赤橙の光球にぐるりと囲まれた。


 夜風に揺らめくその光景は、もはや魔法師の姿ではない。

 彼女を中心に並んだ炎の列は、まるで戦場に並ぶ砲兵隊の陣形だった。

 放たれぬまま、しかし忠実に待機を続ける炎弾。

 その統制された様子に、セレスの胸は高鳴り、抑えきれない昂揚がじわじわと広がっていく。


「……よし。命令は、一つでいい」


 指先を軽く弾いた瞬間、空気が張り詰めた。

 数十の炎弾が一斉に震え、次の瞬間――


 セレスは指先で軽く印を弾く。


「――飛べ」


 その瞬間、夜の空気が破裂する。

 炎弾が三十を超える軌跡を描き、一斉に解き放たれた。

 轟音が大気を震わせ、赤橙の奔流が闇を切り裂く。


 的に据えられた厚板の壁は、一撃で粉砕された。

 金属片は溶け落ち、後方の石積みさえも炎の奔流に削られる。

 直撃を免れた周囲の瓦礫までも火雨に呑まれ、闇夜が真昼のように明るく染まった。


 分裂による散漫な火力ではなく、累積した火弾が全て同時に牙を剥く。

 その威力は単なる拡散攻撃ではなく、“戦術兵器”そのものだった。


 地を踏みしめていたセレスの足がわずかに震えた。

 息を吐き出すと同時に、肺の奥が焼けるように痛む。

 魔力の奔流を制御しきった達成感と、肉体を苛む消耗が同時に押し寄せてきた。


「はぁっ……く……」


 杖を握る手が汗で滑り、肩から力が抜ける。

 体内の魔力が強引に削り取られ、血の気が引く感覚に視界が霞む。

 それでも倒れまいと歯を食いしばり、金の髪を振り払って顔を上げた。


 炎の嵐が収まった跡には、黒く炭化した大地が広がっていた。

 厚板の残骸は跡形もなく、瓦礫にまで赤熱の痕跡が刻まれている。

 焚き火程度では到底及ばない――ひとつの“陣”をまるごと焼き払う破壊力。


「……ふぅ……」


 荒い息の合間に、セレスの口元にわずかな笑みが浮かぶ。

 消耗は激しい。だが、その威力は疑いようがなかった。

 これなら――仲間たちに示せる。旗頭として、力を背中で語ることができる。


 指先の震えを押さえながら、彼女は夜風を吸い込んだ。

 金の髪が闇に揺れ、蒼い瞳には燃え残る炎よりも強い光が宿っていた。


(……誰にもできない。けど、だからこそ示さなきゃいけない。――私が“神滅”である理由を)


 その思いだけが、限界に近い身体を支えていた。


***


 夜明けと共に訪れたのは、静かな休息ではなく次なる依頼だった。


 ――街に紛れ込んだ魔物の討伐。


 混乱の都市を維持するため、ギルドは定期的に冒険者へ依頼を投げていた。路地裏や焼け落ちた工房の残骸には、夜ごと魔物が潜み、人々を襲う。放置すれば避難者は安心して眠ることすらできない。


 瓦礫にまみれた路地を進む一行の顔には、疲労の影が色濃く浮かんでいた。だが、誰ひとり足を止める者はいない。


「……本当に、次から次へだな」


 大盾を背負ったガルドが低く唸る。足元の瓦礫がきしみ、その音が妙に街の静けさに響いた。


「仕方ないさ。あれだけ城壁も門も壊されたんだ、完全に修復するまでは時間がかかるさ」


 ヴァレリアは肩をすくめながらも、手は剣の柄から離さなかった。

 リリィは両手で杖を抱きしめ、不安げに視線を揺らす。


「……また、誰かが襲われてるかもしれない……」


 彼女の声に、セレスは小さく微笑んで返す。


「だからこそ、私たちがいるんだよ」


 その言葉が合図のようだった。次の瞬間、灰色の巨躯が瓦礫の影から姿を現した。


 牙を剥き、咆哮を轟かせる。

 ――牙猪(ファングボア)。


 黒い瞳でこちらを捉え、全身をつんざくように震わせながら突進の姿勢を作る。


「来るぞ!」


 ガルドが盾を掲げ、リオナが詠唱を始める。

 だが、その前にセレスが一歩、静かに前へ出た。彼女は仲間の視線を受け止めてから、手をゆっくりと挙げる。


「待って。……試したいことがあるんだ」


 息をのみ、時間が一瞬伸びるように感じられた。

 緊張の中、セレスの指先が小さな動きを見せる。詠唱は短く、そして素早く紡がれた。腕を振るうと、空気が震え、無数の小さな火炎球がひとつ、またひとつと現れる。小さな球体は互いを求め、やがて空中で結合して巨大な火球を形作った。


