第十四話 帰還

「あぁ、研究ができるって素晴らしい......」


フェデリカは自室で実験結果の表を眺めて口角を上げた。

大学に帰還して一週間が経った。

婚約の話は既に広まっていたが、教授や顔見知りは皆「研究続けられるの? よかったね」と言うばかりで身分を気にする素振りは皆無だった。少し警戒していたのが阿保らしくなったくらいだ。やるつもりだった実験を帰ってきた当日に行って、今はその結果検討の最中である。式をこねくり回して頭が痛くなったところでペンを置いた。


「あ、そうだ手紙......」


フェデリカは今朝受け取って放置していた手紙の封を開けた。王弟とは定期的に手紙のやり取りをする約束をしている。王宮や貴族の動き、近況を知らせてくれるらしい。これは第二便である。


「――帝国からの使節団、か」


帝国は北の隣国だ。先代国王の最初の妻——現国王の母も帝国の姫だった。王弟は国内の貴族令嬢を母に持つので、今回の王太子廃嫡に伴って何かしらの横槍を入れてくるかもしれない。 王弟は快く送り出してくれたが、貴族や他国の対応を任せきりにしているのが申し訳ない。せめて退位についての計画を増やしておこうと思う。今のところまだ三案しかないので。


「ディー、開けてー!」

「はいはい」


手紙を読み終わったところで扉の外から騒々しい声がした。言われるがまま開けた途端、本を両手に抱えた少女が転がり込んでくる。


「ひゃー疲れた!」

「ヴィー、前から言っているけど、本を持ちすぎよ」

「えへへ」


フェデリカのルームメイト、ラヴィニアである。4年の付き合いになるが、11の時から落ち着きのなさは変わらない。


「ごはん食べた? まだなら食堂行こう!」

「はいはい」


ラヴィニアに手を引かれるがまま、食堂に向かった。定食を頼み、並んで腰かける。


「――今日はねえ、下肢の解剖をしたの。海の王国の人たちの研究論文がすごく参考になったよ!」

「そう、よかったわね」

「でもやっぱり遺体が足りないんだよねえ......ねえディー、お偉いさんになったら犯罪者以外の遺体も使っていいって法律作ってー」

「無茶言わないでちょうだい」

「――ここにいたか、二人とも」


お盆を持って近づいてきたのはカルミネだ。フェデリカの向かいに腰掛ける。


「なんかあったの、ヴァッレ」

「ラ・ヴァッレだ、アホツァーレ」

「あほっていう人が阿保なんだよー!」

「うるさい」

「話を進めてちょうだい」

「すまん」「ごめーん」


ラヴィニアとカルミネは口を開くと煽り合いになるので面倒くさい。


「砂の皇国から留学生が来るらしい」

「専攻は?」

「生物だ」

「じゃあ関係ないじゃん」

「いや、それがだな。その留学生というのが、皇族らしい」


フェデリカは目を見開いた。ラヴィニアは呑気にグラタンを頬張っている。


「へえ、変な人もいるもんだね。ヴァッレとディーだけじゃなかったんだ」


大学に通うのは裕福な商人や農民の子が多い。王侯貴族は勉学よりも領地経営、官吏や騎士として働くことが求められているためだ。高位貴族のカルミネと女性貴族のフェデリカが同期入学したのは大変珍しい。


「受け入れたのね、皇族を」

「どうやら砂の皇国側から随分圧力をかけられたらしい。貴族の血を引く教授は嫌がっていたそうだが」

「なんで?」


フェデリカは簡単に砂の皇国と我が国の現状について説明した。現王朝が前王朝を滅ぼした際、最後の皇后であり我が国の王女でもあった女性が殺されたこと。以降国交を断絶していること。


「ふーん。でも学問は誰の下にも平等に、でしょ?」

「そうね。ただ、大学が非難されるかもしれないの。まだ砂の皇国を悪く思っている人もいるから」

「えー、お金もらえなくなったら困るなあ」

「でしょう?」


大学の運営は授業料と貴族と神殿からの支援金で賄われている。法学と神学を学ばされるのは後者の支援を受ける為である。


「留学生の名前はアーキル・ザイン・タイスィール。分かるか?」


フェデリカは首を横に振る。貴族名鑑でさえ覚えるのに苦労していたのに、数年前まで敵国だった国の皇子まで把握できているわけがない。


「第十三皇子だ。生母が平民で、半皇族の扱いを受けているらしい。粗暴という噂もあるし、あちらはハーレムとか側室制度で女性が軽視されがちだから気をつけろ」

「分かったわ。ありがとう」「ヴァッレに言われるの何か癪ー」

「二度とお前に忠告してやらんぞ」


パスタを口に入れようとして、ふとフェデリカは手を止める。ハーレムや側室、と聞いて思い出したことがあった。

――3年間で好きな人が出来たら、ご自由にお楽しみくださいって言うの忘れたわ。

次の手紙に書いておこう、とフェデリカが考えている横で、カルミネとラヴィニアはくだらない言い争いをいつまでもしていた。



***



四頭立ての豪華な馬車が近づいてくる。レナートは人好きのする笑みを浮かべ、馬車から降りてきた使節を迎えた。

北の帝国からの訪問の申し入れは、フェデリカが発ってすぐに送られてきた。承諾の手紙を送るのとほぼ同時に北の国境に着いていたので、元王太子の騒動を聞きつけてすぐに訪問することは決まっていたのだろう。


「――ようこそお越しくださいました、皇女殿下」

「お出迎えありがとう存じます、王弟殿下」


美しい女だった。時と場合によっては、傾国の美女と謳われたであろう。

雪のように白い肌、流れる銀の髪、空を思わせる淡い水色の瞳。布地が多く露出が少ない北の衣装。


「お初お目にかかります。北の帝国第三皇女、エカチェリーナ・アリサ・ヴラジミーロヴナ・パトルシェヴァと申します」


皇女はその美しい顔に笑みを刷き、優雅に一礼した。




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