「いただきます」(二)-4月18日19時21分

あずさの口に浮かぶ無邪気な笑みがすうっと形を変えて、三浦みうら梓に戻っていく。

口を閉じて、口の中に残った血液を舐めて、穏やかに笑った。


梓の両親は娘の吸血をじいっと見ていた。


梓の母は、梓が血をこぼしていないか見ていた。

梓が天を仰いだ時、長い牙に絡まった赤い血が躍る様を見た。

絡まる血を色の薄い舌が舐め取る瞬間を見て、胸の奥から湧き上がった感情をサラダで押し殺した。



梓の父は作り笑いでそれを見ていた。それが父親の使命だと思った。

娘の笑顔は見慣れていたが、血を喰らったその直後の笑顔だけは初めて見るもので、手元のお茶をそっと飲んだ。



梓はおぼつかない手つきで、半分ほど残った手元の血液パックを、タンブラーの中に落とした。

タンブラーの中で血液パック内の血液が漏れていき、少しずつ赤黒い液体で満たされていく。


梓は身を乗り出して、タンブラーの中を覗き込む。

ジュースをコップに注いでくれた時みたいなキラキラした目で、溜まっていく血を眺めていた。


粘性の高い赤黒い液体がタンブラーの中ほどまで溜まって、液面が動かなくなった。



梓は両手に持ったキッチンペーパーとタオル、そして自分の胸元を見た。

服は汚れていない。テーブルも汚れてない。

キッチンペーパーに真っ赤な染みがついていた。めくるとタオルまで少し赤くなっていた。

梓は申し訳なさでキッチンペーパーをくしゃくしゃに丸めて、タオルで口元を覆った。


「……ありがとう。おいしかった」


梓はこちらを柔らかい眼差しで見る母に言った。


「どういたしまして」


すべての感情を飲み込んで、柔らかい声で梓の母は答えた。

テレビ番組の中で誰かが面白いことを言ったみたいで、楽しそうな笑い声が響いた。



梓は体の中に渦巻く熱が冷えていくのを感じていた。またヴァンパイアの体は、冷たい肉体へ戻っていく。

ふうっと一度息を吐いて、タオルを外した。

母がこちらを向いて、にこりと笑った。


「あとはゆっくりね」


梓は頷いて、タンブラーを手元に引き寄せる。

まだ暖かい血がその中にある。そっと手に取って、一口飲む。



おいしい。


ぬるめの白湯みたいな柔らかい舌ざわりだけど、さっきほど楽しくはない。

噛みついている感覚が無いし、胸の奥から湧いてくるワクワクの波がない。


でも、その波が来ないことも、熱狂が過ぎ去っていくことも、どこか有難かった。

それは進んではならない道だから。


「ごめん、ちょっとタオル汚しちゃった。落ちるかな」


「大丈夫よ。食べ物なんだから、あんまり気にしないの」


母の言葉に梓はちょっと泣きそうになって、また一口、血液を飲む。




「……それ、どういう味がするんだい?」


梓の父が炒め物を食べながら、梓を見て聞いた。


「うーん……味は無いんだけど、白湯みたいな感じかな。あ、ごめん、臭かった?」


父は笑顔で首を振った。


血のにおいはしない。

梓のさっきの顔と食事のはじめを見なければ、何かジュースでも飲んでいるとしか思えないほどだった。



大人二人が食べ物を口に運び、娘もまた、食べ物を飲み干していく。

お互いが口に出さない、この場にある異常性。

人間の血がやり取りされていることは全員分かっていて、しかし誰も口にしない。




梓は生温い血を飲むごとに、自分の心にぐるぐると暖かいものが溜まっていく気がした。

暖かくて不気味なもの。

人間だった三浦梓が、絶対に飲んだことのなかった飲み物。



だけどどうしようもなく安心して、おいしいもの。

私はヴァンパイアなんだから仕方ない。

これがいまの私のごはんなんだから。

いまはおいしくて温かい気持ちに浸りたい。


ずっとずっと待ち望んでいたものだから。



梓は、両親の食事のペースに合わせて少しずつ血を飲んでいった。

全員の皿とタンブラーが空になり、ゴールデンタイムの番組が終わる。


そうしてみんなで手を合わせて、言った。



「「「ごちそうさまでした」」」

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