第五十二話 逆巻く刻《とき》

 不意の衝撃。


 物理的な衝撃ではない。急に頭の中に、俺の知らない記憶が流れ込んできたような。


(待て……、ここはどこだ。今は、いつだ?)


 急にそんな焦燥感しょうそうかんられたのだから、不安にもなると言うもの。


 目の前ではウィルテイシアがハヤトの攻撃を捌き切れなくなっているところで。今は余計なことを考えずに、目の前の状況を打破しなければならないのに――。


(いや、待て。この状況。知ってるぞ……)


 流れ込んできた記憶によれば、この後ウィルテイシアは、ハヤトの魅了にかかって俺を裏切る形となり。結果死ぬ。


 それは自らを蝕む魅了に対する抵抗で、彼女が自分自身を貫くための、究極の方法だった。そして、それを目の当たりにした俺は、彼女の後を追って自殺をし。そこで……。


(そうか、これが時間移動……。未来の俺が今の俺と重なって、一つになったんだ!)


 未来の記憶が過去の自分に継承されるなら、それは時間を遡ったと捉えてもいいだろう。この先に起こることを知っている状態で、俺はもう一度、同じ状況を迎えたのだから。


(つまりここで何をするのかが、この先の命運を――。の未来を決めるってことか……)


 絶対に失敗できない。


 失敗すれば、また前回と同じ思いをすることになるから。


 そして何より、と同じ思いを、にさせてしまうから。


 それだけは、この命の全てを賭けてでも、阻止しなければならない。


(まずは状況の確認だ……。どこまで事態は進んでる?)


 アレクとティオは、まだ離れたところで倒れたままだ。となれば、ここで俺がうじうじ考えていた隙に、ハヤトが例の宝玉を使ったということ。


 それがわかっているのなら、対応は容易い。


 ハヤトが宝玉を使う隙を、俺が与えなければ済むことだ。


(俺が集中力を切らさなければ、ハヤトは迂闊うかつに宝玉は使えないはず。あいつにとっては一個一個の古代遺産アーティファクトが切り札なんだ。だったら……)


 そして、ハヤトは。それを使うタイミングをあやまるようなやつじゃない。これ以上ないというくらいのタイミングを見計らって、最大限の効果を得ようとするだろう。


 次に、俺は自身の状態を確認した。


 星痕ステラインデクスは、既に浮かんでいる。これは前回とは大きく違う点。星痕ステラインデクスがその力を発揮するのは、異種族間のカップルが、お互いを強く想った時。


 前回の俺は、焦るばかりで自分のことしか考えられていなかった。だからこそ、星痕は発動せず、結果、両者自殺という最悪の結末を迎えてしまった訳である。


 今の俺には星痕ステラインデクスがあり、それはウィルテイシアも同じ状態。ならば、あの魅了さえ防いでしまえば、こちらの勝ちは確定すると言っていいだろう。


 戦闘が長引けば、ハヤトが盾にしたことで傷ついた、フィオナの命も失われてしまうし。あの宝玉の操られたアレクとティオも無事で済んだかわからない。


 そこまでわかれば、あとは最適解を導き出すだけ。


 主な問題は三つ。『魔力封じの結界』、『操りの宝玉』、そして『魅了の義眼』だ。それを一つずつ潰してしまえばいい。


 俺は杖の握り直し、星痕ステラインデクスから流れて来る強大なエネルギーを体内で練り上げ、そして爆発させた。


 星痕ステラインデクスから溢れ出すこの力――神聖力とでも呼ぼうか。魔力とは性質が違うので、魔力封じの結界の中でも、問題なく機能してくれている。


(まずは一つ!)


 急加速でハヤトとウィルテイシアの間に割って入り、彼女の代わりにハヤトの攻撃を受け止める。まだ、アレクとティオは起き上がっていない。つまり、操りの宝玉は未使用。


(これで、二つ!)


 続いて、ハヤトの左目の義眼を潰そうと。ハヤトの攻撃を受け流してから、杖をくるりと回し、先端をハヤトの義眼に向けて突き出した。


(これで 最後!)


 しかし、俺の目論見は外れ。ハヤトが思わぬ動きを見せる。


 具体的には時の流れがすっ飛んだような。途中の動きがないまま、ハヤトの姿勢が変わったのだ。


(くっ!? 他にも古代遺産アーティファクトを持ってたってことか!?)


