空き家魔王城の管理人〜元市役所勤めの俺、危険廃墟を再生します〜
四十日
第1話 廃墟スローライフ終了のお知らせ?
瓦礫の丘を越えたとき、視界の先に黒い影が広がった。
崩れ落ちかけた塔、苔むした巨壁。かつて魔王が居城とした城塞――今はただの廃墟。
黒ずんだ石は雨を飲んで鈍く光り、傾いた塔は午後の光を裂く刃のように影を落とす。風が吹けば砕けた装飾片が粉じんとなって舞い上がった。
「……やっぱり、いい」
胸の奥がざわめく。怖さよりも、興奮が勝っていた。
魔法の記録板に崩落や亀裂を写し終え、肩から下げた鞄にしまう。
「……さて、帰るか」
今日の探索は外壁だけ。それで十分。命をかけるつもりなんて、さらさらない。
道中で小さな魔族に出くわした。
とはいえ、牙を剥くだけで迫力はゼロ。魔王が倒されたおかげで、大した魔力も残っていない。
石をひとつ投げれば、情けない声をあげて逃げていった。
そもそも俺も探索以外の能力値はほぼゼロだ。まともに戦うなんてごめんだし、廃墟を歩く方が性に合っている。
夕方、街の喧騒を抜けて冒険者ギルドの扉を押す。
酒と汗と油の匂いが混ざり合い、ざわめきが押し寄せてきた。サイコロの音、武具の金具のきしみ。
俺は冒険者たちの輪に加わらず、まっすぐ受付へ。
「お疲れさま。今日はどこを回ってきたの?」
受付嬢のリナシアが微笑む。俺の提出物には慣れっこだ。
「……魔王城の外周を少し。壁の崩れと塔の傾き、それに地盤のゆるみを」
「ま、魔王城!? あなた、あそこまで行ったの?」
「外壁をぐるっと回っただけです。中には入ってませんよ」
リナシアは記録を開き、ぱらぱらとページをめくった。
「……細かい。崩落の危険度まで図示してあるじゃない。ここまで几帳面に描く人、ほかにいないわよ」
「趣味みたいなもんです。ほら、この石の目地が――」
「はいはい、そのあたりは研究機関に回しておくわね」
リナシアの苦笑に、俺は肩をすくめた。
……また余計に語りすぎたかもしれない。前世でも、遺跡や山の話を始めると周りが引いていたのを思い出す。
市役所で紙や数字を扱っていた頃と同じように、今も崩れた壁や傾いた塔を記録して整理しているだけだ。
戦うのは苦手だし、仲間も恋人もいない。
それでも俺には十分だ。のんびり暮らすのが、一番の贅沢だ。
渡された報酬は銀貨数枚。これでパンとコーヒー豆くらいは買える。
俺にとっては、それで十分だった。
立ち去ろうとしたとき、背後で声が上がる。
「おい、聞いたか? 魔王城の管理人を募集するってよ」
「管理人? あんな場所、好き好んでやるやついねえだろ」
「でもよ、王都直轄で、報酬は破格らしいぜ」
「屋根が直せる額か?」
「いや、墓石が建つ額だな」
「残党は減ったって言うが、罠の解除が終わってる保証はない」
皮肉混じりの会話に、俺は横目でちらりと見るだけだった。
内心で「へえ」と呟き、扉の方へ足を向ける。
(俺には関係ないな。俺は廃墟を回って記録して、細々暮らせればそれでいい)
「……マクト」
背後から呼ばれて、足を止めた。リナシアが、少し困った顔でこちらを見ている。
「君の報告書なんだけど、王都の研究機関に送ったの。実は前から“魔王城関連は優先送付”って通達が出ててね」
「はあ……」
「そしたら、すぐ返事が来たの。『詳しい調査者を推薦してほしい』って」
「……いやいやいや。俺、外壁をちょっと見ただけですよ? 中に入ったわけじゃないんですけど」
「でも、ほかの冒険者の報告は“魔物はいなかった”とか“塔が壊れてた”とか、その程度。あなたみたいに図面つきで崩落位置や地盤の状態まで記した人はいなかったの」
「…………は?」
ギルド内がざわつく。
「おい、あの地味男が管理人候補だってよ!」
「外壁図で出世か? 世の中わかんねえな」
「まあ、真面目すぎる奴ってのは得するもんだ……まあ実際になったらご苦労さん、ってやつだが」
笑いと好奇の視線が突き刺さる。
俺は両手を振った。
「い、いやいや、待ってください。俺はただ趣味で……!」
心臓が早鐘を打つ。
俺はただ、静かに暮らしたいだけだったのに。
リナシアが小さく肩をすくめて言う。
「ちょうど明日、王都の役人が別用でこの町に来るの。で、そのついでにあなたに会いたいって」
喉がひゅっと鳴った。
銀貨を握りしめ、俺は小さくため息をついた。
「……せっかく豆を買ったのに、のんびり味わえる気がしない」
こうして、俺の“のんびり廃墟スローライフ”は、思わぬ方向に転がり始めた。
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