第三十五話 第二技術局
屋上階段を降りると、足元から金属質な硬い音が響いた。
ロゼリアと、まだ足元が覚束ないセシリーも後に続く。
おっとそうだ。
「セシリー、室内だと髪が長いと邪魔だろう。ちょっと切ってもらっても良いか?」
急な俺の提案に、セシリーは首を傾げ、ロゼリアが不満を漏らす。
「なんだい藪から棒に、女の子の髪を切るなんてそんなこと……」
ロゼリアの声が途中で止まる。俺の目を見て何かを察したらしい。
しぶしぶ頷くと、「私がやるよ?」と言ってセシリーの了承を得て、腰付近まであった髪の毛を肩口くらいで切り揃えた。
「あ、あのぅ、短い方がお好みですか?」
セシリーがおずおずと聞いてくるが、曖昧な笑顔でお茶を濁しておく。
うんうん、似合う似合う。
さて、気を取り直して進むか。
ビルの内部は冷たい。照明は半分以上が落ち、非常灯だけが点々と白い線を描いていた。
銃火の残り香、焦げたプラスチックの臭いが鼻に刺さる。
俺は誰も居なくなった最上階フロアを進みながら、頭の中で構造図をなぞる。
ここは役員たちの私室や会議室、金稼ぎ屋共の部屋だ。とりあえずのガサ入れ先としては上々。
俺たちの後に続く警察機構の連中が、方々に散っていく。
一旦の目的地は――第二技術局の研究フロア。
そこに残っているかもしれない証拠――「第九」との繋がりを証明するログの一つでも見つかれば、そこを突く材料にもなる。
ただ……悠長にそんなもん残しておくかは疑問だがね。
ロゼリア的にも、実働であろうヴィーラ社を潰せればとりあえずは良し、みたいなところもあるみたいだ。
中枢の娘さん方に手を出した時点で、ヴィーラ社は詰んでるんだよな。結局。
今潰れるか、あとで潰れるかの違いだけ。
物理的にも、まさに今潰れて言ってる最中だ。
ちなみに、ヘリの上で聞いた話だと別動隊が役員宅を強制執行中だそうだ。
一斉に動いてるってことは、警察機構の上層部も重い腰を上げたらしい。
だがそれで「第九」がどこまで追求できるかは、正直怪しいがね。
……だがまぁ、元凶が潰れりゃ、とりあえずは一件落着ってやつだ。
肩を回しながらさらにフロアを降りる。
屋上に置いてきた“デカブツ”――あのガトリングはさすがに持ち歩けない。
あれを室内で振り回すのはちょいと趣が悪い。
代わりに、腰のホルスターから拳銃を抜く。
ハイエナジー拳銃。こいつもロゼリアからの提供品。本来は一般には出回らせない軍用のモノ。
まぁ、出回らせないというか、出回らないというか、要は欠陥品なんだよね、コレ。
大口径・高出力、そして扱いづらさもピカイチ。
一発ごとに廃熱処理が必要で、さらにエネルギーセルの交換も必須という代物。
使いどころがない。
だが、俺には関係ない。
壊れたら直せばいいだけ、弱点なんて、ない。
吹き出し――思考感知のスキルを広域展開。
意識のざわめきが壁の向こうから染み出してくる。
「敵意」「恐怖」「混乱」。
赤く光る吹き出しが空間に浮かび上がり、敵の位置を正確に示した。
「壁越し……っと」
照準をわずかにずらして、引き金を引く。
ドンッと短い反動。
グラス大の穴が壁に開き、その向こうで、何かが崩れ落ちる音がした。
どさり、どさりと続けざまに二つ三つ。
ロゼリアはため息、セシリーは顔を青褪めさせてこちらを見る。
え? 前みたいに吹き出しだけ狙って気絶させないのかって?