 俺の攻撃は難なくかわされ、代わりに前から直線的に迫った蹴りが、俺の腹部にめり込む。


 突然の衝撃で、俺の横隔膜は上に向かって押し出され。肺から一気に空気が抜けた。要するに呼吸不全。空気がなければ生命は生きられない。頭は働かず、筋肉も動かないという状態。


(これは……、まずい――っ!?)


 やや遅れてついて来る思考が警鐘を鳴らすものの、身体からだの反応はそれに追いつかず。


 ハヤトの前で、致命的な隙を作ってしまった。


「少しヒヤッとしたがよぉ!? それでも俺の勝ちだぁ! ライオットぉ~!」


 俺が仰向けに倒れ込むのと同時に、ハヤトは眼帯を外しにかかる。


 狙いは、俺の後方にいるウィルテイシア。俺が急に割り込んだからか、彼女も状況が呑み込めず、ハヤトの動きまで注視できていない。


 このままでは、またウィルテイシアが魅了にかかってしまう。


 今の彼女には星痕ステラインデクスがあるから、必ずしも前回と同じ結果になるとは限らないけど。それでも、可能性が万が一にもあるのなら。


 俺はその芽を摘み取らなければならない。


(考えろ! ここから挽回する方法を!)


 時間の流れがゆっくりと感じる。


 それはたぶん。俺の頭がきちんと働いていないだけで。


 それを補うように、心が。魂が、俺に活路を見出すためのチャンスをくれる。


 この場を切り抜けるために行使できる、俺の切り札。


 俺は既に、それを手に入れているはず。


 ウェンディーヌは言った。一度だけ力を貸してくれると。


 果たして、それを使うのが今なのか。本当はもっと未来に使うべきタイミングが来るかもしれない。


 けれど、この場を切り抜けなければ。そもそも、その未来は来ない訳で。


(けど、それを使ったら。たぶんこのお守りは……)


 精霊石は非常にもろいと聞いた。


 大精霊であるウェンディーヌの力を振るおうとするなら、その力に耐えられるはずはないだろう。


(フィオナ……)


 この期に及んでなお。過去に縛られている俺がいた。


 どうしようもなく女々めめしく。みっともなくて。格好悪い。


 俺の悪いところそのものでしかなく。


 今の――。いや、これから先の俺には。


 必要ないもの。


 だから、俺は。


 かつて抱いた想いと誓いを、ここで捨てると決めて。


 ただ真っ直ぐに、ウィルテイシアを。彼女だけを見つめていようと。


(フィオナ、今までありがとう。君がいたから、俺はここまで強くなることができた。もう君にすがるのはやめて。生きる理由を他人に任せないで。ちゃんと自分の足で立って。自分の意思で生きて。俺は。ウィルテイシアと、ともに歩んで行くよ!)


 もう迷いはなかった。


 未練も消えた。


 過去の弱い自分と。そんな俺を支えてくれていた大きな夢を。


 俺は手放して。その先の未来へと歩みを進めるために。


 胸の内ポケットから精霊石のお守りを取り出し。今まさに魅了を発動しようとしているハヤトに向けて。


 全力で、目いっぱい。腕を振り下ろし。お守りを放り投げる。


「契約に従い、今一時! 御身おんみをこの地へと顕現けんげんせよ!」


 何を言えばいいのかは、聞いていなかったけど。


「ライオット=ノールディが、求め、願い、うったえたる!」


 その言葉は、自然と頭の中に浮かんで来た。


「太古より在りし、大いなる恵みで世界を潤す水の大精霊よ!」


 空中に放り出された精霊石が、その輝きを増し。


「我が声に応じ、その慈愛と、奇跡をここへ示したまへ!」


 その輝きは、まばゆい閃光となって。周囲を照らす。


「来い、ウェンディーヌ!」


 かねての契約通り、たった一度の水の大精霊の守護の奇跡を。発動させた。


 瞬間。精霊石から放たれた閃光は、光の柱へと姿を変えて。


 その超常的な力を持って、ハヤトが生み出した魔力封じの結界を。


 簡単に貫き、消し去って見せた。

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