第十七話 教団と信者と

 男に案内されて、花畑の縁から少し離れた民家へ向かった。


 草を踏む音が柔らかい。土は湿り気を含んでいて、足裏にじわりと重みが伝わる。

 見上げれば相変わらず、天井の“偽の月”が青白い光を落としていた。


 たどり着いた家は質素な見た目だ。

 壁の角は丸く、窓枠は素朴でガラスも厚い。ドアの取っ手は金属じゃなく磨かれた木の握りだった。

 鼻先を木の香りと花の香りが混ざってくすぐる。


 ――機械油の匂いがしないな。


 それがまず、異常だった。

 ネオ・バベルでは機械の匂い、ネオンの匂いとは切っても切れない。

 上層の高級区画でさえ、少なからず機械の匂いがしているが、それが相当に薄い。

 まるで、昔の記憶にある田舎町に来た時のようだった。


 扉が軋む音を立てて開き、薄明るい室内に足を踏み入れる。床は木板で、踏むたびに軽く鳴る。

 照明はネオンでも、蛍光でもない。壁際と天井から下がる小さな灯り――火を入れたガラス製のランタンのような物が掛かっている。


 中にいたのは、男が一人、女が一人。

 連れてきた男と同じくらいの年頃――四十前後だろう。二人とも作業着に近い布の服で、肌は日焼けしている。目だけが、やけに澄んでいた。


 俺たちを見るなり、二人の肩が僅かに強張る。

 視線がローブの陰に潜り込んでくる。値踏みというより、戸惑い。

 ここに“外の人間”が入ってきたこと自体が珍しい、と言っているようだった。


「ああ、すまんすまん。新しい信者さんらしくてな、お茶でもご馳走させていただこうと思ってお越しいただいたんだ」


 案内役の男がそう言うと、空気がふっと緩んだ。


「ああ、そうだったんですか」


 女が胸に手を当て、小さく息を吐く。男も頷き、さっきまでの不審げな眼差しを引っ込めた。


 ……簡単に信じる。いや、どちらかというと“教団”の言葉を疑う発想がないって感じだな。


 俺は口角をほんの少し上げ、害のない客を演じる顔を作った。

 カヤは俺の半歩後ろでフードを深く被り黙っている。余計なことは言わない方がいい。


「夜分に申し訳ない。……皆さんは、ご家族で?」


 探りを入れる。

 案内役の男が、嬉しそうに笑った。


「いえいえ。みんな教団にお世話になってるんです。そういう意味じゃ、家族みたいなものかもしれませんね」


 本当に家族のように思っているのか、投げかける笑みは心からのように見えた。


「そうだ。大したものは出せませんが」


 女が慌ただしく立ち、奥の台所へ消える。木の器が触れ合う音。湯気の立つ匂いが、ふわっと流れてきた。


 甘い。

 それでいて、鼻の奥をくすぐるような刺激がある。

 俺の喉が、反射的に一度だけ鳴った。


 ……こいつはちょいとマズいな。


 匂いだけで分かる。

 外の花畑で見た、あの“毒花”。あれを煎じた匂いだ。

 加工すれば麻薬の材料になるが、加工前の煎液を直接飲めば……初期症状は軽くても反応は出る。


 女が戻ってきた。

 木の盆に素朴な湯呑みが並ぶ。湯気が立ち、琥珀色の液体が揺れている。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 俺は礼を言いながらも、匂いをもう一度だけ確かめるように鼻を近づけた。

