鉄塊の継承者
むぎねこ
序章:折れぬものの記憶
序章:折れぬものの記憶
――聞こえるか。
火は落ち、槌も壁に立てかけられ、わしの手はもう土にある。だが残るのは鉄の重さの記憶だ。
鉄は口をきかぬが、熱には正直だ。赤に至る前の橙で嘘をつき、白に行き過ぎれば黙り込む。叩けば鳴き、鳴き方で伸びたいのか休みたいのかが分かる。長い年月の果てに残ったのは、刃でも鍬でもない、分厚い鉄板に握り棒を通しただけの塊だった。人に見せれば笑われたろうが、あれは嘘をつかぬ。飾りも曲がりもなく、ただ前へ押すだけの鉄塊だ。だが、その重さは槌百本分の答えを抱えている。
村の術は派手ではない。井戸を澄ませ、竈の火を横に寄せ、糸を撚りながら渦を呼ぶ。干草を均せば湿りが逃げ、石を踏めば音で強さが分かる。そうした「少しだけ良くする力」で日々は回る。声を合わせれば重さは和らぎ、列は揃う。わしは耳で鉄を聞き、土の湿りや石の抵抗を胸骨で覚えた。村はそうやって見えぬ壁を作る。
若い背を眺めるのが好きだった。足裏で土を確かめ、急がず遅れず歩く背だ。言葉で教えるより、その背に影を落とすだけでよい。やがて自分の耳で鳴きを拾い、重さを前に出す時を知るだろう。炉の赤が頬を照らすように、黙って熱の縁を示せばいい。
その背は、やがて秤の針をじわりと傾ける手になる。振り上げるより、揺れを抑える役を担う。見栄えはせぬが、列を保つには必要な手だ。わしは最後の塊を作り、待った。押すべき時にだけ押せるように。
祈りは声ではなく習慣だ。油を塗り、錆を拭い、布をかける。その回数が祈りになる。折れぬものほど手を入れねば崩れる。祈りを重ねていれば、使うべき夜に塊は鳴く。鳴きは耳ではなく骨に届く。骨は嘘をつかぬ。
森も耳を澄ます。焚き火の灰の粒も、人の癖も忘れぬ。だから村も耳を澄ます。号令がなくとも、婆様は水を澄まし、パン焼きは火を寄せ、羊飼いは鈴を掲げる。その癖の積み重ねが壁になる。塊は盾ではない。ただ重さで列を揃える。揃えば老いも若きも重さを分け合える。
前に出るのは振り上げたい時ではない。列が揺れる手前だ。唸りを短く合わせ、腰と足裏で押す。その一寸が生き延びる幅になる。
わしが残したのは言葉ではない。手順と習慣だ。水を澄まし、火を寄せ、渦を整え、唸りを合わせる。繰り返せば幅は保たれる。幅があれば、押す夜を越えられる。
――聞こえるか。
名はもう土にあるが、鉄の鳴きはお前の骨に届く。若い背が重さの方へ向いたなら、それでよい。向けば道は半ばできている。残りの半ばは押せ。押して戻り、油を塗れ。それだけで夜はまた静かに落ちる。
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