第十九話 一夜明けて

 パチリ、と天井の照明が自動で点く。

 昨日のドンパチが、まるで遠い国の出来事みたいだ。下層は今日も変わらず、鈍色の朝を迎えている。


 いつも通り、同じ時間。むくりと身体を起こす。タオルケットがズルリと滑り落ち、肌に冷たい空気がまとわりついた。

 横を見ると、椅子の背に俺のジャケットとシャツが無造作に掛けられている。

 昨日、シャワーも浴びずにベッドへ倒れこんだのを思い出して、眉をひそめた。

 なんだか、体中が少しべたつく。鉄とオゾンの臭いが肌に残ってる気がする。


「……ったく、歳かね」


 ペタ、ペタ、と素足が床を叩く。まだ冷たいコンクリートの感触が足裏に伝わる。

 シャワールームへ向かいながら、天井の蛍光管が順に点いていく。


 古い配電ビルを改造して住居にしてるせいで、もともと水回りは最低限しかなかった。このシャワールームは後付けで取りつけたものだ。

 だから、この部屋の中でここだけ妙に新しい。

 周囲がスチールとコンクリで無骨な分、ここはどこか浮いて見える。


 洗面台の横を抜け、強化ガラスのドアに指先を触れる。シュイン、と静かな開閉音。

 小さな空間に、ほのかにミントのような香りが残っていた。


 パンツを脱ぎ、持ってきたシャツと一緒にランドリーボックスに投げ込む。

 ボスッという音と共に、すぐに蓋が閉まり自動で洗浄が始まる。

 内蔵スキャンで汚れの度合いを判断して、洗剤量を自動で調整する――

 ううむ、便利な世の中になったもんだ。ちなみに、乾燥とアイロンまでやってくれるんだぜ。


 シャワールームに入ると、天井と床のノズルがふっと光を帯び、次の瞬間、ミスト状のクリーンウォーターが降り注ぐ。

 ナノ粒子が肌の上で微かにざらつく感触を残しながら、汚れとウイルスを分解していき、シュウウ……という音とともに、体の表面が静かに熱を帯びた。

 毎回思うが、何だか脱皮しているみたいな気分になる。綺麗にはなるんだが、たまには湯船に浸かりたいと思うのは、国民性かねぇ。


 そのまま目を閉じて、息を吐く。昨日の残り香を全部この霧が洗い流してくれる気がした。


 やがて、温風が同じノズルから吹き出し、体の水滴を撫でるように乾かしていく。

 人工太陽のような心地よい熱。

 ほんの数分で、全身が軽くなる。


「……よし」


 部屋に戻ると、ラックから新しい服を引き抜く。

 黒いパンツに、白のシャツ。ここじゃ古風なスタイルだが、やっぱりこれくらいが落ち着く。

 最近の流行は銀ギラのラメジャケット? はは、あんなもん着てたら自分で自分に笑うわ。


 袖を通して、首のボタンを一つ外す。

 清潔な布の感触が、朝の空気に馴染む。

 外では、喧噪の音が大きくなり始めていた。





 保存ボックスを開き、買い置きの缶コーヒーが切れていることに気づいて頭を掻いた。

 仕方なく、奥から炭酸水のボトルを一本取り出す。

 タブをひねると、プシュッと気の抜けた音。コーヒーとは違う、無味の冷たさが喉をすべっていく。


 ……まあ、たまには胃に優しいのも悪くねぇか。


 心の中でぼやきながら作業部屋へ向かう。

 床の鉄板がギシリと鳴る。金属臭と、オイルの匂いが鼻を突く。


 椅子にどかりと腰を下ろし、通信端末を起動すると、ホロスクリーンが浮かび上がり、未読メッセージの通知が点滅していた。

 業務用に二件、個人用に一件。


 水を口に含みながら、まずは業務用を再生。


『いつもお世話になっております! 配達の方、無事に――』


 ピッ。

 途中で再生を止める。

 納品完了の連絡、つまり仕事は終わったってことだ。

 よし、次。


『おう、俺だ。ちょいと厄介なことになってな。お前さんのトコにも何かあるんじゃねぇかと思って連絡したが、あとで顔出してくれ』


 低い声――コルドーだ。

 再生時間を見ると、昨夜。俺が上層で追い回されてた頃だ。なるほど。

 ま、あとで顔出しに行くか。


 残るは個人用のメッセージ。時間は……帰宅する直前。

 ん? なんで気づかなかった? 携帯に転送設定してたはずだが。


 嫌な予感がして、私室に戻り、椅子に引っ掛けてあったジャケットのポケットを探る。

 出てきた携帯端末は、沈黙したまま。

 電源ボタンを押しても、ピクリとも反応しない。


「あー……EMPの余波か」


 昨夜の戦場が脳裏をよぎる。

 ため息を吐きながら、スキルを起動。

 薄く発光する粒子が端末を包み込み、内部回路をなぞるように修復されていく。


 プンッ。


 軽い音と共に、端末が再起動する。ホロロゴが点き、無事に起動完了。

 ヨシ、と小さく呟きながら椅子に戻る。気を取り直して個人メッセージを再生した。


『……私だ。お前、上層の旧工場地区に居なかったか? いや、居ただろう!? あんな阿呆みたいな痕跡を残せる奴が二人といちゃ堪らないからな!』


 スピーカーから、ハスキーな女の声。

 怒気が混じっているが、聞き慣れた響きだ。バックにサイレンと無線のざわめき。

 おっと――アイツの管轄だったか。


『どれだけの被害が出ると思っている! いくら閑散区域とはいえ、修繕しないわけにもいかんのだぞ! お前のせいで私はこの後現場検証だ! せっかく今日は早く帰れると思ったのに!』

 

 段々ヒートアップしていく声に、思わず肩をすくめる。

 脳裏に浮かぶのは、警察機構の知人――融通が利くようで利かない、あの女の顔だ。


『いいか! 明日! 絶対連絡して来いよ! 分かったな! 絶対だぞ! ……あ、朝はやめろよ! 寝てるはずだからな! 昼以降にしろ!』


 ぷつりと通信が切れる。


 しばらく無音。

 やがて、俺は苦笑した。どうやら機嫌を損ねてしまったようだが、不可抗力だって。


 帰り道でドクターに頼んで、周囲にある映像記録と通過記録は差し替えてもらってるから、正規の請求は来ないだろうさ。証拠が出てこないんだ。

 まぁ、十中八九俺の仕業だってのはバレてるにしても、警察機構も下手には突いてこないはず。

 帰りのゲートも、既に封鎖されてたから"裏口"使って帰ってきたし。


 炭酸水をもう一口。

 冷たい水がパチパチと喉を刺激しながら通り過ぎる。


「さて、今日も忙しくなりそうだ」


 気怠く呟き、再び椅子の背にもたれる。

 静かな部屋に、端末の駆動音だけが小さく響いていた。

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