 ほんの僅かに、甘い香りの裏に“鉄っぽい苦さ”がある。間違いない。


 ここで断れば怪しまれる。

 飲まなければ“信者”を偽っていることが浮き上がってしまう。


 だから。


「……すみません、連れは少しアレルギーがありまして。決まったものしか口にできないんです。申し訳ない」


 俺は申し訳なさそうに頭を下げ、カヤへ目配せする。

 カヤはすぐ理解した。

 俺にだけ分かる速さで小さく頷き、男たちへ頭を下げる。


「ああ、それはそれは。無理しないで」


 男たちはあっさり受け入れた。


「では、いただきます」


 俺は湯呑みを持ち上げ、口に含んだ。


 熱い。

 舌先を撫でる甘みが、次の瞬間、喉の奥へ落ちると同時に微かな苦味に変わる。

 草の青さ、土の匂い、薬草の渋み。その全部が混ざったような変な味だ。

 後味が長い。舌の裏がじわりと痺れる。


 そして――


 視界の輪郭がほんの僅かに歪む。

 心臓の鼓動がひとつ遅れて耳に届く。

 体温が上がり、頬の内側が熱を持つ。

 まるで、身体が“いい気分”に引っ張られていくみたいに。


 ……初期状態、軽いな。だが、このまま続けたら厄介だ。


 俺はにこやかな顔のままスキルを呼び出した。


 ――修理。


 自分にだけ分かる感覚で、体内の異物――毒性成分の流れを“分解”していく。

 熱が引き、鼓動が戻る。視界の滲みが元に戻る。

 表情は崩さない。湯呑みの縁を唇から離すタイミングだけ、自然に。


 男たちも飲んでいた。

 二人とも少し頬が赤く、火照ったように笑っている。だが、それ以上はない。

 常飲しているのか、耐性ができているのか――どちらにしても、彼らにとってこれは“日常の茶”らしいな。


 俺は二口目をわざと飲む。


 男たちの警戒がさらに溶けていったようだ。

 さて、ここからが本番だ。


「いいお茶ですね。こちらは……いつも飲んでるんですか?」


 案内役の男が、胸を張るように頷いた。


「ええ。教団の方に教わりましてね。美味しいでしょう」

「確かに。……この香り、外の花から?」

「そうそう。ここいらの畑で取れる花を煎じてるんですよ。……とはいっても、出来の悪い物だけですけどね。良いモノは教団に収めています」


 俺は湯呑みを傾ける。

 舌が微かに痺れるのを感じ、また即座に修理で分解する。


「なるほど。ところで……皆さんはどうしてここへ?」


 男の視線が遠くを見るようになった。

 誇らしさと、救われた者の安堵が混じる顔。


「……昔は地下区画サブプレートで、その日暮らしをしてたんですがね。ある時、教団の方々がいらっしゃって、働き口を用意していただいたんですよ。俺たちもその時に連れてきてもらって……」


 女も頷く。


「今じゃこんなゆったりした生活をさせてもらってます。感謝してもしきれませんね」

「そうですか……それじゃあ、ずっとここに?」

「ええ。ですが――」


 案内役の男が少し声を潜めた。秘密を打ち明けるみたいに。


「教団の方に選ばれれば、私たちも“信者”にさせていただける。だから頑張って、教団へ花を収めてるんですよ」

「……信者に?」


 俺が聞き返すと男は嬉しそうに頷いた。


「そうです。毎月、何人かが選ばれて信者にしていただけるんですよ。ほら、外で見えたでしょう。あの大きい建物に皆さんいらっしゃいます」


 そして、こちらをじっと見た。


「……あなた方は、まだ?」


 ……おっと、気をつけないとな。

 俺は内心で釘を刺しつつ、表面では柔らかく笑う。


「ええ。外から来たばかりなので、まだ拝見してないんですよ。……いや、皆さんのような素晴らしい方がいると、教団の方にもよく伝えておきます」


 その言葉で男たちの顔がぱっと明るくなった。

 自分たちが認められたい、という欲がある。教団に“選ばれたい”という渇望がある。


 俺はその熱の上にさらに質問を載せる。


「そうだ。私どもから見た教団ではなく……皆さんから見た教団の印象も、教えていただけますか」

「もちろん!」


 案内役の男が身を乗り出す。

 女も頷き、言葉を重ねた。


「教祖様は……私たち共ではお顔もお名前も拝見できず、詳しくは存じ上げませんが……」

「その下に信者の方たちが居て、基本的に俺たちと接してくれるのは信者の方たちです。皆さんお優しいしですし、何より教団の“奇跡”が使えるのが……」


 その瞬間、吹き出しが浮かんだ。

 案内役の男の頭上に、白い文字が滲む。


《あんなふうにいずれ私たちも……そうすれば痛みも恐怖もなくなる》


 痛みと恐怖……か。


 外でかち合った連中を思い出す。

 異常な再生。内臓が破綻しても動く身体。

 あれは“奇跡”と呼ぶには、あまりに歪んでいたように思えるが。


 俺が黙っていると、男はさらに続ける。


「ただ……最近、妙な人達がうろうろするようになってましてね。毛色が違うっていうか」

「……どういう?」

「信者の方たちとは恰好が違って……何というか、昔の地下区画サブプレートを思い出すような……」


 エラディカータの連中、か?

 反ジャンクヘッド派。教団と繋がっている連中。


 俺は湯呑みを置き、丁寧に頭を下げた。


「貴重なお話、ありがとうございます。助かりました。……それでは、私たちはこの辺りで失礼します」

「またいつでも!」


 男たちは、信じきった顔で見送ってくれた。






 家を出ると、夜の青白い光と草の匂いが戻ってくる。

 背後の扉が閉じ、木が軋む音が途切れた瞬間、カヤが小さく息を吐いた。


「……大分、やばい感じだね」

「ああ」


 俺は短く返し、歩きながら周囲を見渡す。


「それに、気が付いた? 機械の類が全然なかったね。不自然なくらい。それに……最近には珍しく、いた人みんな生身だった。機械化してる人が居なかった」

「正確には……違う」

「? どういうこと?」


 俺は少しだけ足を止め、さっきの家で見た“仕草”を思い出す。

 案内役の男が何度か、無意識に腕をさすっていた。肘の辺り、同じ場所を。

 女も首元を一度だけ撫でた。

 まるで、そこに“何かがあった”のを確かめるように。


 ――義体の接合部を気にする癖。

 それが、消えきっていない。


「やつら、元は機械化してた部分がある。……だが今は、生身に変わってる」


 カヤが目を見開く。


「え!? でも……そんな跡なんか全然……」

「ああ。ドクタークラスでも、あそこまで綺麗に生身に戻すのは不可能だ」


 義体化は今じゃ当たり前の技術だ。

 切って、繋いで取り替える。

 だが“戻す”のは別の話だ。

 完全に、痕跡なく、元に戻す――そんなことができるのはよほど腕がいいか、それともだ。


 カヤが唇を噛む。


「……ううむ」


 俺は視線を遠くの巨大建築へ向けた。

 牧歌的な風景の奥で、あれだけが不気味なほどの威容を放っている。


「教団……一筋縄じゃ行かなさそうだな」


 青白い夜の下、草が風に揺れる。

 花畑は美しい顔で笑っているが、その裏には針がある。



 俺たちは静かに歩き出した。

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