第9話
「んーーっあぁ!」
「……」
茜が
同じく伸びをしながら、或いは感想を言い合うなど、思い思いの行動でぞろぞろと席を立つ観客達。出口付近はもう人でいっぱいになっていた。
今行っても出れないし、まだこうしていよう。
「まりー! すごかったね!」
しかし茜は私にはお構いなしのようだ。
「演劇って見たことなかったけどあんなにすごいんだ! なんかね、心が揺さぶられたっていうか、
それについては同感だ。
最初の上演はプロ劇団のほうだった。こちらはキャッツみたいなミュージカル調で、音楽、歌声、ダンスが織り混ざった愉しげなプログラムだった。アップテンポな演奏に合わせて、ダンサーの演者が軽やかにステージを跳ね回り、ライトアップとダンサー達の体で表現される模様や陣形は感嘆の息を隠せない程鮮やかで美しかった。
しかし歌役の透き通った声はそんな騒然たる舞踊の中をも貫いて、鼓膜を震わせてくる。
光景と音。
どちらも負けず劣らずの大迫力なのだが、一方がもう片方を圧倒して覆ってしまおうという意識は全く感じられなかった。あのミュージカル調はお互いに引き立て合って初めて成立する、そんな公演だったのだ。
「演劇部、すごいね……あれで高校生なのか……」
「それなー」
期待していた例の演劇部は、期待以上の力をありありと私に刻みつけていった。演劇部とはなっているが、プロ劇団です、と言っても百人中百人は信じてしまうはずだ。
先とは違い、こちらはストーリー仕立てのザ・演劇というイメージを抱かせる。とある国の王女が政略結婚の道具にされるが、そうはさせまいと幼馴染の
そう、ラブロマンス。
この点だけは大変気に食わないが、高校生の素晴らしい演技という点を考慮して今回は目を
シナリオだけで無く騎士役の
良いものを……見た……。
「ねぇねぇ! ラストのキスシーン。あれほんとにキスしてると思う?」
高揚した茜が言うキスシーンとはきっとラストの部分だろう。騎士の腕の中で王女と口づけを交わすシーンがあった。
なんか思春期真っ只中の中学生みたいな反応だな。
「リアルにやるわけないでしょ。高校生の演劇なんだし」
「もう、夢がないなぁ、まりーは。案外やっちゃってるかもよ。んなー! あーいうときにどさくさに紛れてしちゃう感じてぇてぇくね⁉︎ 分かる⁉︎」
「ごめん、ぜんっぜん分かんない」
「それを分かるんだよ、まりー! てかストーリーとしても超ロマンチック! あんなキスしてみたい! ね、まりーは騎士と王女どっちやる?」
「やらないから。なんかもう、これからコスプレしてイチャイチャするみたいな雰囲気になってるけどやらないから」
「私騎士役ね。ん〜こういうキスも良い!」
聞いてないし。
主演の王女役と近衛役はどういった人なのだろう。自分と同じ高校生がいったいどんな経験と時間を経てあそこまで大成できるのか。胸中で純粋な興味と疑問が沸々と浮かぶのを感じた。
「よし、まりーそろそろ行こ」
ひしめいていたホール内の人もいつの間にかほとんどが姿を消していた。私達もちょうどいい頃合だろう。
冷めやらぬ興奮をそのままに外を目指す。きっと一月の外気を一身に浴びてもこの高まりは冷えることない。
あぁ、演劇っていいな。見る分には。
「お疲れ様だね」
入ってきたときのルートを逆戻りしていると、左に曲がる廊下の先から話し声が聞こえてくる。
ちらっと横目で見て私はどきりとした。
「あ、あ、茜! あれ」
「ん〜何って……わお」
私は大きくなる声をできるだけ抑えるがあまり効果はなかった。
それはそうだろう。
そこにいたのは先程舞台で華麗に舞い、美声を響かせただけでなく、私の心をぐらぐら揺らしたあの二人なのだから。
演目が終わってそのままの休憩なのだろうか。衣装はそのままに自販機で『あったか〜い』飲み物を選んでる最中だ。
「私はバリバリ甘いものですけど、先輩はどうします?」
「えーあったかい緑茶とか無いの?」
「残念ですけどね……」
二人仲睦まじい様子は彼女らの信頼関係を匂わせる。
「じゃ
「おっけーです」
あのコンビネーションだったのだ。プライベートでもさぞかし親交が深いのだろう。
「すごいよ、茜! 本物だ」
向こうがこちらに気づいていないことをいいことに、ついつい見つめてしまう。
「……まりーってはしゃぐことあるんだね」
「え? あ、いや」
私はしゃいでた?
