第二十四話 始祖の末裔と守護なしの意味
ぽっかりと空いた結界の穴を
今までに見たこともないような、太い幹の木々。大人十人がかりでようやく取り囲むことができるかというぐらいの規模感とでも言えばいいだろうか。その光景は絶景という他なく。それはそれで一種の異界なのではないかとすら思うほど、静寂に包まれていた。
ふと後ろを見れば、たった今自分たちが通った結界の穴は、すぐに閉じてしまう。
なるほど。これなら見つかりにくいし、専用の結界なのだろうから、他種族は侵入できない訳か。精霊の泉の時も思ったが、上手くできているものだ。今後の参考にしたい。
道なき道を進むことしばし。それまでの木を遥かに凌駕する。先ほどまでの木ですら可愛く見えるほど幹が太く、
ツリーハウスというのも書の中で見たことがあるが、これはそんな規模ではない。樹木の上に町が広がっている。そんなイメージと思うといいだろう。
「これがエルフの里か……」
人間の生活スタイルとは全く違う。まさしく異種族というべき、文化の違い。ウィルテイシアが育った環境だというのを抜きにしても、非常に興味深いところだ。
が、そこから向けられる何人とも言えない無数の視線は、とても冷ややかで。
「ウィルテイシア……。これは……」
「ちゃんと話すよ。だから、一度私の実家に行こう。その方が静かに話ができる」
「静かに」の部分がひときわ印象的に聞こえて。きっと話づらい過去があるのだろうと、俺は静かに覚悟を決める。
成り行きとは言えともに旅をすると決めた相手の心の内だ。それを
多少の昔話はこれまでの旅の中で聞いているが、彼女の過去に何があったのかの詳細は伏せられていた。それをこれから聞かせてもらえると言うのなら、それは俺がきちんと向き合わなければならない。今の彼女を構成している重要な要素なのだろう。
彼女の先導で辿り着いた、
しかし、小屋から誰かの気配を感じることはできない。
先ほどのウィルテイシアの様子を見れば、ただ外出しているだけということはないのだろう。彼女の両親は、恐らく――。
「……ただいま」
小屋の木戸を開いて、ウィルテイシアは小さく呟いた。剣士としては逞しいはずの彼女の背中が、急に小さく見える。
今すぐ彼女を抱きしめたい衝動にかられたものの、まだ彼女からの話を聞いていない。たぶんつらい過去なのだろうからと、俺は黙ってその背に続く。彼女を抱きしめるなら、そのあとにするべきだと。
小屋の中は、きれいに整頓されていた。それでも長年誰も生活していなかった様子は見て取れる。建物はあちこち傷んで来ているし、この森特有の清浄な空気の中に、埃っぽさやカビ臭さが混じっていた。
「私の家庭は、な? 始祖の末裔と言われていたんだ……」
おもむろに彼女が語り始める。
俺は、あえて
彼女が自分の家を懐かしみ、愛でるように家具を撫でるさまを見れば。俺の言葉など雑音でしかなく。彼女の決意に水を差しかねないとすら感じる。
だから、俺は何も言わず。彼女が自らの意思でそれらを語るまで、ただ待つことにした。
「私が幼少の頃は、この容姿から『始祖の生まれ変わり』とすら呼ばれて、里の皆が、私を持て囃してくれたんだ。ここでは聖紋と呼ばれていたが、私の眼の下にある、この紋様だな」
彼女は自身の顔――目尻の辺りにそっと触れながら言う。
そして、当時を思い起こしているのだろうか。彼女の口元は、ほんのり笑みを浮かべている。でもその瞳は寂しげで、悲し気で。
その先に続くであろう転落の人生を伺わせた。
「エルフは百歳を迎える頃には、精霊を身に宿し、その守護を受ける。人間で言ったら、だいたい五、六歳と言ったところか。だが、私の下には、いつまで経っても精霊は来てくれなかった。それは結局、今でも変わらず、だ……」
彼女は、自らの右手を伏し目がちに眺める。先ほどまで緩んでいた唇は、今はキュッと結ばれ、悔しさが
ウィルテイシアの下に精霊が現れなかったから。その守護を受けていないから。彼女は、エルフなら誰でも使えるはず精霊術が使えない。それがどれだけ彼女を苦しめたかは、彼女の今を見れば、容易に想像できた。
「守護なしの
俺には両親の記憶がほとんどないから、彼女の気持ちの全てを受け止めることはできない。強いて言うなら、俺にとっては孤児院のシスターがそれに当たるのだろうが。それだって本当の親ではないし、俺にとっても親というほどの思い入れがある訳でもない。
「ご両親は、どうして亡くなったんだ?」
俺は、ここで初めて彼女に声をかけた。きっと彼女がそれを望んでいると、そう感じたから。
「私が成人する少し前のことだ。先代魔王が勢力を拡大して、この里にも侵攻してきた。森への侵入前に撃退できたから、里自体は無事だったが。両親は魔族に殺されたよ。精霊術が使えず、足を引っ張った私を庇って……」
何も、言えなかった。
俺が何を言ったところで過去は変わらないし、何より彼女の慰めにならない。
俺にできるのは、彼女のその心の重荷を、ともに背負うことだけ。
「そこからはとんとん拍子だった。両親という後ろ盾を失った私は、里の皆からの視線に耐え切れずに、逃げ出して、さ迷い歩いて。でも自分なりに強くなろうと決意して、そのためには何だってやって。私が成人する頃に、先代魔王を暗殺した。当時の私には、そうすることしかできなかった――が、正しいな……」
たった一人で先代魔王を討伐した大英雄。しかしその実態は。どこにでもいる普通の少女が、自分ではどうにもできない事情で不幸のどん底に叩き落されて。そこから這い上がるためにがむしゃらに努力を続けた結果だった。ということである。
ここまで聞けば。それが話の終わりであることは明白。
出会ったばかりの頃に彼女が俺に見せた表面的な明るさは、自身の中にある闇をごまかすための仮面。俺に嫌われまいと、彼女が見せた精一杯の抵抗だった。
ならば俺のやるべきことはただ一つで。少し離れた位置にいた彼女にスッと歩み寄り、悲し気に自嘲する彼女を、そっと胸の内に抱くことだけ。
俺の胸に顔を埋めた彼女から、ほんの少しすすり泣く声が聞こえたのを。俺は優しく包み込もうと、緩やかに彼女の背に手を回した。
(ごめん、ウィルテイシア。俺、今まで何も知らなくて……。君の優しさや愛情に甘えてた……)
出会ったばかりの頃に彼女が口にした本音も。たぶんその奥にあった真実の本音を覆い隠すためのベールであったのだろう。
これまで気丈に振舞っていた彼女は。結局のところ、彼女はどうしようもなく普通で。どこにでもいるような一般的な。そんな女性だったのだと。改めて思い知らされた。
(だったら、俺もそういうつもりで彼女に接するべきだよな?)
伝説の大英雄だからと言って、彼女は決して特別じゃない。本来なら当たり前に、この里で育ち、幸せに暮らすはずだった。そんな、普通の女性。
何が理由で彼女の下に精霊が来てくれなかったのかは、わからないままだが。
それもこの旅の中で見つかるといいなと、俺は。本気でそう思い。
その瞬間が来て、彼女が自らの生き方に誇りを持てるようになるまでは。彼女の隣を歩き続けて。彼女を支えられる男になりたいと。そう
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