第二十四話 誕生日祝い

「綺麗なところですね」


レナートとフェデリカはピクニックに来ていた。王宮の外れ、かつての王が愛妾のために増築したという離宮の庭園だ。深い森は雪が解けて木漏れ日が差し込んでいる。澄んだ泉が日の光を反射して輝き、冬を越えた花々が芽を出していた。


「もうすぐ春だな」

「はい。随分、忙しい日が続きましたね」

「違いない」


フェデリカの誕生日パーディーまで残り10日となった。政務がひと段落し、ようやく時間を取ることができた。


「そういえば、実験で使うと言っていた場所は決めたか?」

「いえ、それがまだ......遮蔽物がなく、小高い丘となると難しくて」


フェデリカは試行錯誤の末、おもりを用いて歯車を高速回転させることには成功した。道具は揃ったので、残る問題は場所だった。光速を測定するためには、おおよそ10mほど降下させる必要があると目算していた。よって十分な高さがあるところで、かつ障害物に遮られていない二地点を選ばなければならない。距離はある程度離れていることが望ましいが、離れすぎていてもいけない。王宮を使う許可は得られたが、もう一か所を選ぶのが難点だった。フェデリカは貴族学園を卒業する際に物理学以外の知識を彼方に投げ捨ててきたので、王都郊外の地理などてんで分からなかった。


「私も考えたんだが、イルミナーティ天文台はどうだろう? 王都から北に10km近く離れた小高い丘の上にある。空気が澄んでいて、遮蔽物もあまりないだろう」

「そのようなところがあるのですね......! 打診してみます」


お役に立てて何より、とレナートは微笑んだ。最近はよくレナートに助けられている気がする。何かお返ししたいが、先立っても迷惑をかけたばかりだ。


「......厨房では、ご迷惑をおかけしました」


準備から、とのことだったのでサンドウィッチを作ったのだが、なぜかフェデリカが触ると卵が爆発し、パンがぺしゃんこになり、ジャムが飛び散って事故現場のようになるので、殆どレナートがやってくれた。なぜなのだろう。化学専攻の知人を手伝って実験をしたときは上手くいったのに。


「逆に面白かったよ。実験の時はあんなにスムーズに手が動くのに、厨房では大惨事だったからね」

「面目ありません」

「楽しかったからいいんだよ」


料理なんてしたことがないから、ここまで才能がないとは思わなかった。お菓子作りなどした日には、厨房がどうなるか分かったものではない。


「せっかくだし、食べようか」

「念の為私が毒味いたします」

「それには及ばないよ」


止める間もなく、レナートはサンドウィッチに齧り付いた。ジャムがパンの端から溢れてくる。見るからに美味しそうだ。


「では、私も」


フェデリカは卵のサンドウィッチを手に取った。フェデリカが卵を爆発させた後、レナートが修復してくれたものだ。


「......! おいしいです!」

「はは、よかった」

「レナートは料理人になっても生きていけると思います」

「料理人か。いいかもしれないね」


爆散し原形を留めていない卵をこんなにおいしくできるなんて、とフェデリカは感心する。


「君は何が好き? あ、お菓子に限るよ」


フェデリカは少し考え込む。研究をしているときは食を疎かにしがちで、甘味とは長く離れていた。二日何も食べず、飢えたところで誰かにパンを口に突っ込まれる、ということもざらだった。


「......タルト、でしょうか。甘酸っぱい果物が乗ったものが好みです」

「タルトか。今度時間があったら作ってみよう」


フェデリカは目を丸くした。


「作れるのですか?」

「昔、作ったことがあるけど今はどうか。ゲテモノが出来たらそっと私のお腹に納めておく」

「大丈夫です。私の胃は頑丈なので、どんなゲテモノでも食べてみせます」

「おいしく作れることを期待してくれ」


フェデリカは笑った。つられたようにレナートも笑い出す。

水面に木の葉が落ちて、微かに揺れた。



***



「妃殿下。アルディーニ伯爵が謁見を求めております」

「......アルディーニ伯爵カルミネが?」


思いがけない名前を聞き、フェデリカは首を傾げた。

フェデリカの誕生祭まであと2日に迫った日のことである。建国祭でもないだろうからカルミネは来ないだろうと思っていたのだが、何か用件でもできたのだろうか。


「あっ、ディー! うわあ、すごい綺麗だあ」

「お前、黙れと言わなかったか」


フェデリカは王宮で聞くはずのない声を耳にして目を見開いた。苦虫を百匹くらい噛み潰したのではないかと思うほど厳しい顔をしたカルミネと、元気よく手を振るラヴィニアが跪いている。ちなみにラヴィニアはメイド服を着ている。

フェデリカは急いで人払いした。


「ヴィー、ラ・ヴァッレ、どうしたの?」

「なんもない! あのねあのね、ディーに誕生日プレゼント持ってきたんだよ!」

「え」

「こいつがどうしても手渡したいと言うから、仕方なくこうして連れてきたんだ。その分、建国祭は体調不良で欠席させてもらうが......」


カルミネの決まり悪そうな言葉を遮り、ラヴィニアは鞄から分厚い本を取り出す。


「見て! 解剖図鑑! あとこっちは物理学専攻の知り合いに教えてもらったおすすめの論文!」

「言っておくと、私は解剖図鑑に関しては反対したからな!?」

「えーいいじゃん。読むと素敵な気持ちになれるよ?」

「そんな変態はお前だけだ阿呆」


フェデリカは呆気に取られて差し出された本を受け取った。骨格標本が描かれた表紙からしておどろおどろしい。それが逆にラヴィニアっぽくて笑ってしまった。


「ありがとう、ヴィー。ここまで来るのも大変だったでしょう」

「そんなことないよー! 教授の奥さんが倒れちゃって解剖がお休みで、タイミングもよかったんだぁ」

「そう、ならよかった」

「あ、あとこれ、ヴァッレからの......うわあおも!」

「ちょ、落とすなよお前! 貴重なものなんだからな!」

「ごめんて」


次に袋から出てきたのは、丁寧に包装された何かである。


「......三角柱の水晶だ。物理学の教授が分散とやらを検証するときに使ったと聞いた」

「は!? 随分高いものでしょう」

「別に、私は使わんからな。宝の持ち腐れというやつだ」

「まあ......ありがとう。嬉しいわ」


フェデリカが微笑むと、ラヴィニアは唇を尖らせた。


「ずるいヴァッレ! ディーがすごく嬉しそう! お金持ちめー!」

「そりゃな!? 誰が好き好んで解剖図鑑なんざ受け取るか!」

「あたしは嬉しいもん!」

「お前を基準にするな!」


いつものやりとりすら懐かしい。フェデリカは水晶を手にしたまま笑う。


「ありがとう、二人とも。実は、建国祭の後に視察という名目でキエザに行けそうなの」

「ほんと!? どのくらい、どのくらい!?」

「長くて二週間くらいかしら。レナート......陛下にお許しを頂いたから、一緒にピクニックでも行きましょ」

「私はお前が研究室から出てこないと予想するが?」

「......否定できないわね」


フェデリカは肩を竦めた。


「だめだよぅ! ディー、あたしとピクニックね! 約束!」

「はいはい——ふたりは何日王都に滞在するの?」

「明後日には発つ。プロヴェンツァーレが王都観光をしてみたいというのでな、この後連れて行ってやる予定だ」

「時間があれば、紅茶でも飲んでいって。大学の話を聞きたいわ」

「......いいのか? その、また噂とか立ったら面倒では?」


フェデリカは軽く笑う。カルミネとの仲を揶揄されていたのも、随分昔のことのようだ。


「――陛下にご紹介するわ。私の大切な学友です、って」

「......は!?」「わーい」



***



「うわあ、このお菓子すごくおいしいよ! ねえヴァッレ」

「陛下の御前ではしゃぐなお前は本当にあほだなアホツァーレ」

「阿保じゃないもん!」


レナートの面前では漫才のようなやりとりが交わされている。一方はレナートも見知った侯爵位の令息、もう一方はメイド服を着ているが、キエザ大学に女性としては最年少で入学した才媛だという。


「......楽しい学友だね」

「ええ。自慢の友人です」


フェデリカの侍女からお茶をしましょう、と言伝があったのはつい先程のことだ。いつにない誘いに首を傾げれば、学友も同伴させてほしいという。理知的で冷静な人物を想像していただけに驚いた。

フェデリカは微笑ましそうにふたりのやりとりを眺めている。実験の時ともまた違う、穏やかな笑みだ。レナートは知らず、ティーカップのハンドルを強く握っていた。


「――やはり、恋しいか?」

「ええ。大学は私のすべてですから」


レナートがティーカップの縁に視線を落とした瞬間、でも、と楽し気な声がする。


「一度離れたからこそ、その貴重さを改めて感じることができました。王立研究所で細々と研究もさせていただいておりますし——あなたとの夫婦生活は、なかなか楽しいです」

「......え?」


淡い紅色の唇が弧を描いている。澄んだ紫の瞳の中に、間抜けに口を開いた己が映っている。


「決して恋しくは思わないでしょう。けれど懐かしく思い出す日が来るかもしれません。あなたと過ごした日々を。あなたの妻であった時を」


何かを言うべきだと分かっていたが、何も思いつかない。黙っていると、賑やかな声が静寂を破った。


「ねえディー! あたしアホじゃないよね!? ちゃんとディーとの約束も守ってるよ!」

「お前、空気を読まんか! 黙るという技能を身につけろ!」


紫の瞳が逸れる。穏やかな笑みが呆れの表情に変わっていくのを、レナートはただ眺めていた。




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