第二十四話 誰かと誰か

 見覚えのあるその顔を、俺はしばし無言で見つめた。

 まじまじと、真正面から。

 光を取り戻した人工肌の下で、微かに血色が宿ってきているようにも見える。

 冷たく静止しているのに、不思議と“生きている”気配がある。


 ――やはり、似てる。


 目を閉じた横顔のライン。

 唇の形。

 そして、わずかに下がった眉尻。


 セシリー・レインブルグ。

 ルシアの妹。

 ベッドの上で眠る彼女を見下ろした記憶が、ゆっくりと蘇ってくる。


 髪の色こそ違えど、造形はほぼ一致していた。

 彫像のような整い方が、かえって不気味なほどに。


 だが、どうして――。


 コルドーの事務所で見た“吹き出し”。

 もし、あれが――セシリーの“声”だったのだとしたら?


 バカげてる。俺自身がそう思う。

 だが、馬鹿げているほどに、妙な納得感もあった。


 “チップ”か。


 一番怪しいのは、それしかない。

 だが、たかが数センチの金属片に、人格が乗り移るなんてことがあり得るのか?


 確かに、完全義体――肉体を丸ごと機械化する連中はいる。ドクターもその一人だ。

 脳を残し、他の制御機関を義体へと変換している連中。

 だが、あれは“変換”であって“転移”じゃない。


 脳という“司令塔”は常に必要で、機械はその延長線上にあるだけだ。

 バックアップデータも同じ。

 保存されるのは記憶――ただの記録。

 “心”じゃない。


 いくら高性能な義体でも、人格を呼び戻すことはできない。

 データをコピーしたところで、新しい容器の中で再生されるのは“人格”ではなく、“記録”だ。

 人間で言うなら――日記帳を増刷しても、本人が増えるわけじゃない、という理屈だ。


「……なのに」


 目の前にいる“彼女”は、たしかに何かを宿している。

 それが錯覚だとしても、ただの偶然だとしても、納得はできなかった。


 俺がじっと見つめていると――


 ふいに、ホログラムの吹き出しが二つ、同時に現れた。


『ここは、どこ』

『ここは、どこ』


 同じ文面。まったく同時。

 これまで、吹き出しが連続で出たことは何度もあったが、同時に重なったのは初めてだ。


「……二人いる?」


 そう思った瞬間、首筋がひやりと冷えた。

 仮に片方はセシリーだとしたら、もう一人は――


 ――プルルルル。


 不意に、車内の静寂を破る着信音。心臓が一瞬だけ跳ねる。

 視線を落とすと、通信端末が点滅していた。


 妨害電波は出しているが、内部回線への通話は通る設定だ。

 表示された名前を見て、俺はため息を一つ。


「……ロゼリアか」


 受話を開く。


『おう! こっちの準備はできたからよ、いつでも大丈夫だ!』


 元気いっぱいの声が耳を刺す。

 ちらりと時計を見ると、確かにもういい時間だった。


「わかった。今から向かう。確かお前んとこの家、地下ガレージがあったろ? 完全遮断式だとか言ってたよな」


『うん? ああ、そうだ。車体に変なモン付けられると厄介だからな。……それがどうした?』


 怪訝そうな声。


「いや、悪いが、そっちのガレージに車入れさせてもらってもいいか?」


『……まぁ、構わんが。何かあったのか?』


「いや、最近物騒だからな」


 言葉を濁す。細かいことは気にしない性格の彼女だ、問題ないだろうさ。


『……ふうん。わかった。気をつけて来いよ』


 通話が切れる。ほらな。


 ふっと息を吐き、視線を助手席へ向ける。

 タオルケットの下、修復された“彼女”の顔は静かに眠っている。

 吹き出しは――消えていた。


 ……沈黙。

 だけど、空気の密度が少しだけ変わった気がした。


「……セシリー、なのか? それとも――」


 誰にも届かない問いを、車内の静寂に投げた。

 紅いエンジンの鼓動がゆっくりと回転数を上げていく。

 アクセルを踏み込み、ネオンの踊る街並みに車を走らせていった。






 * * *






 上層の街を抜け、広い通りから一本外れると、周囲の喧騒が嘘のように消えた。

 高層ビル群の間にぽっかりと空いた静寂の空間――そこに、ロゼリア・クラインハルトの屋敷があった。


 豪邸、というほどではない。だが“余裕”がある。

 上層の高級住宅街において、この敷地面積を個人で持つ人間はそう多くない。

