第十五話 侵入、ブラックボックス

 グラスの中で、氷が静かに音を立てた。

 溶けかけの氷の表面に、紫と青のネオンが交互に映り込む。


 ここは、情報屋と傭兵どもの溜まり場。上層にある、表向きはストリップになっている

 外は煌々としたネオ・バベルの夜景でも、店内は薄暗く、壁に埋め込まれた無数の光ファイバーがほのかに脈動している。

 天井から吊るされた配線ケーブルが蜘蛛の巣のように這い、低く鳴るベース音が床を震わせる。


 俺たちは、奥のVIPルームにいた。

 密談用の個室――指定通信のみ通る、完全遮断構造の部屋だ。

 情報屋御用達の場所で、裏社会では「声が漏れない箱」と呼ばれている。

 何度か使っているが、ここのシステムはある程度は信用できる。


 カヤは向かいの席で、足を組み替えながら天井を見上げていた。

 グラスの底に残った薄緑の液体を指先で回し、ぼんやりと光を反射させている。


「いいところだ。昔はこんな場所もなかったのにねぇ」

「……そうだな」


 そう言って、水のグラスを傾けた。苦みのない、ただの透明な味。


 その瞬間、卓上のホログラム端末が明滅する。

 通信だ。ドクターから。


「巣が見つかったって?」


 俺が問うと、端末から浮かぶドクターはいつもの皮肉な笑みを浮かべた。


『おう。ただし、途中で通信が切れる区間があった。セキュリティがある場所だろうな』


 ドクターが指を鳴らすと、ホログラムが拡張し、立体地図が卓上に浮かび上がる。

 ネオ・バベル全域のマップ。

 上層、地下区画、そして塔を囲むように広がる下層。

 青いフレームで描かれたソレに、点滅する一点が現れる。


「……随分と下だな」

『ああ。地下区画の最下層――俗に“ブラックボックス”と呼ばれる領域だ。入ったら帰ってこられねぇって噂のな』


 ホログラムの地下区画部が拡大され、迷路のような通路群が浮かび上がる。

 配線のように入り組んだ地下通路の線が、無数の枝葉を伸ばし、赤い点滅が一点、そこに沈む。


『相当入り組んでる。正確なルートを辿らなきゃ行き止まりだが――』


 ドクターが操作を続ける。すると、地図上に薄い光の筋が浮かび上がった。


『これが奴の移動ルートだ。途中で途切れてる箇所が2か所、セキュリティだろう。

 ここを突破すりゃ、最下層まで“ご案内”ってわけだ』


 視線で軌跡をなぞる。

 赤く点滅するゲートの印が、まるで警告灯みたいに脈打っていた。


「……カヤの方で。何か心当たりは?」


 視線を向ける。教団のであった身である。

 何か知っているかもしれなかったが。


「さっぱり。あの辺りは、昔っから曰くつきだったけどね」

「……そうか」


 肩を竦めるカヤ。 


「一旦、途中まで向かう。何かあればまた連絡する」

『了解。……気をつけろよ、修理屋』


 ドクターの声が、低く、くぐもって響く。


『最下層は、俺特性の衛星リンクも届かねぇ。テメェを探しに行くなんざ御免だぜ』


「わかってる」


 軽く肩をすくめると、ドクターの映像が消えた。

 ホログラムの光がフェードアウトし、部屋は再びネオンの青だけになる。

 壁のスクリーンに映る都市の夜景――闇が覆うが、今から行く場所は常夜城。関係ない。


 ジャケットを羽織り、扉横のパネルに手をかざす。


「行くぞ」

「了解、相棒」


 昔を思い出す、軽いやり取り。


 ロックが外れると同時に、店内の喧騒が一気に流れ込む。

 電子煙草の煙、濃い酒の匂い、笑い声と取引のざわめき。

 それらを背に、俺たちは再び夜の通路へと足を踏み出した。




* * *





 地下区画のさらに下――耳の奥に、鈍い水音が響く。


 ここは大型排水路だ。

 天井は高く、壁は分厚い強化コンクリートで固められている。ところどころに黒ずんだ染みや、油と泥が混ざったような汚れはあるが、崩落の気配はない。

 何十年、いや百年は持つ設計だろう。上層を支える柱の一部。頑丈に作られていて当然だ。


 俺は手の中に浮かぶ小さなホロルートを見下ろし、カヤと進行ルートを再確認する。

 薄暗い水路に、淡い青の光が線を引く。


「……もうすぐだ。次の分岐を越えた先に、最初のセキュリティ」


 小声で告げると、隣を歩くカヤがローブの奥で小さく頷いた。


 俺たちは二人とも、大きめのローブを深く被っている。

 一見すれば、どこにでもいるボロ布をまとった下層民。

 だが中身は、簡易の耐衝撃層と耐電層を重ねたコーティング装備だ。

