第五話 信仰と肉体と

 ──ゆるゆると歩く。


 足元の鉄板が、油と血でぬめり、ブーツの底が嫌な音を立てた。

 肩が触れれば喧嘩、視線が合えば殺し合い。

 ここじゃ挨拶代わりみたいなもんだ。


 案の定、脇から現れた若造が、俺の肩にぶつかった瞬間――


 ヒュン、と光が走る。

 手にしていたレーザーナイフが俺の腹を狙って突き出された。


 遅い。


 乾いた銃声が、音よりも先に空気を裂いた。

 若造の頭が、ぱん、と軽い音を立てて弾ける。

 飛び散る赤と鉄の匂い。


 その場に崩れ落ちた死体は、一拍もおかずに路地の闇から伸びた手に引きずり込まれた。

 ぐじゅり。

 生々しい音が一瞬だけ響いて、すぐに掻き消える。

 誰も驚かない。ただただ“おこぼれ”に預かれなかったのを残念がるような視線だけ。


 俺は軽くため息をつき、まだ煙を上げる銃口を払いながら歩を進める。

 すると、少し先の路地の奥で妙に賑やかな声が耳に入った。


 ――見覚えのある、甲高い笑い声。


 目をやると、雑多な露店の一角。

 古びた機械パーツの山を背に、二人の男が商人を相手に口論していた。


 ひとりは巨躯。

 ギャング風のテックジャケットを着込み、胸元にはハンドキャノン。見せ札だな。

 拳で分からせる方が得意そうな雰囲気。


 もうひとりは、小柄というより……子ども。

 大男の腰あたりの背丈。

 ふんわり跳ねた赤茶のくせっ毛が、蛍光灯の光を反射してちらついている。

 それでいて、纏っているのは白衣。

 このクソみたいな空気の中でも、驚くほどの白さを保っている。電気素材がどうのこうのと言っていたが、聞き流していたことだけは覚えてる。


「ど、ドクター。まずいですよ。こんなところで喧嘩腰は……」


 おどおどとした声。

 大男の方が、周囲を見回しながら情けないほど小さくなっている。


「なんだなんだ、ビビりやがって! それでよくガードが務まるなァ!」


 キヒヒと笑う声。

 子どもの声変わり前みたいに高いのに、言葉の端々にオッサンの臭いが混じっている。


 お馴染みの掛け合いだ。


 俺は苦笑しながら近づき、ポケットからキャンディを一本取り出した。

 パッケージを捲る前に、白衣の方がこちらに気づく。


「……よぉ、修理屋。こないだは助かったぜ」


 にやりと笑い、両手を広げる。


「よぉ、ドクター。奇遇だな」


「まったくだ。こんなゴミ溜めで再会するとはね」


 背恰好に似合わぬセリフ。

 肩をすくめながら、赤茶の髪が小さく揺れた。


 “ドクター”。

 上層区の高級クラブ《ノクターン・ヴェール》に店を構える改造医。

 外見こそ子どもだが、中身は生まれ変わりを幾重も重ねた古狸だ。

 チップの件で、協力をしてもらったが、その後の経緯は特に聞いてはいないが……。


 そしてその隣でオロオロしている巨漢は、その店の用心棒――“バウンサー”。

 だが、どちらかといえば飼い犬の方が近い。


「にしても、ドクター。あんたが下まで降りるなんて珍しいな」


「ちょいと仕入れだよ。上のヤツらが欲しがるもんは、大抵ここに転がってる」


「違いねぇ」


 白衣の裾を揺らしながら、ドクターが露店の山を指差す。

 そこには、義眼、人工声帯、未使用の神経インターフェイス……

 どれも違法の匂いしかしない代物が雑に積まれていた。


「で、アンタは? 観光気分で下見にでも?」


「似たようなもんさ。探し物ついでに、お散歩だ」


 俺の返しに、ドクターは口角を上げた。

 その瞳の奥に、妙な光。

 何かを知ってる顔だ。


「……へぇ。探し物、ね。そいつ、もしかして“例のチップの件”に関係あったり?」


 ピクリ、と指が止まる。

 キャンディの棒が、わずかに揺れた。



 ドクターが口の端を上げて笑う。

 その笑いには、いつもどこか悪戯めいたものが混じっていた。


「……へへ、その顔は、図星だな」


 そう言って、くせ毛の頭をかきながら白衣の裾を翻す。

 狭い路地裏をずんずん進むその背中は、ちびのくせに妙に堂々としている。


「ドクター、また勝手に動いて……!」


 慌ててついてくるのは、いつもの相棒のバウンサー。

 デカい体で人混みを押しのけ、まるで子犬のように後ろを追っている。


「うるさいねえ、黙ってついてくりゃいいんだよ。こいつには“見せとく価値”があるんだ」


 ドクターがそう言うのを聞いて、俺は肩をすくめた。


「……また妙なブツでも拾ったのか?」


「拾った? んん、まぁそんなところかな。――“お前が興味持ちそうなヤツ”をな」


 にやりと笑うドクター。

 嫌な予感しかしねぇ。


 路地裏は一層暗く、天井から吊るされた電線がスパークして光る。

 足元にはナノカーボン製のパネル屑や錆びた義肢が転がり、

 何かの液体が鉄臭い匂いを立てて流れていた。


 ドクターの白衣が薄汚れた照明を反射し、狭い路地でぼんやりと光っていた。

 その小さな背中を追いながら、俺は息をひとつ吐く。

 焦げた鉄と腐敗した油の臭いが、鼻の奥にこびりついて離れない。


「ほら、こっちだ」


 そう言ってドクターが足を止めたのは、廃材の山の奥に停められた一台の車だった。


 ──白いワゴン。

 古い型の応急医療車。

 外装の塗装は剥げ、ナンバープレートは削られ、側面には奇妙な紋様がスプレーで描かれている。

 輪の中に、ねじれた十字。

 ガラクタ市に降りてから、どこかで見た覚えのあるマークだった。


「……その印、気味が悪いな」

「気味が悪い? 違うねぇ、“流行り”だよ。

 下の方じゃ、ありがたがる連中がいくらでもいる。信仰ってやつさ」


 軽く笑いながら、ドクターは車のロックを外した。

 ガコン、と金属音。扉が横にスライドして開く。


 車内に踏み入れた瞬間、鼻を突く薬品と消毒液の匂い。

 人工血液の金属臭が、それに重なっている。

 壁際には古びた医療機器と、見慣れぬ“信号器”のような装置が並び、

 中央には透明なポッドが一基。


 中に浮かぶのは、まだ小さい、少年と言っていい程の体だった。


「こいつは……」


 声が漏れる。

 ドクターはにやりと笑い、首を横に振った。


「おっと、勘違いするなよ。 俺の作品じゃない。そいつは“別物”だよ。人間と構造は似てるが、精度が高すぎる。

 血液の中に“コード化されたナノ”、それも通常じゃありえないパターンが走ってる」


 ガラス越しに見る少年の肌は、わずかに青く透けていた。その背には、デカデカと描かれた十字。

 ワゴンに描かれたものと同じ、信仰の印。


 管の先で光る微細な電流。

 それが、まるで神経のように脈動している。


「……どこから手に入れた」


「まぁまぁ、ちょいとな。伝手ってヤツだ」


 ちょんちょんと、指先で自身の体を突くドクター。

 なるほど、いつもの“趣味”か。


 ドクターが続ける。


「まぁそんなこたぁどうでもいい。大事なのはこっから。

 製造ログを漁ったら、こいつがびっくり、そっくりなんだよなぁ、コードが。例のチップと。な、興味が出てきたか」


「……オラフ・カーヴェルか」


 ドクターは肩を竦め、鼻で笑った。


「妙だろ? あとこの背中の印の宗教なんだがな、最近ここらで流行ってるらしくてな。“再生”を信仰に掲げてるんだと。

 そいつら、《灰の祈り(アッシュ・アーク)》って呼ばれてるらしい」


「……灰の祈り、ね」


「“人を神の部品に還す”んだとさ。笑っちまうだろ? でも、笑えねぇのは……そいつらの中に、オラフらしきヤツが居るって噂だ」


 ドクターのくせっ毛の隙間から覗いた瞳が、光を反射して赤く見えた。


「……確かか?」


「さぁな。俺は俺の目的の為に色々と集めてるだけだ。噂はそのついで」


 軽く笑ってみせたその顔は、どこか陶酔しているようにも見える。

 ドクターの夢、自身で作る最高の肉体。それと近しいものを感じているのだろうか。


 俺はポッドの中の少年を見下ろす。

 四肢が、対流とは関係なく、ゆらりと揺れた気がした。

 微細な泡が立ち、管の中の液体がわずかに流れを変える。


 ドクターが片眉を上げて笑った。


「……動いたろ?」


 それが機械的な反射じゃないと、直感が告げていた。


「こいつは、医学的には死んでるはずだが、今みたいに反射反応を起こす。俺も何とか治そうとしたが、無理だった。

 修理屋。あんたなら、“直せる”んじゃないか?」


 ドクターの言葉に答えず、ただ、ポッドを見つめる。


 指先がポッドに伸びかけていた。


 その時だった。

 ワゴンの外から、ゆっくりと低い声が響いた。


 ──「お前たちは、神の領域に触れている」


 バウンサーが外を覗く。

 外灯の下、ローブを纏った影が三つ。

 さっきのマークを胸に刻んだ連中が、静かにこちらを見ていた。


 ドクターは、心底愉快そうに笑った。


「おっと。噂をすれば、ってやつか」


 俺は舌打ちし、コートの内側に手を入れた。


 また厄介な夜になりそうだ。

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