 塀の外からでも、セキュリティ網が二重三重に張り巡らされているのが見て取れる。

 侵入者を見つけたら即座に焼き払うタイプの、無慈悲な防衛システムだ。


 車内で小さく笑う。

 ロゼリアが第七戦術統制課――“セクター7”所属のエリートということを考えれば、この徹底ぶりも当然か。

 彼女の性格を知っていれば尚更だ。

 防犯の完璧さは、神経質というより、職業病の延長みたいなものだろう。


 ゲート前で停車すると、無機質な機械音声が響いた。


《ID確認。生体認証を行います》


 その声に従い、窓を開けて顔をスキャンに晒す。

 赤いレーザーが額から顎先までをなぞり、続けて掌認証。

 短い電子音と共に、ゲートが静かに左右へと開いた。


 アクセルを軽く踏み込み、ゆっくりと敷地内へ進む。

 整然と手入れされた並木が並び、夜でもセンサー式のライトが足元を照らすのだろう、いくつかの埋め込み式のライトが見える。


 あれ、いくつかショック性の対人地雷だな。


 だが、人の気配は一切ない。

 完璧なオートメーション制御のせいか、どこか人工的な無機質さが漂っていた。

 ……まるで、人が住んでいる“家”というより、兵器の格納庫みたいだ。


 やがて邸宅が視界に入る。

 鋭いラインの外壁、セラミック素材で覆われた無骨なデザイン。

 その一角に繋がる地下ガレージの入り口が、ぽっかりと口を開けていた。


 シャッターは開け放たれたまま。

 歓迎の合図だろう。

 そのまま車を滑り込ませると、入ってすぐに背後のシャッターが閉まり始め、代わりに天井の照明が順に点いていった。


「……広いな」


 思わず口から漏れる。

 コンクリートの床に反射する光。

 装甲車が二台、街乗り用のエアカーが一台。

 それでもまだ数台は入るほどのスペースがある。

 金持ちというより、“現場主義の軍人”が金を持った結果、こうなった感じだ。


 空いている区画に車を止め、エンジンを切る。

 低い振動音が止むと、耳が少し寂しく感じた。


 念のため、助手席の方を見る。

 “彼女”――再生された頭部は、静かに沈黙している。

 吹き出しも出ていない。


 一応“処置”だけはしておいた。

 エネルギー干渉と信号遮断をかけた状態で、彼女の内部機構が不用意に起動しないようになっている。

 その上で、生体用ボックスの中に入れて持ち出す。


 ドクターのトコにあった、仮死状態用の容れ物の小さい版だな。

 クローニングされた臓器とかを持ち出すときに使われるヤツだ。

 しかも培養液とかじゃなく、半浮遊状態で保管できる優れもの。


「……よし」


 一つ息をついて車を降りる。

 ガレージの空気は乾いていて、わずかにオゾンの匂いが漂っていた。

 人工照明の白い光が、金属の壁を無機質に照らし出す。


 周囲を見渡すと、扉が二つ。

 どちらに行けばいいか迷っていると――


 プシュウ、と音を立てて、右側のドアが自動で開いた。


「よう! よく来たなぁ、修理屋!」


 腹の底から響くような声。

 声の主を見て、思わず苦笑する。


 開いた扉の向こう――

 赤い髪を高く束ね、背丈で俺を一回り以上も上回る長身の女。

 日焼けした肌の上で、四肢の金色のクローム義体が眩しく光を弾く。

 筋肉の動きに合わせて金属装甲がわずかに駆動音を立て、重みを感じさせる。


「……相変わらず、ギラギラしてんな」


「当たり前だ。セクター7はいつだって戦闘準備万端だ」


 ニヤリと笑うと、彼女――ロゼリア・クラインハルトは、金属の右手を軽く打ち鳴らした。

 ガシィン、と重い音がガレージに響く。


 義体化率ほぼ百パーセント。

 事故で吹き飛んだ四肢を、戦闘用義体に置き換えた女。

 それを“失った”とは言わず、“強化した”と笑うあたりが、まさに戦闘狂のそれだ。


「さて、立ち話もなんだ、入れよ。私の相談もそうだが、そいつの事も気になるしな」


 そう言いながら顎をしゃくる。

 俺の持つボックスには一瞥をくれただけだが、まぁ、センサーチェックで中身は確認してるだろうしな。


「んじゃま、お邪魔しますか」


 さて、ロゼリアは信用してるが、どんな話になるやら。

 金属の足音を鳴らしながら、ゆっくりと室内へと向かう彼女へ続き、肩のボックスを担ぎなおして後を追う。



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