第十話 時には昔の話を

 セーフハウスの扉が閉まる音を背に、俺たちは地下区画サブプレートを離れるために走り出した。


 払い下げの装甲車――元は軍用の輸送車を、ドクターが自分好みに改造した代物だ。

 装甲板はまだらに剥げ、外装には焼け跡のような痕が点々と残っている。

 だが、エンジンをかけると、重低音が腹の奥に響く。


 ここまで乗ってきたワゴンは、地下区画用のものだそうだ。

 確かに、あんなので上層を走ってたら警察機構にいらん尋問を受けそうだ。


 バウンサーはセーフハウスに残った。

 死体の処理、システムの再調整、そして防衛ラインの再設定。

 本人はこっちに付いてきたがっていたが、ドクターから仕事を仰せつかって、しょんぼりと見送ってきた。

 廃墟まみれのあの区画で、しばらくは孤独な夜を過ごすことだろう。


 俺たちは、上層、『ノクターン・ヴェール』を目指す。

 バラす本命の信者が朽ちてしまい、カヤも覚醒してしまったので、“上”に上がったほうが都合がいいらしい。

 確かに、上層なら多少は警察機構なんかの目もある。ここよりかは安全かもしれん。


 朽ちてしまった男の体組織の一部を、保存用のカプセルにいくつか小分けにしてケースに入れて運んできた。

 詳細の成分検査に掛けるのが楽しみなのか、時折運転席の横に置かれたそのケースを、ニヤニヤと笑いながらドクターが撫でる。


 狭い通路を抜けると、装甲車のライトが灰色の壁を照らした。

 そこは「道」というよりも、工業施設の裏側そのものだった。

 業務用トンネル。鉄骨と配線、管が走る。

 湿った空気の中で、排水が静かに滴る。

 遠くでエンジンの反響が壁を這うように返ってきた。


地下区画サブプレート、私の時代にはここまで人が入ってきてなかった気がするな」


 カヤの声。

 透き通るようなボーイソプラノが、車内の機械音の中で浮かぶ。


「まぁ、昔から住んでた連中はいるみたいだがな、それこそ最下層辺りは百年物って話も聞くが……。地下区画とまで呼ばれるようになったのはここ二十年くらいじゃねぇかな」


 と、ドクターが応じた。

 ハンドルを軽く叩きながら、にやりと笑う。


「俺よりも、修理屋の方が詳しいんじゃねぇか」


 バックミラー越しにこちらに視線をよこしながら言ってくるが、別にそこまで詳しくはない。

 せいぜい迷子にならない程度のもんだ。


 俺が肩を竦めていると、ドクターが「へっ」と短く笑う。


 車体が揺れるたび、車内の蛍光灯がちらついた。

 天井には剥がれかけた警告ステッカーがユラユラと踊っている。


 カヤは、俺の正面に座っていた。

 軍用車両特有の対面シート。特に拘束などはしていない。

 心配性のバウンサーだけがオロオロとしていたのを思い出す。


 濡れた銀髪はすでに乾いて、薄暗い照明の下で淡く光を放っている。

 ドクターの私物である、タンクトップにカーゴパンツ、ダボッとしたジャケットを羽織っている。


 ただ一点。“彼女から”申し出てきて保険をかけた。


 喉元の、黒いチョーカー。

 一見、ただのアクセサリー。

 だが中には小規模の爆薬が仕込まれている。周囲に与える影響はほぼないが、首を吹き飛ばすには十分な威力。

 ただ、“普通の人間相手には”という但し書きが付く。どこまで効果があるのやら。


 取り付けたのは、俺だ。

 セーフハウスでソレを付けたとき、彼――いや、“彼女”は鏡に映るそれを眺めて微笑んだ。


「似合う?」


 冗談めかした口調に、返す言葉がなかった。

 ドクターは運転席でその様子を見て、にやりと笑った。


「まるで、一昔前の恋人同士みたいだな」


 軽口を叩きながらも、カヤを見る目はどこか狂気が潜んでいる気がした。

 まあ、いつもの事と言えばいつもの事では、ある。


 ドクターは、笑いながらも常にバックミラー越しに俺たち、カヤを観察している。


 エンジン音が低く唸る。

 上層へと続く昇降トンネルが近い。

 通路の壁に取り付けられた非常灯が、間隔をあけて次々と点滅していく。

