第二十二話 実験

即位式から1か月。公務が落ち着いた日に、フェデリカは王立研究所を訪れた。かつて一度見学させてもらったところだが、研究許可をもらえたと思うと感無量である。


「妃殿下。道具はこちらでよろしいですか?」

「ええ、ありがとう」


フェデリカは汚れてもいいように、簡素なドレスを着ていた。本音を言えば寝巻に白衣くらいの適当さがよかったが、新米王妃としてはいただけないので涙を呑んで諦めた。


「回折現象は波動によく見られる現象よね。けれど教授が発表した理論では微粒子だという......」


確かにプリズム実験で証明された光の分散は波動とは言い難い。しかし回折現象や屈折の法則は果たして粒子によるものと言えるのか。


「光速の扱いについて、二つの説は異なる理論を持つ……」


粒子説では光速が屈折率に比例し、波動説には屈折率に反比例すると考えられている。5年前に天文学者のピオジェ教授が発表した論文によると光の速さは22万km/sということだから、異なる媒質を利用して光の速度の変化を確かめるというのも困難だろう。


「......光の速度の測定を地上で完結させることができれば、或いは」


しかし、22万km/sの恐るべき速さのものを如何にして測定すればいいのだろう。二地点を選び比べるというのは論外だ。


「逆に、0.0001秒単位で計ることができれば」


しかし、それほど綿密に時間を計ることができる機械など存在しない。


「時計......針......」

「時計針がどうかしたのか」

「0.0001秒単位で動く時計が欲しい......」

「0.0001秒? それは難しいね。歯車が壊れてしまいそうだ」

「ええ......歯車が......」


歯車。歯車?


「っ、それだわ!」

「え?」

「歯車よ! どうして思いつかなかったのかしら!? 歯車の歯を増やして、距離を取って......時間の概算と距離の算出は......」


フェデリカの頭の中は即座に計算で埋め尽くされる。ああ、手の動く速度が遅い。早く、もっと早く書き写さないと——

歯車と言った方はどなただったのかしら、と思い至ったのは夜になってからだ。



***



「――大変失礼いたしました」


ベッドに座り本を読んでいたレナートは、部屋に入ってきて早々に頭を下げたフェデリカを見遣り苦笑する。研究所に行ったというので様子を見に行ったのだが、レナートが来たことにも気づかず考え事をしていて、何か思いついた後は楽しそうに紙を計算式で埋め尽くしていた。


「いや、随分楽しそうだったからよかったよ」

「はい、それはもう! 陛下には感謝してもしたりません。上手くいけば光学の歴史に新たな項目が刻まれるかもしれないのです」

「私は何もしてないけれど」

「いえ、歯車というご発言をしていただきました」


レナートはいささか面食らって過去の発言を思い返す。そういえば、歯車と言った後からフェデリカは猛烈にペンを動かし始めたような気がする。


「何に使うんだい?」

「光の速さを測定するのです。5年前に天文学者のピオジェ教授が発表した論文によると光の速さは22万km/s、到底地上で計ることができないと思ったのですが——」


フェデリカは楽しそうに実験計画を語った。

レナートは、夜にフェデリカと語り合う時間が好きだった。普段はまつりごとや何気ない日常の話が多いが、フェデリカはいい意味で他者とずれているところがあるので、そういう発言を聞く度に楽しくなるのだった。


「――申し訳ありません、長々と語りすぎました」

「構わないよ。君が楽しそうだと私も嬉しい」

「ありがとうございます......殿下は、何か好きなことはおありですか?」


レナートは少し考え込んだ。幼い頃から国の為に生きよ、と言われて育った。同じ年頃の子らと遊ぶのは、いい顔をされなかった。楽しいことから遠ざかる内、政務に追われるようになった。


「......ピクニックに行くのが好きだったな。幼い頃は両親と。亡くなってからは……先王たちと。サンドイッチくらいしか作れなかったが、準備の時から楽しかった」

「いいですね。今度、行きましょうか」

「......そうだな。いいかもしれない」

「明日、日程を調整しましょう」


フェデリカはもう眠りの国にいるのか、随分瞼が重そうだ。レナートも目を閉じて眠りを手繰り寄せた。



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