第9話 隠された本当の記録

 木箱の山はまだまだ果てしない。

 埃にむせながら羊皮紙へ記録を写す作業を黙々と三人で続ける。


 数字は積み上がり、着実に在庫の山は減っていってはいるのだったが――


「……終わらねえな」

 ロゼルが背中をのけぞらせて呻く。


 倉庫の奥、棚の一番上に積まれた木箱にユノアが手を伸ばしていた。

「もう少しで……」

 つま先立ちになった瞬間、足が滑り、箱がぐらりと傾いた。


 ぎりぎり指先が触れた瞬間、箱がわずかに揺れ――

「危ない!」

 俺が慌てて押さえた。

 どさりと落ちかけた重みを腕に感じながら、ようやく持ち直した。


「……ありがとうございます」

 息を弾ませて見上げてくるユノアの顔。

 間近で見る琥珀色の瞳は、倉庫の薄暗がりでもきらりと光を宿していた。

 不意に距離が近すぎて、思わず心臓が跳ねる。


「薫香薬草の煙が届かない上の棚は俺とロゼルに任せろ。君は下の段を頼む」

 合理的な指示のつもりで言ったが、ユノアは可憐に頬を染め、小さく頷いた。


「……わかりました」

 柔らかな声に、不覚にも目を逸らしてしまう。


 ロゼルがちらっとこちらを見て、肩をすくめた。

「へえ、ちゃんと気を配れるじゃねえか」


「……別に。仕事の分担をしただけだ」

 そう返すと、ユノアはふわりと微笑み、木箱を抱え直した。



 しばらくして、薫香の煙が新たな木箱を包み込む。

 淡い光が浮かび上がった瞬間――俺は思わず目を凝らした。


 そこに刻まれていたのは、見覚えのある紋章。

 王国の紋だ。

 さらに羊皮紙には、くっきりと文字が転写されていく。


『麦十袋 国交物資 王都宛』

 文字が浮かび上がった瞬間、羊皮紙の表面がじりじりと焦げるように黒ずみ、最後の行が消えかけた。


「……今、消えた?」

 ロゼルが目をこすりながら声を漏らす。


 俺は木箱に指先を当てた。ざらついた板目に、淡い魔力の残滓がひっかかる。

 次の瞬間、ぱちりと火花のような光が走り、焼け焦げた跡が浮かび上がった。


「ただ削られたんじゃない……魔法で、意図的に消されてる」

 喉が乾くのを感じながら、思わず言葉が漏れる。


「魔法で……?」

 ユノアが小さく呟いた。胸元に手を当てる仕草は震えていたが、その瞳の奥には芯の強さがあった。

「つまり、ここにあった“本当の記録”は、誰かが覆い隠した……」


 ロゼルは舌打ちをして後ずさる。

「隠さなきゃならねえほどの理由があったってことか。……関わったらマズい匂いしかしねえぞ」


 俺は羊皮紙を握りしめる。

 浪漫と不穏が同時に胸を締めつける。

(何を、誰が隠した? 魔王軍か? それとも王国の誰かか? ……両方?)


 視線を落とすと、ユノアが木箱を抱え直しながら小さく呟いた。

「……こういう記録、もっと残っているはずです」


「お前……そんな確信めいた言い方するなよ」

 ロゼルが怪訝そうににらむ。 


 けれどユノアはにっこり笑って、首を横に振った。

「確信じゃありません。ただ……薬草もそうなんです。小さな芽を見つけると、そこから全部が広がっていくみたいで。だから、知りたいんです」


 その言葉に、胸がざわついた。

 彼女の笑みは柔らかいのに、琥珀色の瞳は不思議と強い光を宿している。

 ただの治癒士じゃない。何かを隠している――そう思わせる気配。


「マクト」

 ロゼルが低い声で言う。

「俺らの仕事は在庫目録だ。深入りすんな。国も魔族も、どっちにしろ裏がある。巻き込まれたら終わりだぞ」


「わかってる」

 答えながらも、手は羊皮紙を強く握っていた。

(……逃げても消えない。だったら、最後まで追うしかない)



 その後も薫香薬草を焚き、箱や壺を確認していく。

 だが、幾つかの記録はきれいに消され、残骸だけが浮かんだ。

 “語るもの”と“語らないもの”。

 二重の真実が、この倉庫には眠っている。


 作業の手を止めた時、ユノアが小声で呼びかけた。

「マクトさん」


「ん?」


「私、どうしても最後まで手伝いたいんです」

 ふわりと微笑みながらも、その声は揺らがなかった。

「在庫を数える以上の意味がある気がして……ここに残っているものを、この目で確かめたいんです」


 その真剣な眼差しに、思わず息をのむ。

 彼女の頬はほんのり赤く染まり、可憐さと決意が同居していた。


 ロゼルは大げさに頭をかいた。

「はぁ……お前ら、マジで性分だな。俺はただの力仕事要員だぞ?」


「でも、力仕事がなきゃ崩れた箱も持ち上がらない。……ロゼルがいて助かってる」

 俺がそう言うと、ロゼルは一瞬ぽかんとした後、顔をそむけてぼやいた。

「……素直に言われっと調子狂うんだよ」


 少し和んだ空気の中、俺は改めてユノアを見た。

「……人手はいくらあっても足りない。手伝ってくれるなら、助かる」


「ありがとうございます」

 ユノアの笑顔は、どこか安堵に満ちていた。



 だが倉庫の奥、闇に沈む木箱の影は、なおも沈黙している。

 語らない箱。

 そして消された記録。


 ――俺たちは今、確かに“触れてはいけない層”に近づいている。


 背筋に冷たいものを感じながらも、心臓の鼓動は速まっていた。



 夜更け。

 作業を切り上げ、俺たちは倉庫脇の空き部屋に毛布を敷いた。

 石床は冷たかったが、焚き火の残り火と薬草茶の香りが、かすかに温もりを残している。


「……ふぁぁ、俺はもう限界だ……」

 ロゼルは毛布に転がるなり、大の字であっさり寝息を立てはじめた。


「早すぎだろ」

 呆れてぼそりと突っ込む俺。


「ふふ……寝つきの良さは才能ですね」

 ユノアがおっとり笑いながら、自分の毛布を整えている。

 両手で抱えているのは、やっぱり薬草の小瓶だ。


「……それ抱いて寝るのか?」

 思わず聞いてしまった。


「はい。これがあると安心できるんです」

 にこっと笑うユノアの琥珀色の瞳が、ランプの明かりに柔らかく揺れる。


 ――なんだろう、胸がざわざわとして落ち着かない。


 その隣で、モコがふごふごと寝息を立てて丸まっていた。

 毛布の端っこをちょこんと占領し、時折しっぽがぴくりと動く。


「……おいモコ、こっちの毛布まで取るなよ」

 ロゼルが寝ぼけ声で文句を言い、寝返りを打った。


「……モコは管理対象だ。毛布ぐらい譲ってやれ」

「またそれかよ……」

 寝ぼけながらも律儀に返してくる。


 ユノアはくすっと笑って、毛布をモコの体に少し掛け直してやった。

「おやすみなさい、マクトさん」

「……ああ」

 思わず短く返したが、耳の奥まで熱くなるのを自覚していた。


 ――埃にまみれた倉庫とは違う、妙に心地いい空気。

 こんな夜も、悪くない。


 不穏と浪漫が交錯するこの城で、明日もまた作業は続く――。

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