――なぜ、そんな面倒なことを。
前回は“お嬢さん方”が絡んでたから、多少は手加減しただけだ。
今は違う。
逆恨みでもされたら厄介だからな。
ここは片づける、ただそれだけ。
フロアごとに動きを止めながら、俺は淡々と降りていく。
主要区画を制圧するたび、上層の隊員たちが後詰めで入ってくる。
制圧、引き渡し、次の階へ。
それを繰り返す。
途中、白衣姿の一般社員を何人か見かけたが、流石に攻撃はしない。
彼らは怯えたように壁際でしゃがみ込み、こちらを見ることすらできない。
俺はちらり、と一瞥するだけでその場から去る。
その後に続く形で、あとから来た隊員たちに拘束され、連れていかれる。
覇気もなく、ただただ俯いて。
足元の床が、静かに軋む。
階段の先――第二技術局のフロアが近い。
俺は息を整え、銃を持ち直す。
「……さて、そろそろかな」
吹き出しは出ない、が、濃厚な気配が階下から漂ってくる。
* * *
階段を降り切った瞬間、空気が変わった気がした。
無機質な冷気が頬を撫で、電気の匂いが鼻を刺す。
フロアの入口脇に掲げられた銀のプレート——《第二技術局》の文字が、非常灯の明滅に合わせて赤く光った。
……ここだな。
扉を開けると、奥へと続く広い空間が現れた。
ワンフロアぶち抜き。
研究室というには広すぎる印象だ。
白い床には黒いコードが這い、壁際にはモニター群が並ぶ。
ホログラム投影機の残光が宙を漂い、誰もいないのに、そこだけ人の気配が残っているように感じた。
「でっけぇな……」
思わず、といった具合に後ろでロゼリアが呟く。
どこかに人が隠れていてもおかしくないが、吹き出しは無し。
静まり返った空間には、端末の唸りと液体の泡が弾ける音だけが響いていた。
培養カプセルが壁際に整列している。
中はどれも空っぽだが、淡く発光する溶液だけが残っており、ぼんやりと青白い光で周囲を照らしていた。
照明が半分落ちた研究フロアの中で、その光が揺れるたび、影が生き物のようにうごめいて見える。
ロゼリアとセシリーが後ろに続く。
セシリーは緊張のあまり、息を潜めていた。
フロアの中心。
かつて所員たちが憩いの時間を過ごしたであろう開けたロビーのようなスペース。
そこに——黒い巨躯が立っていた。
背丈は二メートルを優に超え、鋼の外装が光を吸い込むように鈍く輝いている。
顔はマスクで覆われ、呼吸のたびに低く機械音を鳴らしていた。
屋敷では気が付かなかったが、胸元には《V-09》の刻印。
ヴィーラ社の戦闘用強化義体——最新型だ。
……お出ましか。
俺がゆっくりと照準を合わせた、その時だった。
視界の端に、金色の閃きが差し込む。ロゼリアの義手だ。
彼女の腕が、俺の前にスッと伸びてきて、銃口を押し下げる。
「悪いな、修理屋」
いつもの軽口とは違う、静かで、それでいて圧のある声。
「ちょいと、ここは私に任せてくれないかい」
尋ねるような口調ではあったが、断る選択肢は初めから存在していなかった。
表情には一片の迷いもない。
眼光が、既に戦場を見据えている。
俺は小さく息を吐き、肩を竦める。
「あんまり壊すなよ」
「保証は出来んね」
短く応じると、ロゼリアは一歩前に出た。
金属ブーツの音が床を叩き、響く。
その背中を見送りながら、俺はセシリーの肩に軽く手を置いて少し下がる。
「……だ、大丈夫なんですか?」
心配の声を上げるセシリーに、ひらひらと手を振って答える。
大丈夫大丈夫。あいつはな、こう見えて"本職"なんだよ。
ロゼリアの背中から、静かな熱が立ち上っていた。
金属と肉体が融合した義体の隙間から、微細な電光が迸る。
一歩進むごとに、足元の床がピシリと音を立てた。
フロアの中央で向かい合う黒と金。
機械の心臓が唸りを上げ、空気が震える。
電磁ノイズが走り、壁のモニターがそれに反応してか、チカチカと明滅した。
まるで、見えない火花が空間を焦がしているようだった。
義体同士のぶつかり合う気配が、目に見えないのに、肌で感じ取れる。
――戦いが始まる。
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