第2話 会話は距離と壁越しで

「じゃあさ、観察してみなよ。すぐにわかるからさ。」


彼女はそれだけ言って周りを示すように腕を広げた。

そのまま立ち上がり強調するようにクルクルと回り始める。

紺色の襟とネクタイが映える白のセーラーワンピースが動きに合わせてヒラヒラとなびいている。

銀白色の髪、大きな青色の瞳、透明感のある白い肌。彼女の全てに良く似合っていた。

「ねぇ、ちゃんと観察してる?私だけを見てても何もわかんないよ。」

気づけば回転をやめた彼女が腰に手を当て、少し不機嫌そうに言う。

頬を少し膨らませながらブロック塀の上にいる俺をジト目の上目遣いで真っ直ぐな視線を向ける。

「いや…そんなことない。ちゃんと観察してるよ。」

「ほんとに~?なら良いけどっ!」

彼女はくるりと後ろを向き、背中をこちらに向ける。

本当に綺麗な銀髪。地毛なのだろうか。

湧き上がる疑問に即座に蓋をし、言われたとおりに彼女とその周辺を観察する。

立ち上がり、広い視野で観察する。

とはいっても目に見えるような違和感などあるはずが…。


「あれ?」

違和感と呼ぶにはほんの些細なものだったのかもしれない。

それでも、一度気づいてしまえば気づかなかったことが嘘であったかのようにはっきりと、確信を持って見えた。

「草が、生えてない。」

こぼれるようにつぶやく。その瞬間、彼女の顔がこちらを向く。

その顔は満足そうにニヤリと笑っていた。

「正解。よく気づいたね。」

そう言って再びくるりと一回りし、体をこちらに向ける。

「でも、少し時間かかりすぎ。」

彼女はそう言って廃墟に入り、年季の入った学習椅子を持って戻ってくる。

たしか、秘密基地を作るときにこっそり学校から持ってきたものだ。

「君も座りなよ。ブロック塀の上に立たれちゃ身長差がありすぎる。」

彼女に言われ、その場に座る。

今なら、はっきりと見える。彼女を中心に更地から草地になっているのを。

まるで世界そのものが彼女を拒絶しているかのように。

ミステリーサークルほどはっきりしていないとしても、円形にグラデーションを作っている。


「これは、魔法?」

理解できない光景に再び言葉が零れる。

その言葉が届いたのか彼女は声を上げて笑い始める。

恥じらいなど知らないと言わんばかりに椅子に座ったまま、お腹を抱えて笑う。

「そ、そんなに笑わなくても良いだろ。」

恥ずかしくなって思わず声を上げる。

「ごめんごめん。君、本当に理系?」

一通り笑い、息が上がったまま彼女が言う。その後、呼吸を整えるように何度か深呼吸をする。時折、思い出したように噴き出すのが気に食わない。

「ふぅ~、笑った笑った。でもね、君の言ったことはあながち間違いではないよ。」

「間違ってないなら何で笑うんだよ。」

恥ずかしさを通り過ぎて少し悔しくなって言い返す。

少し間が開いて、彼女は真っ直ぐに俺の方を見る。少しキリっとしたその目から放たれる視線は若干の鋭さを持ち、突き刺して離れさせないような野性味があった。

「君はどう定義して『魔法』という言葉を選んだ?」

「定義?いや、見たままだよ。不可思議な光景を見て、それが君によるものだと思ったから。それだけ。」

「なるほどね。つまり君は、と考えたわけだね。」

「まぁ…そうなるな。」

「それなら、君の言う『魔法』という表現は正しいね。魔法使いが使うアレと同じなわけだから。」

張り詰めた紐を緩めるように彼女は目を細めてニカッと笑った。

「まぁ…うん。」

俺は、ぼんやりと返した。


何だか壮大な話になってきたけど不思議と嫌な気はしなかった。

内容は学校の授業と変わらないはずなのに、居眠りをしているはずなのに、彼女の楽しそうな笑顔を見ていると自然とその気は失せていった。

「話を戻そう。言ってしまえば、これは魔法なんかじゃない。原因は私にあるけど、私がコントロールしているわけではないからね。」

「じゃあ…結局これは?」

やたらと話が遠回りしているような気がする。

ちゃんと『観察』をしたせいだろうか、彼女の話し方が絶妙に核心を避けているように思えてならなかった。

さっきと同じ。一度気づいてしまえばはっきりと見えてくる。

「『何?』と聞かれると難しいけど、はっきりと言えるのは、これが私に近づかない方が良い理由。怖いよね。」

彼女は決まり悪そうに笑いながら足元の土を手で掬い、パラパラと落としながら言う。

「でも、ここまでは届かないんだろ?ほら、ブロック塀の周りには草が生えてるし。」

不思議と怖いとは思わなかった。理由は分からない。

強いて言えば、かつて友人たちと集まった秘密基地で、再び誰かと過ごせたことが嬉しかったのかもしれない。


時が経つほど、人との繋がりの尊さに気づく。きっと、年老いたその感覚のせいだ。

それに彼女は『怖いよね?』と問いかけるように言った。

怖いと思っているのは、彼女自身だと直感した。それも理由かもしれない。

「安全…とは言い切れないかな。」

彼女は苦笑いしながら言う。先程までの無邪気さはなく、その代わりにどこか寂しそうな、そんな雰囲気を滲ませていた。


「なら、ブロック塀を挟んだらどう?壁越しなら大丈夫だろ?」

「随分と必死だね。でも、この塀越しなら、大丈夫かもね。」

ハッとする。なぜ俺はこんなにも必死になっているのだろう。

…答えは単純にして明快。ここは、俺の秘密基地。

偶然とはいえ、再び辿り着けた以上、今後も足を運ぶことは十分にあり得る。


「この場所に、少しだけ思い入れがあるから。」

「…ここは、君の場所だったんだね。」

穏やかな笑顔で彼女が言う。

「あながち、間違いではない…かな。」

そう言ってブロック塀を降りる。彼女との間に壁ができる。

「そうだね。そろそろ帰った方がいい。」

塀を挟んで彼女の声だけが耳に届く。


「名前、聞いても良いかな?」

塀越しの彼女に言う。

「名前?あー、そういえば自己紹介がまだだったね。…シオリ。君は?」

「ハルキ。」

「へー、良い名前だね。」

「…じゃあ、帰るから。」

登山道に向かって足を進める。ザッザッと枯葉を踏みしめる音だけがあたりに響く。


「ハルキ。」

後ろで名前を呼ばれて足を止める。その声は少しだけ近く感じた。

塀のすぐそばまで来ているのだろう。

「また来てよ。1人は寂しいからさ。」

会ったばかりで親しくもない。でも、このひと時は悪くはなかった。

もう一度、誰かと秘密基地に集まる日々を過ごすのも良いかもしれない。

そう思った。何となく。


「シオリが、そう望むなら。」

「なんか良いね。その言い方。…うん。私はそれを望む。なんてね。」


再び歩き出す。落ち葉を踏む音が静寂を破る。

別に約束をしたわけじゃない。

またここを訪ねる理由ができた。ただそれだけの話。

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