第27話 決着 Vol.5

 純子は慣れない大型車の運転で、いきなりの山道である。真っ青な顔で何とか事故を起こさず、下りのワインディングロードを進んでいた。

 運転は嫌いでは無かったが、軽自動車しか運転した事しか無かったのに、こんな大型乗用車の上に下りの山道と言う、一番難しい道で有ったから、酷としか言い様が無かった。

 だが、自分では怖くて仕方なかった純子だが、実はこの短時間で相当運転に順応していた。余裕は無かったが、事故を起こさずここまで運転して来たのも事実である。

 ほぼ三百六十度のカーブを曲がり切って、長い直線に入った。しばらく進むと、不意に路肩から、一人の男がゆっくりと車道に歩み出てきて、ヒッチハイクを求めるポーズを見せた。所謂サムズアップ、握り拳の親指だけを立てたポーズで、肘を少し曲げて横に腕を突き出して、にやけた笑いを浮かべて立っている。いで立ちは白いアルマーニのスーツの上に、灰色のダンヒルのトレンチコートを着崩し、シャツは青、ネクタイは赤で、レイバンのサングラスを掛けている。純子はそれを見て、微笑むと、可能な限り、車を寄せて止めた。男は助手席の窓の位置に移動して口を開く。

「お嬢さん、乗せてもらってもいいかな?」 

 言わずと知れたクルードである。純子は呆れた様な、安心した様な顔で少し引きつった笑顔を浮かべる。

「運転を代わって頂けるなら・・・」

「折角だから、少し身に付けた方が良いと思うよ」

 言うなり、クルードは手を窓から延ばして、ロックを外して、助手席のドアを開けて乗り込んで来た。シートは純子の体格に合わせてかなり前にしてあったので、窮屈そうに身体を縮めて座り、シートの調整スイッチを操作して自分の身体に合わせる。

「頑張って運転しろって事ね。」

 呆れた様に答えてから、純子は車をスタートさせた。

「一つ、アドバイスをしてもいいかな?山道で、下りは、ギアをドライブでは無く、セコンドに入れた方がいい。」

 そう言われて純子は慌ててギアレバーを見る。確かに意識せずにギアをドライブに入れて運転していた。

「その方がアクセルを戻すとエンジンブレーキが掛かるから、運転しやすい。燃費は悪くなるけどもね。」

 言われて純子は慌ててギアをセコンドに入れた。

「あとは、直線は普通に走り、カーブの手前でブレーキを掛けて減速する。カーブに入ったらブレーキは踏まず、アクセルを戻す事で減速すれば、上手に曲がれるよ。」

「判った、やってみるね。」

 純子は言われた事を脳裏に焼き付けて、車を走らせた。やがてカーブに差し掛かったので、アドバイス通りに操作すると、確かにスムーズに曲がる事が出来た。

「一回で出来るとは君は器用だな。あとはそのやり方で走ってくれ。俺は寝る。」

 クルードはそう言って、シートを倒して目を閉じた。

「強がって格好付けているけど、本当は疲れたのね。」

 純子は呟くと前を向いて運転に集中する事にした。

 クルードはまったく起きる事無く、ずっと眠っていた。強大なサイコパワーを駆使して戦うのは、大きく精神力を消耗する。それを回復させる手段は睡眠が一番で有る。だからクルードは睡眠できる時は時間に関係なく睡眠する。最低一日二時間睡眠を取らないとサイコパワーのレベルがどんどん落ちてしまうからである。

 純子の運転するランドクルーザーがアメリカ軍の基地の門の前で停まると、示し合わせて居たかの様に、クルードは目を覚ます。眠っていても、最低限のセンサーは動いているらしい。

「ご苦労さん。」

 運転席の純子に労いの言葉を掛けてから、窓を開けて身分証明書を見せる。門番の兵士は敬礼して門を開けてくれた。純子はクルードに尋ねる。

「どこに停めればいいの?」

「入って直ぐ右側に、駐車場があって、Guestと書かれているブースがある。そこに停めろ。基地の中は右側通行だから、運転するのは慣れてないと危険だ。」

 クルードの指示を受けて、純子は言われた通りの駐車場のブースに車を頭から入れた。

「さて、行こう。」

 純子を促して、車から降りると、クルードは先に立って歩きだした。行先は教授の入院する病室である。その後を以外にも優しげで満足した様な表情で純子が続いた。

「いろいろ怖い目に合わせて済まなかったな。」

 背中を向けたまま、クルードが言った。純子は顔を上げて、その大きな背中を見ながら答える。

「あなたでも他人に感謝の言葉を述べるのね。」

「一応、青や緑の血が流れて訳じゃ無いよ。」

 憮然とした口調で答えるクルードの背中に言う。

「でも、手は早いよね。」

 クルードは答えずに歩調を速めて進んでいく。その背中を追いかけながら、純子は大人ぶって格好付けていても、意外とナイーブな所の有る人だなと、素直に思った、この事読まれて居ないよね?と思ってクルードの背中を凝視したが答えは返って来なかった。

「女の子を連れてる時は、歩調に気を付けるものよ。」

 純子はそう言うと、クルードに小走りで追いつくと、その左腕を取った。意外にも拒まれるかと思ったが、クルードは拒まず、されるがままであった。

「出来れば、後ろを三歩下がって歩いて欲しいんだがな。」

「随分古い事を言うのね。」

「なぜだか知っていて言ってるか?」

 純子は言われた事の意味が分からず、立ち止まってしまった。クルードは合わせて歩みを止めてくれる。そうして置いてから言葉を続ける。

「西洋の人間がレディファーストなのは、今は女に対する優しい心使いだが、元々は女を先に行かせて女が襲われている間に逃げるか、武器の用意をする為の時間稼ぎで、日本の男が女を三歩後ろから付いて来させるのは、自分が襲われた時に、刀を抜いて立ち塞がり、女を逃がす為なんだぜ。知っていたか?」

 その話を聞いた純子は信じられないと言った風の表情を浮かべて、口元を押さえてクルードの顔を見上げた。

「ここは安全だから、君の好きにしていいが。外では俺の後ろを歩け。」

 そんな純子にそう言ってからクルードは再び前を向いて歩きだした。クルードは無言のまま、純子が左腕にすがっている事を気にしていない様子で先に進んでいく。歩くスピードは純子に合わせてくれた。身長差が大きいのでクルードが何も考えないで歩いたら、純子は付いて行くのは大変なのだが、歩調を相手に自然に合わせる所は流石である。

二人は教授の入院する病室に向かった。病室に入ると、教授は朝食を終えて、ベッドを起こして何かの書類に目を通していた。

「教授。娘さんは無事にお連れしましたよ。」 

 真っ先に口を開いたのはクルードだった。それに答えて、教授は書類を傍らに置くと、クルードとその隣に立つ純子に視線を向ける。

「無事に連れて帰ってくれると信じていたよ。」

 教授は答えると、教授は書類に視線を移してから、クルードに言った。

「湯元の消息に付いて、学会の友人達に問い合わせて見たが、目ぼしい情報は無かったよ。」

 教授が残念そうに言う。

「簡単に尻尾を掴まれるような玉では無いでしょうね。」

 クルードはそう答えて懐から件の記憶チップを取り出した。

「取り返しました。一旦私の手で本部経由で日本政府に返します。任務は完了しました。ご協力ありがとうございました。」

 クルードは小さく頭を下げた。

「さて、君もこれで、日常に戻ってくれ。いろいろ怖い思いをさせて申し訳無かった。」

 純子の方を向いて、クルードは言った。純子が否定すると考えていたクルードだが、これからも協力すると言われても断るつもりで有ったが、意外な所から先手が来た。

 そう言われた純子はうつむいて寂しそうな表情を浮かべた。その肩に手を置いて、何か労う言葉を言おうとしたクルードの背中に、教授が声を掛ける。

「クルード君。今回の件に湯元が関わっている以上、私にも責任がある。この件で終わりでは無く、これからも、娘を君の傍に置いて、私との連絡役、君の助手として使ってくれるかな?」

 その言葉を聞いて純子の表情が見る見る明るくなるが、対照的にクルードの表情は曇る。

「今回の件でも、相当な危険な目に会ったんですよ?俺も守り切れるとは保証できませんよ!判ってますか?」

 クルードは慌てて否定する。

「いや、元は言えば、我々の研究が生み出した、有ってはならぬ者。対抗手段を講じなければいけない。その為にも、私と君は連携しなければいけない。その為には両方の事情に通じ。身軽に動ける連絡役が必要不可欠だ。娘程適役は居ない。」

「判りました。即答は控えさせてください。取り合えず、私は報告の為に失礼します。」

 クルードはそう言うと出口に向かって歩き始めた。

「待って、私も行く!」

「君はここでお父さんに付いてろ。これから俺が行く所は君を連れて行っても、入れてくれないよ。」

クルードは振り向きもしないで言うと、そのまま病室を出て行った。


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