第9話 隠された本当の記録
木箱の山はまだまだ果てしない。
埃にむせながら羊皮紙へ記録を写す作業を黙々と三人で続ける。
数字は積み上がり、着実に在庫の山は減っていってはいるのだったが――
「……終わらねえな」
ロゼルが背中をのけぞらせて呻く。
倉庫の奥、棚の一番上に積まれた木箱にユノアが手を伸ばしていた。
「もう少しで……」
つま先立ちになった瞬間、足が滑り、箱がぐらりと傾いた。
ぎりぎり指先が触れた瞬間、箱がわずかに揺れ――
「危ない!」
俺が慌てて押さえた。
どさりと落ちかけた重みを腕に感じながら、ようやく持ち直した。
「……ありがとうございます」
息を弾ませて見上げてくるユノアの顔。
間近で見る琥珀色の瞳は、倉庫の薄暗がりでもきらりと光を宿していた。
不意に距離が近すぎて、思わず心臓が跳ねる。
「薫香薬草の煙が届かない上の棚は俺とロゼルに任せろ。君は下の段を頼む」
合理的な指示のつもりで言ったが、ユノアは可憐に頬を染め、小さく頷いた。
「……わかりました」
柔らかな声に、不覚にも目を逸らしてしまう。
ロゼルがちらっとこちらを見て、肩をすくめた。
「へえ、ちゃんと気を配れるじゃねえか」
「……別に。仕事の分担をしただけだ」
そう返すと、ユノアはふわりと微笑み、木箱を抱え直した。
◇
しばらくして、薫香の煙が新たな木箱を包み込む。
淡い光が浮かび上がった瞬間――俺は思わず目を凝らした。
そこに刻まれていたのは、見覚えのある紋章。
王国の紋だ。
さらに羊皮紙には、くっきりと文字が転写されていく。
『麦十袋 国交物資 王都宛』
文字が浮かび上がった瞬間、羊皮紙の表面がじりじりと焦げるように黒ずみ、最後の行が消えかけた。
「……今、消えた?」
ロゼルが目をこすりながら声を漏らす。
俺は木箱に指先を当てた。ざらついた板目に、淡い魔力の残滓がひっかかる。
次の瞬間、ぱちりと火花のような光が走り、焼け焦げた跡が浮かび上がった。
「ただ削られたんじゃない……魔法で、意図的に消されてる」
喉が乾くのを感じながら、思わず言葉が漏れる。
「魔法で……?」
ユノアが小さく呟いた。胸元に手を当てる仕草は震えていたが、その瞳の奥には芯の強さがあった。
「つまり、ここにあった“本当の記録”は、誰かが覆い隠した……」
ロゼルは舌打ちをして後ずさる。
「隠さなきゃならねえほどの理由があったってことか。……関わったらマズい匂いしかしねえぞ」
俺は羊皮紙を握りしめる。
浪漫と不穏が同時に胸を締めつける。
(何を、誰が隠した? 魔王軍か? それとも王国の誰かか? ……両方?)
視線を落とすと、ユノアが木箱を抱え直しながら小さく呟いた。
「……こういう記録、もっと残っているはずです」
「お前……そんな確信めいた言い方するなよ」
ロゼルが怪訝そうににらむ。
けれどユノアはにっこり笑って、首を横に振った。
「確信じゃありません。ただ……薬草もそうなんです。小さな芽を見つけると、そこから全部が広がっていくみたいで。だから、知りたいんです」
その言葉に、胸がざわついた。
彼女の笑みは柔らかいのに、琥珀色の瞳は不思議と強い光を宿している。
ただの治癒士じゃない。何かを隠している――そう思わせる気配。
「マクト」
ロゼルが低い声で言う。
「俺らの仕事は在庫目録だ。深入りすんな。国も魔族も、どっちにしろ裏がある。巻き込まれたら終わりだぞ」
「わかってる」
答えながらも、手は羊皮紙を強く握っていた。
(……逃げても消えない。だったら、最後まで追うしかない)
◇
その後も薫香薬草を焚き、箱や壺を確認していく。
だが、幾つかの記録はきれいに消され、残骸だけが浮かんだ。
“語るもの”と“語らないもの”。
二重の真実が、この倉庫には眠っている。
作業の手を止めた時、ユノアが小声で呼びかけた。
「マクトさん」
「ん?」
「私、どうしても最後まで手伝いたいんです」
ふわりと微笑みながらも、その声は揺らがなかった。
「在庫を数える以上の意味がある気がして……ここに残っているものを、この目で確かめたいんです」
その真剣な眼差しに、思わず息をのむ。
彼女の頬はほんのり赤く染まり、可憐さと決意が同居していた。
ロゼルは大げさに頭をかいた。
「はぁ……お前ら、マジで性分だな。俺はただの力仕事要員だぞ?」
「でも、力仕事がなきゃ崩れた箱も持ち上がらない。……ロゼルがいて助かってる」
俺がそう言うと、ロゼルは一瞬ぽかんとした後、顔をそむけてぼやいた。
「……素直に言われっと調子狂うんだよ」
少し和んだ空気の中、俺は改めてユノアを見た。
「……人手はいくらあっても足りない。手伝ってくれるなら、助かる」
「ありがとうございます」
ユノアの笑顔は、どこか安堵に満ちていた。
◇
だが倉庫の奥、闇に沈む木箱の影は、なおも沈黙している。
語らない箱。
そして消された記録。
――俺たちは今、確かに“触れてはいけない層”に近づいている。
背筋に冷たいものを感じながらも、心臓の鼓動は速まっていた。
◇
夜更け。
作業を切り上げ、俺たちは倉庫脇の空き部屋に毛布を敷いた。
石床は冷たかったが、焚き火の残り火と薬草茶の香りが、かすかに温もりを残している。
「……ふぁぁ、俺はもう限界だ……」
ロゼルは毛布に転がるなり、大の字であっさり寝息を立てはじめた。
「早すぎだろ」
呆れてぼそりと突っ込む俺。
「ふふ……寝つきの良さは才能ですね」
ユノアがおっとり笑いながら、自分の毛布を整えている。
両手で抱えているのは、やっぱり薬草の小瓶だ。
「……それ抱いて寝るのか?」
思わず聞いてしまった。
「はい。これがあると安心できるんです」
にこっと笑うユノアの琥珀色の瞳が、ランプの明かりに柔らかく揺れる。
――なんだろう、胸がざわざわとして落ち着かない。
その隣で、モコがふごふごと寝息を立てて丸まっていた。
毛布の端っこをちょこんと占領し、時折しっぽがぴくりと動く。
「……おいモコ、こっちの毛布まで取るなよ」
ロゼルが寝ぼけ声で文句を言い、寝返りを打った。
「……モコは管理対象だ。毛布ぐらい譲ってやれ」
「またそれかよ……」
寝ぼけながらも律儀に返してくる。
ユノアはくすっと笑って、毛布をモコの体に少し掛け直してやった。
「おやすみなさい、マクトさん」
「……ああ」
思わず短く返したが、耳の奥まで熱くなるのを自覚していた。
――埃にまみれた倉庫とは違う、妙に心地いい空気。
こんな夜も、悪くない。
不穏と浪漫が交錯するこの城で、明日もまた作業は続く――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます