第一章一節 見慣れた悪夢


 突拍子もない話を子供からされたとき、大人はしっかりと話を聞いてくれるのだろうか。

 もし、私が聴く側であったなら、虚言癖だと、疑いの目を向けずに話を聴くことが出来るのだろうか。

 

「どうしたんだい、メアリー」

 

 わざわざしゃがんでまで視線を合わせて、優しく私に微笑みを向ける先生。本当の親のように慕った先生の茶色の瞳が。慈愛に籠った頭を撫でる優しい手が。節々に感じる温かな仕草が。

 今はなぜかこんなにも怖かった。


 人は自分の理解の範疇を超える出来事や事象に出会ったら嫌悪を感じるはずだ。だからでは完璧な平和は訪れなかったし、差別や侮蔑などは無くなることはなかった。


 コミュニティーの調和を図る上では仕方のないことではあるけれど、でも、その輪から自分が外れるとわかった上で、今まで家族のように思っていた先生にこのどうしようもない悩みを打ち明けるのは、憚られた。

 

「あの、…ね…」

 

 言葉がうまく出てこない。人生で一番困難な壁に立ち塞がれているような、世界に1人だけ置いてけぼりにされているような、そんな疎外感を感じている。


 もっと口が上手くなるとか、達観できるとか、そういう類の才能が欲しかった。もしくは、無遠慮で人の心がわからないような人間だったら、今と昔の記憶の混合で混乱することもなかったのに。


 人生は不平等である。


 その言葉が転生し、二度目の人生を歩む自分にも適応されるとは思ってもみなかったし、転生したことを自覚した瞬間、前の記憶も今の記憶もあやふやにしか記憶していない状態になってしまったなんて、私が一番信じたくなかった。


 そして、その影響で混乱するほど不安を感じているなんて、表に出したくなかった。

 

「あの、ね、……、…………」

 

 涙が溢れそうだった。頭の中がズキズキ音を鳴らして、じわじわと涙腺が崩壊し始める。


 理解できない状態が怖いのか、理解できない物になってしまったのが怖いのか、そんな原因すら分からず、ぐらぐらと宙ぶらりんになって揺れるような、そんな気分に陥って思わず着ていたキトンの裾を握りしめて顔を伏せる。


 付加すればそれなりの年齢、少なくとも成人はしている筈の精神を持っている癖に体の年齢は正直なのか、不安は涙といった形に変わって服を汚す。

 ひくひくと喉がなる。本格的にべそをかきそうになった時に、ふわりと自分の小さな体が先生によって抱き上げられた。

 

「メアリー。ゆっくりで良いんだよ」

 

 じんわりと先生の温かい体温が、冷え切った自分の体にゆっくりと移る。


 そんなもので安心する年齢ではないと訴える心がある一方で、ここが世界で一番の安心できる場所だと微睡む心もある。

 乖離する精神のせいで思ったよりも体は疲れていたらしく、だんだん瞼が重くなっていく。

 

「今日はメアリーの好きなものを多めに作ろうか」

「……うん」

「久しぶりに孤児院のみんなと川の字になって寝よう」

「う、ん……」

「美味しいものを食べて、いっぱい寝よう」

「………、…ん」

 

 優しい先生の声が眠りに誘う。その言葉が今は何よりも嬉しくて、何よりも痛かった。


 もし、先生にあんまり孤児院のみんなのことを思い出せないとか、色んな記憶がごちゃごちゃして心がざわざわしているとか、そういうことを言っても、何も変わらずこうやって、守るように抱き上げてくれるのだろうか。優しい目を向けて心配してくれるのだろうか。


 そんなどうしようもない悩みが、私を鈍くする。

 

「いつでも、待ってるから」

 

 胸が痛かった。


 先生の言葉に、いつ自分がこの悩みを打ち明けられるのかわからなかったから、一生打ち明けられないかもしれなかったから、その先生の言葉はなんだかひどく優しすぎて、胸を掻きむしってしまいたくなるほど心を重くする。


 どうして、私なのだろうか。

 眠りの誘いがするたびに自分に問いかけるように口にした。


【01 見慣れた悪夢】


 いつも、どこか遠いところの夢を見る。


 それは白い部屋。

 広がるモニターには理解できない文字の羅列。壁に大きな本棚があって、そこには数えきれない本が敷き詰まっている。


 そこで私は決まって何かの資料を読み込んで、流れるようにメモ帳に何か文字を書いて、スチールデスクの端に置かれた、アニメキャラがデザインされた黄色のマグカップを口元に近づけて、苦いコーヒーを飲むのだ。


 シックなデザインの万年筆を回して、口ずさむようにモニターに向かって何か一言喋る。

 何に対して感じているかわからないのに、この時に限っていつも心が歓喜するように疼くのだ。


 思わず口角が上がってしまうくらいには、夢の中の私は楽しそうで、その喜びを表現するように夢を見ている私にも度々その感情が伝達した。

 

「オウメイ先生」

 

 その言葉を聞いて、楽しそうな感情のまま夢の中の私は振り返る。それとは逆に私の感情は酷く強ばった。


 いつも、この夢を見る。

 だからこそ、その後の結末を知っている。これから起こる耳を劈くような音も声も、生々しく私は覚えているのだ。


 ダンッ!鈍い音が響いて、夢の中の私が驚く前に、体がびくりと飛び跳ね上がる。そのままの勢いで冷たい床に倒れて、私の口が私の意思を反して「どうして」と形作られる。

 体から何か大事なものが抜け落ちるかのような、それと同時に体温が冷めていくよな、酷い疎外感を共に感じながら自分を撃った人物を見上げるように視線を動かす。


 すでに私に興味を無くしたのか、先ほどまで私が向かっていたモニターを弄り始めたそいつを見て、ふつふつと怒りが込み上げてきた。なんとかその人物を止めようと鈍い体に鞭を打って掴みかかろうとした時、廊下側からもう一つの声が聞こえた。

 

「サヨ先生?先ほど凄い音がしましたが――」

「ばか、早く逃げ――――!!!」

 

 瞬間。


「メアリー!起きて!!」

 

 子供の声が聞こえた途端、一気に脳が覚醒して、今まで見ていた夢の内容がぼんやりと薄れていった。


 事細かく何かを見ていたはずなのに、今ではよくわからない場所で、見たこともない四角い何かに向かって何か語りかけて、気がつけば大きな音ともに夢の中の自分が死んでしまったことだけしか思い出せなかった。


 臨死体験というものなのか、あれがただの夢という名の追憶だとしても胸のあたりに来るものがある。


 それと同時に疑問が胸の中を酷く荒らす。極論的に言えば、あの夢の中で見た、オウメイサヨと呼ばれた私なのか、それとも孤児院で育ってきたメアリー・パートリッジなのか、どちらの記憶も虫食い状態のようにしか持っていない為、今の自分がどちらであってもがなかった。



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