 銃弾には心許ないが、電撃スタンや破片程度なら弾いてくれる――“無いよりはマシ”な装備。


 ここまでの道中は、存外、平和だった。


 スリが伸ばしてきた手を一度吹き飛ばし、錯乱した薬中が突進してきたのを壁に叩きつけた程度。

 銃を抜くまでもない小競り合い。実に平和だった。


 そして――問題の場所が見えてきた。


 水路がいきなり人工的な構造物に遮られる。

 巨大な車両用ゲート。

 物流搬入路らしく、幅も高さもトラックが余裕で通れるサイズだ。

 ゲートの両脇には、簡易装甲の詰所。

 警備員が二人、だらしなく椅子にもたれている。


 俺たちは少し離れた配管の陰に身を潜め、様子を窺った。


 ――ちょうど、大型トラックが一台、低いエンジン音を響かせて入ってくる。

 ゲート脇の装置が青く光り、機械音声が淡々と告げる。


《ID認証……OK》

《危険物スキャン……問題なし》


 それだけで、通過。

 続けてもう一台。

 警備兵の一人が運転席に顔を寄せ、雑談めいた口調で声を掛けている。


「今夜は多いな。どこ向けだ?」

「上からの指示だよ。医療区画だとさ。中身は知らんがな」


 笑い声。

 気が緩み切った空気だ。


 ……思ったより、ザルだな。


 カヤがローブの奥で、俺の袖を軽く引いた。


「力技でもいけそうだけど?」

「無駄に暴れる必要はない。静かに行くさ」


 俺は、ホロルートを閉じ、意識を集中させる。

 距離が少しあるせいか、薄く、ぼんやりと、ゲート周辺の人間たちの“吹き出し”が浮かび上がる。


《あと一時間で交代だ……帰ったら酒でも飲むか》


《あー、腹減った……次の車両はいつ来る?》


《さっさと通って帰りたい。余計な検査は勘弁だ》


 拍子抜けするほど、何も考えていない。

 緊張も、疑念も、ほとんどゼロ。


 ……よし、いけるな。


「カヤ、少しだけ“事故”を起こす。音出すなよ」

「事故?」

「機械のな」


 俺たちは、物陰から一気に距離を詰める――のではなく、まずはゲート脇の廃棄端末に忍び寄る。

 警備達はまだトラックの運転手と雑談に興じている。距離は十数メートル。多少の物音では聞こえない。


 検査ゲートの電力基盤装置が視界に入る。ゲート上部に取り付けられている。

 俺はローブの内側から、消音機を付けた銃を取り出して狙いをつける。


 パスン。


 空気が漏れた様な少し甲高い音と共に、装置に穴が開く。

 機械が、短く痙攣するように振動し、バチバチと火花を散らす。


 数秒後、検査ゲートが甲高い警告音を上げた。


《警告:サブセンサー系統エラー》

《再起動中……》


「……あ?」


 警備兵たちが、慌てて警備室にある制御用のモニターを覗き込む。


「なんだよ、またか?」

「この前も壊れただろ!」


 二人とも完全に“機械のトラブル”だと信じ込んでいる。

 警戒心は、ゼロ。


 その瞬間を逃さず、俺はゲートに触れ“修理”を発動させる。

 銃痕が消える程度に割合を調整、完全には修理しない。


 ――ゴウン。


 低い音を立てて、巨大なゲートが、ほんのわずかだけ開く。

 警備が声を上げる。


「おい、今のうちだ、チェックはさっきので終わりだからさっさと通っちまってくれ!」

「記録は、手動で付けとく!」


 トラックの運転手は、バタバタした警備に一瞬目を白黒させるが、エンジンを入れてアクセルを踏む。


 ――俺とカヤは、そのトラックの“影”に紛れ込んだ。


 荷台の真横。

 ローブを翻さぬよう、重心を低く、足音を殺す。

 目立たないこと、それだけに全神経を注ぐ。


 トラックが進む。

 ゲートの下を、俺たちは何事もなかったかのように通過した。


 警備兵の思考が、背後で流れる。


《なんだぁ? 動作正常? ちっ。誤作動か、報告書が面倒だ》

《今日はツイてねぇな。念のため、交代の連中に機械のチェックを投げておくか》


 ――こちらを見る“余裕”すらない。


 完全にゲートを抜け切ったところで、トラックが速度を上げる。

 俺たちは配管の影へ同時に跳び込み、静かに距離を取った。


 水音だけが、また耳に戻る。


「……上手くいったね」

 カヤが小声で微笑う。


 俺は短く頷き、息を吐いた。


「さて、進むぞ」


 ホロルートを再展開する。

 青い線は、さらに深い闇へと続いている。


 ――この先が、“ブラックボックス”。

 戻れないと噂される、最下層への入口だ。

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