 それを抜けるたび、車内が赤と白に染まる。


 しばらく沈黙が続いたあと、ドクターが口を開いた。


「なぁ、修理屋。少しは昔話をしてくれよ。カヤの嬢ちゃんも興味ありそうだしな」


 バックミラー越しの笑み。

 わざとらしい口調だが、興味は本物らしい。


「そうだね」


 カヤも頷く。


「私も聞きたいな。私が死んでからのこと」


 俺は窓の外に視線をやる。

 壁を流れる光の筋が、まるで過去の残像みたいに見えた。


「……面白い話じゃないさ。カヤが死んだとき、俺もひどい怪我を負ってた。

 内臓も骨もぐちゃぐちゃで、呼吸ひとつするのもやっとだったらしい」


 当時を思い出す。苦い思い出。

 あの頃は、自分の“修理”なんてできなかった。


「結局、治療の当てもなく、世話になってた人が俺を冷凍保存した。で、気づいたら、目の前にブリキ頭が立ってた」


「ブリキ頭……って、まさかジャンクヘッドか?」


 ドクターが運転席で肩を跳ねさせる。


「エラディカータの大幹部じゃねぇか。それにコールドスリープだと?よくもまぁ、無事だったな」


 カヤも驚いたように目を見開く。


「……コールドスリープの覚醒率って、たしか十パーセント切ってたよね」


 俺は肩を竦めて答える。


「運がよかったんだろうさ」


「まったく、そういうとこ変わらないね」


 カヤが小さく笑う。


「昔から、死線を越えても悪びれやしない。残されるかもしれない人の事なんてお構いなし」


 言って、こちらを覗き込むカヤに、何も答えることなく目を閉じる。


 それきり沈黙。

 車の揺れだけが、変わらずに続く。


「で? 目覚めた後は?」


 ドクターが問いを重ねる。


「……俺はひとりだったらしい。ジャンクヘッドは“古い施設の奥で見つけた”と言ってたが、後で確かめに行っても、覚えのない場所だった。

 そこから先は……まぁ、修理屋をやりながら、静かに生きてきたってところだ」


「静かに、ねぇ」


 ドクターがジト目で振り向く。

 カヤがくすりと笑う。


「ふふ、嘘ばっかり。

 レイが“静か”だったことなんて、一度もなかったよ。

 無鉄砲で、すぐにトラブルに首突っ込むタイプだったじゃない」


 肩をすくめる。


「おいおい、今よりも無鉄砲だったら、今頃ここら一帯は更地になっててもおかしくないな」


 バンバンとハンドルを叩きながらドクターが笑う。

 俺は窓の外を見たまま、答えなかった。


 カヤは、少しだけ視線を落とした。

 首輪の爆弾――その黒い輪に指を添える。

 そして、穏やかに言った。


「また、昔みたいに一緒に色々出来たらいいな」


 ぼそりと言った言葉だが、本心かどうかは分からなかった。

 なぜか、変わらず彼女の吹き出しは見えない。


 沈黙。

 エンジンの音だけが、低く、地鳴りのように響く。


 ドクターが何か言いかけて、やめた。

 代わりにアクセルを踏み込み、車が加速する。


 トンネルの出口が近い。

 上層へ向かう昇降リフトの光が、遠くに見えた。


 カヤの銀髪が、車窓の光を反射して淡く光る。

 それを見ていると、ほんの一瞬、昔の光景が重なった。


 廃墟の屋根の上。

 夕陽に染まった赤い空の下、髪が風に揺れていた。

 あの時の笑顔。あの時の声。

 すべては遠く、記録の中の残響のように。


「……昔話はここまでだ」


 そう言って、窓の外へ視線を戻す。


 地上へ向かうエレベータースロープが見えてきた。

 金属の扉がゆっくりと開き、上層の光が差し込む。


 ドクターがスロットルを引く。

 装甲車が唸りを上げて前進した。


 地下の空気を脱ぎ捨て、俺たちは再び“地上”へと昇っていく。


 銀の髪が、その光を反射して輝いた。


 まるで――

 死者が、陽の下に帰っていくように見えた。

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