第36話

 いつしか私たちは目的の場所へ辿り着く。

 

「着けたー。ここだね……」

 

 茜はナビ役のスマホをしまうと一息つく。

 

「これがラブホ?」

 

 ラブホといえば見るからにピンクピンクしていてもう性行為しますよ〜みたいな堂々たる卑猥な店先を想像していたのだが、今目の前にある建物は南国の高級リゾートホテルだ。

 

 歩いているうちに海越えちゃった?

 

 青々と茂る南国の植物と都会の一角には不釣り合いなオリエンタル建築。馬鹿げた発想をしてしまうくらい、目の前の光景は想像していたそれと違い過ぎた。

 

「とりあえず入ろ」

 

 こんなところでいつまでも気圧されていてもしょうがない。周りは半無法地帯だし一刻も早く中に逃げよう。

 

「お、まりーがその気に!」

「外よりは安全でしょ」

 

 あれ? 茜に襲われるの確定なら安全じゃなくね?

 

 エントランスへと足を踏み入れた私達は内装を見渡し、圧巻の光景にお〜と口を開けっ放しにしてしまった。外観と統一感を持たせた室内はやはり高級感に溢れており、エキゾチックなムードに満たされている。

 

「なんかねバリ島をイメージしてるホテルってあった気がする」

「だからか」

 

 道理で南国っぽいわけだ。エントランスのソファに座ってみてその感触を確かめる。家具やクッション一つまでに込められたこだわりは相当なものだろう。行ったことはないけどこの再現度は高いに違いない。

 

「じゃあチェックインしてくるね、まりーはそこで待ってて!」

 

 あたかもバカンス用に所有しているコテージを歩くようにカウンターへと向かっていった。端的に言えば実に板についている。

 

 もしかして何回か来てんのか?

 

 他に来るような間柄の人がいるのだろうか。私以外に。

 

「……」

 

 壁に掛けられたビーチの絵画、水平線に沈む茜色の夕日を一人の女性が眺めている。明るくて美しい。沈むというのに最後の最後まで赫耀かくやくと己の存在を世界に示している。

 私はここにいると。

 

「……」

 

 いや、茜が誰と来ようがあいつの勝手だろ。全然興味無えし。知らんわ。

 

 私は麻素材のクッションをぎゅーっと潰し込んだ。

 

 てかカップル多くない? イラつくな。

 

 ラブホなんだから至極当然だが、私は虫の居所の悪さを周囲へと向けた。エントランスには私の他に三組程のペアがいる。人目もはばからず我が物顔で身を寄せ合っている。

 

 あー不愉快。てかまだ?

 

 私はスマホを取り出した。画面には母からのメッセージを知らせる通知。


 母『外泊するときはちゃんと事前に言ってね』

 母『茉莉花のご飯は抜き! 叢雲くんに食べてもらうから!(怒りの絵文字)』

 まりー(茉莉花)『ごめんなさい。以後気をつけます』

 

 事前もなにも私だって今日知ったんだけど。てかまたあの人来てんのか。

 

 外泊することはルミネエストをぶらついている最中に連絡済み。もちろんラブホなんてことは伝えてない。伝えられるわけない。茜とともに別の友人の家へ泊まりと伝えてある。

 

 私の料理好きはこの方のおかげか、手が早い母は既に晩御飯の仕込みをしていたらしく、突然の外泊連絡に不満を見せたが、『でも茜ちゃん以外にお泊まりできる仲の友達できたんだ! 今度紹介してね』というメッセージも来てた。母の懐の深さに感涙すると同時に騙しているという申し訳なさにも涙しそうである。なんか今度腕を振るって料理するか、一緒に演劇を見に行こう。

 

 てかほんとに紹介する流れになったらどうすんのこれ。

 

「ふーお待たせ」

 

 程なくして茜が戻ってきた。

 

「それじゃお部屋に……の前にまずはこっち来て」

 

 なんだ、私を好き放題貪るために下味でもつけるのか?

 

 連れてこられた先はお店の陳列棚みたいなところ。

 

「じゃじゃーん。ここにあるもの全部無料です!」

「え、これ全部?」

 

 パーティー会場のように並べられた物品の数々を見渡す。

 

「入浴剤にアロマ、なんか高そうなシャンプーもあるよ」

「ここアメニティバイキングっていうらしいんだよ。そっちにはドリンクとかスイーツとかパンもあるんだよ。無料で」

 

 指さされたほうを見ると、確かにショーケースにはたくさんのデザートとパンが並んでいる。

 

 なんということでしょう……。

 

「最高じゃん」

「でっしょー!」

 

 お互い顔を見合わせてニヤリと笑うと、思い思いに手を伸ばした。茜は名前からして非日常的な入浴剤やアロマオイルを吟味する。私は所狭しと並べられたスイーツに目を奪われる。一つは一つはミニサイズだが、だからこそ多彩な味が楽しめる。

 

「ねー茜。ここのスイーツコンプリートしようよ」

「アリだね〜」

「決まり」

 

 ミニカップに詰まったちんまりとしたスイーツを全部手に取る。このサイズなら無限に食べられそうだ。隣には更に無料のワインバーもあったりするが未成年なのでお預け。

 それぞれの両手に食べ物やアメニティを抱えて私達はエレベーターのスイッチを押した。

 

「こういうエレベーターってイチャイチャの定番スポットだよね」

「そうなの。知らないけど」

 

 ピンポーンという軽快な音がエレベーターの到着を知らせる。

 

「しちゃう?」

「この状態でできるの?」

「む……くっつくくらいなら」

 

 ウィーンと空いた扉。

 中から出てくる一組の男性たちを認めて私達は道を開けた。

 

「ね、言ったでしょ!」

 

 私達を収め上へと登る箱の中で茜は意気揚々と声を上げた。

 

「はいはい、そうですね」

 

 あの男性達、さっき扉が空いた瞬間に身を離すのが見えた。茜の言う通り、ほんの一時に愛を確かめ合っていたのだろう。

 

「じゃあ私達も対抗してイチャつこうみたいな話にはならないからね」

「なるほどなるほど〜。まりーはやっぱり私と完全に二人っきりになれる空間がいいんだね〜」

「それは論理の飛躍だ」

 

 最上階から数えたほうが早いフロアでエレベーターは止まった。

 

「ひょっとしていい部屋だったりして」

 

 茜が持つカードキーの番号と壁にかけられた部屋番号とを見比べながら整然とした廊下を進む。

 

「それ、当ったり」

「え、マジ? いくらするの」

「いやいやいいって。まりーには事前に伝えてないんだから。私が出すの」

「でも」

「まりーには拒否権ありません!」

 

 それを言われたら私はどうしようもない。今私にとって一番有効的な魔法だ。

 

「ここだね」

 

 お目当ての部屋を見つけ、カードキーをかざすと緑のランプが解錠を教えてくれる。

 

「どうぞ〜」

「お邪魔しま〜す」

 

 人生初のラブホテル。私はそこに足を踏み入れた。

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