周りから見たらそうなのだろうか。茜が珍獣でも見つけたようにニヤニヤする。
うっ急に恥ずかしくなってきた……しかも茜に見られたし。
「べ、別にそういうんじゃないから! さっきの素晴らしい演者さんがすごそこにいて——」
「んーじゃあ、それ直接伝えてみたら? きっと喜ぶよ」
「そそそんな畏れ多いでしょ。私みたいなのが」
「まりーってそういうキャラだっけ」
「私だって遠慮、配慮の一つくらいするわ!」
「ふーん、まいいや。すみませーん!」
「え?」
え? あれ絶対、あの二人に言ってるよね。他の人にじゃないよね。
「ちょちょっと何やってるんですか茜さん⁉︎」
取り乱すあまり茜に敬称なんていう、一欠片も思ってないものを付けてしまう。
大きな声で呼ばれていることに気づいた二人はココア缶を手で包みながら振り向いた。
「先程主演で演技されていた方々ですよね?」
茜がたじろぐことなく問うと、先輩と呼ばれていた女王役さんが口を開く。騎士役さんはその少し後ろで控えめにしていた。
「そうですけどなにか?」
「ですよね。本当に良いものを見せてもらいました。さっきの。それでですね、あの子が感想を言いたいって。ほらほらまりー」
え、ちょ、私を呼ぶな! 勝手に盛るな、言ってねぇよ! いやでも確かに名演技だって思ってるけど……でも直接なんてそんな。え、でも逆にこのままなにも言わずに逃げたらそれもそれで失礼じゃない? 冷やかしかよってなっちゃうんじゃない? え、八方塞がり。どうすんのよ、これ⁉︎ 茜ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!
凄まじい情報量を踏まえ、今すぐとるべき行動の発案、精査、廃案、次なる発案と自己決断が回る回る。今の私はスーパーコンピュータ
「へーそれはわざわざありがとうございます。凛、感想だってよ、やったね」
あ、女王役さんが喜んでいらっしゃる。近衛役……凛さん? もだ。もう逃げられへん。
「ほらほらまりー。恥ずかしがってないで」
くいくいっとおいでのジェスチャー。
なんか……カチンと来た。
これじゃ私は小動物か子供みたいじゃないか。いいだろう。だったら伝えてあげよう。私の思ったこと感じたこと全てお伝えしよう。
腹を
息を吸った。
「あ、えっと……お二人の演技とても良かったです。……心がじんわりしたっていうか、その……感動いたしまして。私も……っていうかこいつもなんですけど高校生でして、私達と同じ年齢でプロ顔負けだなって思って。こ、今回の最初の演目よりも素晴らしいと私は思っております。えっと、そのお忙しいところすみませんでした。ココアご堪能ください。はい」
おい、私の決意どこ行った?