 しかし彼女はそこで終わらせない。さらに詠唱を重ね、陣の層を増していく。


――追尾、粘着。


 空中に二重の構造が刻まれると、その紋様はまるで生き物のように歪み、火球の表面へと融合した。


「導け、追え――縋りつき、燃やせ」


 セレスの声は穏やかで、だが確固たる指示のように響いた。発せられた命令は魔力を媒介にして、巨大な炎弾を蛇のように曲げさせる。炎は軌道を変え、逃げる牙猪の首筋めがけて吸い込まれるように命中した。


 毛皮に触れた瞬間、火炎が身体に張り付く。逃れようともがけばもがくほど、炎は皮膚に沿って這い、深く燃え広がる。獣の悲鳴が荒々しく広場に響き、泥と血と煙が混じった匂いが空気を支配した。やがて牙猪は転げ回り、力尽きた。


 それでも立ち上る炎は消えない。獣が動かなくなった後も、黒く焦げた体を容赦なく焼き続け、煙が立ち上る。


「な、なんだこれ……! ただの火球じゃない……!」


 リオナは瞳を見開きながら呟いた。言葉には恐怖と驚きが混じる。リリィは小さく震え、杖を握る手がわずかに白くなる。


「死んでも……燃え続けてる……」


 リリィの声は震えていた。


 セレスは杖を軽く振り、静かに詠唱する。


「――終息せよ」


炎の紋様は音もなく崩れ、ぱたりと消える。残されたのは、もはや動くことのない獣の残骸だけだ。沈黙が一拍、重くのしかかった。


セレスは仲間に向き直り、落ち着いた声で説明した。その口調は平静を保っているが、言葉の端には強い自覚と緊張が潜んでいる。


「この魔法は、対象に命中した瞬間に陣を刻みつけるんだ。だから……私が解除するまでずっと燃え続けるの」


 ガルドが眉をひそめる。


「危険すぎないか……?正直怖いぞ」


危うさを指摘するその声に、セレスは小さく頷く。責任と可能性のあいだに揺れる自分を、彼女は隠さなかった。


「そう。だから普段は使うべきじゃないね。だけど、どうしても突破口が必要なときには、切り札になるはずだよ」


 セレスの指が杖の柄をぎゅっと握り直す。その言葉には仲間を守るための計算と、力を使う者としての重さがある。


仲間たちはしばらく言葉を失った。恐怖と畏敬が混じった沈黙の中で、各々がこの力の効用と代償を直感的に理解していた。


リオナが小さく息を吐き、苦笑を混ぜた声で言う。


「……まったく。あなたって人は、どんどん危ないことを思いつくんだから」


 からかいにも似たその一言に、場の緊張が少しだけ解ける。

 だがリリィは真剣な眼差しを逸らさず、杖を握る手をさらに強くする。


「セレスさん……絶対に、間違った形で使わないでくださいね」


 その祈りのような言葉に、セレスは静かに頷いた。


「約束するよ。これはあくまで最後の手段――切り札として取っておく」


 黒焦げの亡骸から立ちのぼる煙を前に、仲間たちは言葉を失ったまま佇んでいた。

 恐怖と畏怖、そして確かな安心感。胸の奥でせめぎ合う感情の中で、彼らは悟る。


 ――この力は、仲間を守るための矛であると同時に、外への抑止力なのだ、と。


 どのクランも勢力も、この破壊の一端を目にしたなら、安易に牙を剥くことはできない。セレスが放つ炎は、ただの攻撃ではなく「侵してはならない境界線」として機能する。


 リリィは杖を胸に抱きしめ、不安げに眉を寄せながらも心の奥で理解していた。


(セレスさんの力は怖い……けど、これがあるから、私たちは他の誰にも呑み込まれない)


 ――勝つための力。

 ――守るための力。


 そして同時に、他勢力全体に「手を出すな」と告げる力。


 仲間たちはその意味を噛み締めていた。

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