数秒前の半ばヤケのような熱い決意は鳴りを潜めてしまい、私の口から出たのは語彙力が無く、声も小さく、ボソボソとした謎の言葉の雑音だけだった。
あ、死んだわ。もう、死んだわこれ。てかココアってなんだよ。
最後にぺこりと頭を下げる。
「……」
沈黙が痛い。
黙を苦痛と感じたことはこれまで一度たりとも無かった。私は周りと違うし、下々には私の言葉は通じない。そう思ってたからだ。でも今回は違う。
気まずい。
私自身が敬服に値する方々だと判断した人の御前で晒す体たらくは死ぬ程気まずかった。
消えたい。原子単位で分解されて消えたい。茜、頼む。私を
「そ、そのありがとう……ございます」
女王役さんの後ろでこそっとしていた騎士役さんが話し始めた。
「プロ顔負け……そこまで言っていただけるなんて、すごく嬉しいです」
「お、人見知りコミュ障の凛がここまで喜んでる。言葉こそ少ないですけど、この子めっちゃ嬉しいみたいですよ」
「先輩、余計なこと言わないでいいんです!」
なんか言われたくないことを暴露されたみたいで、赤くなっていらっしゃる。
でも、私は大したことは言っていない気がするのだが。
「え、その、そんなに嬉しいものでしたか? 拙い言葉でしたけど」
それが気になって恐る恐る尋ねてしまった。
「え、そりゃーもう! 演技やってる人なら、というか観客にパフォーマンスする人は全員と言ってもいいくらい、生の感想は嬉しいものですよ。例え楽しんでもらえていたとしても、顔を合わせて感想言ってくださる人なんてほんの数人。今日だってあなた方が最初なんですよ」
女王役さんは私の不安になってる理由を理解しているようで、終幕後に姿を出さない私達も悪いんですけどね、とにこやかに付け足した。
本当にそうだとしたら私は少しくらいはいいことをしたのか?
「SNSの感想よりはやっぱり言葉ですよ。勇気出して声をかけてくださりありがとうございます」
「ありがとうございます」
今度は二人が私達に頭を下げる番だった。
「にしても休日にお友達と演劇を見に来るなんて、いいセンスの学生さんですね」
「ノンノンノン。違いますよ。私達カップルで今日はデートです!」
女王役さんに対して、茜が修正してやる! とばかりに口を挟んだ。止める隙も無かった。
「はぁ⁉︎ な、なに言ってんの⁉︎」
素早くガシッと腕に腕を絡めてきた茜を振り解こうとするが、トリモチでもついているのか全く剥がせない。
離れねぇ! 何だこいつ、人間じゃない⁉︎
「彼女の行きたい場所にはついていかなきゃですからねぇ」
「別に違います、こんなの! ただの幼馴染です!」
「ほえ〜なるほどなるほど。そういうことね〜」
なんでそんな納得顔してるの女王役さん⁉︎ 騎士役さんも興味津々で見てるし!
「え、何? 凛、私達もしたいって?」
「離れろ、こら!」
「やだ〜」
「焼くぞ」
「焼くの⁉︎」
「凛、もしかして、このお二人さんに妬いてるの?」
「妬いてません!」
なんで向こうも放火の話してるんだ⁉︎ もうカオス!
「あはは、良きかな良きかな。あ、それじゃ私達は楽屋、戻りますね」
「むー失礼します」
「え、あ、はい。貴重な時間ありがとうございました」
「こちらこそ。デート、楽しんでネ」
その言葉を残し、手を振りながら立ち去ってしまった。
呆然と見送る。
え、私ら女同士なのに応援してくれてた……?
てっきり触れちゃいけない人みたいな扱いをされるのを想像していた。男女でもないのが一緒にベタベタとしてたら、そういう反応が普通ではないのか。
「私達引かれなかったの?」
「多分ね」
「女同士なのに?」
「まりー、世の中は広いうえに日々変化するのだよ」
「……。てか邪魔」
「あうち」
あの人たちは女同士でカップルって聞いても何一つ
『世の中は広いうえに日々変化するのだよ』
……不思議な感じ。今や同性愛は別に普通? 私がおかしい?
消化できないものが残って
あと……。
「茜」
「ん?」
「その感想伝えられてよかった。喜んでもらえたみたいだし。だから、あ、ありがと……」
私だけだったら絶対怯んで声なんてかけなかった。けど茜の持ち前の社交性のおかげで話すきっかけができた。実際に話せて嬉しかったし、向こうにも嬉しいって思ってもらえた。テンパり過ぎて聞きたかった来歴やら経験やらは尋ねそびれて惜しい事をしたが、ここは素直に感謝するべきだろうと思う。
また貸しが一つ……うっ。
「いいよいいよ。彼女さんがしたそうだったんだもん」
「そんな素振りは……心の準備だって……」
「よしよし」
茜の手のひらが髪を撫でた。
さわさわ。
気持ちい……よくない!
「子供扱いすんな」
「お礼が言えて偉いねぇ」
「やめろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます