第十三話 群青のデモストール

 凄まじい拳圧で、拳が当たる前に足場にしていた氷塊が砕ける。


 俺とウィルテイシアは寸前でそれぞれ別の氷塊へと向けて跳んだが、爆散に等しい威力で飛び散った細かな氷塊に襲われ、全身のいたるところに。そこそこの深さの傷を負ってしまった。


 攻撃の勢いで舞い上がった海水が降り注ぎ、全身を濡らすと。塩水が傷に触れて、ピリピリとした痛みが生じる。


(我慢するしかないとは言え……。くぅ~っ、しみるっ!)


 もちろん我慢は利くが、痛いものは痛い。早いところの戦闘を終わらせて、真水で身体からだを洗いたいところだ。そんな量の真水が、果たして船に積み込まれているかは、わからないけど……。


(しっかし、身体からだがでかいだけあって、やっぱりバカ力だな……)


 狙いすましていなくとも周囲に被害を及ぼすので。こういう単純な暴力は性質たちが悪い。


 いまだ大きく弾けて舞い上がった海水が、絶え間なく降り注いでおり。別方向に跳んだウィルテイシアの姿が見えなくなってしまう。彼女のことだからと、さほど心配はしていないものの。ここで無言でいられるほど、俺の肝は据わっていなかった。


「ウィルテイシア! 大丈夫か!?」

「こちらは大丈夫だ! ライオット、貴方あなたの方は!?」


 荒れ狂う海水の嵐の音に交じって、かろうじて、彼女の無事を伝える返事が届く。向こうもこちらを心配している様子だが、彼女が無事なら、今はそれでいい。


 俺は「気にするな! 攻撃続行だ!」と声をかけ、彼女の返事を聞く前に移動を開始し、魔法による雷撃の槍をデモストールに打ち込む。


 見た目は派手だが、これも無詠唱なので、威力はそれほど高くない部類の魔法に過ぎない。のんきに詠唱をしている余裕がない戦場では、こういう使い勝手のいい魔法をつい使いがちだ。


 しかし、威力が低いだけあって、デモストールにダメージが入っているかと言われると微妙なところ。とは言え、味方の立ち位置すらわからない状況で高威力の魔法を放つ訳にもいかず。


「ええい! 師匠も言ってたけど、でかい敵ってのは厄介だな!」


 圧倒的な体格差。それは戦闘の局面に大きく影響を与える。しかも、相手は水中でこそ力を発揮する魚人。水上に上体を出している分、本来の力を純然に発揮できてはいないはずなのだが。もし水中に潜られでもしたら、それこそ目も当てられなくなる。


 本来の能力を発揮していないのに、この強さ。さすがは一部隊を任される立場にあるだけはある。侮れない。


(ああ~、くそっ! 考えろ、俺! 考えずに戦うなら魔道人形ゴーレム事足ことたりるって、師匠がいつも言ってただろ!)


 自分よりも遥かに大きい敵。鱗は強固で、筋肉も分厚い。やわな攻撃で通るはずがないのは目に見えている。デモストールの視線の動きを見るに、反対方向からウィルテイシアが何らかの攻撃を行っていることが窺えるが、それも通じているかと言えば望み薄だろう。


 味方がこちらから見えない位置で、同じ相手と戦っている状況。下手な攻撃は味方を巻き込むので使えない。求められているのは、最小限の力の、かつ最大限の効果。であれば――。


 刹那。俺の磨きに磨いた戦闘思考が導き出した最適解が、状況を一変させる。


(これしかないか……。俺のは、師匠の精度にはまだまだ及ばないんだけどな……)


 練り上げた魔力を解放し、必要な状態を魔法で作り出す。氷の塊という点では、足場の氷塊とさほど変わらないけど。用途としては全く違うもの。


 縦横無尽に張り巡らされた何本もの氷柱と、それを覆い隠す氷の天蓋。魔力を流し込み続けることで強度を増した、鋼鉄をも凌ぐ堅牢なる氷のおり


 最小限の手段で、最大限の効果を。これも師匠の教えで、要は「余計な魔力を使うな」なのだけど。今更ながらに、その重要さに気づかされる。普段は飲んべえで、絡み酒気質の、残念美人だけど。その教えは非常に的確で。俺は彼女に師事しじして、本当によかった思っている。


 海面や外側の壁から無数に突き出した氷柱がデモストールの手足を絡め取るように取り囲み、完全にその動きを封じた。


 これは決して高威力の魔法ではない。俺がおこなったのは、ただ純度の高い氷の生成のみ。故に詠唱は必要なく、予備動作もほとんどいらない。ただ、これだけ大量の氷を一度に扱うのだから、魔力消費はとてつもなく多いけど。


「なぁっ!?」


 デモストールが驚愕の表情を浮かべ、氷柱を破壊すべく手足を振り回そうとするが、それは叶わない。


 魔力を通すことで強度を増した氷は、もはや硬さと柔軟性を併せ持つ金属に等しく。それ故に、力が加わっても、適度にしなり、壊れない。これがこの魔法を組む上での、大事なポイント。


 参考にしたのは、極東の島国に伝わる『刀』と呼ばれる刀剣の、刃の生成方法である。これまでの人生でたくさんの書を読んだからこそ。俺は俺なりに、この手法を魔法に転用するに至った。


(だいぶ楽になったとは言え。複数回使うことを想定するなら、この魔力消費量はやっぱり痛いな。まだまだ魔力量を底上げしたい……)


 そうして完成したのは、通常の結界とは、そもそも発想の原点が異なる。師匠が言うところの『固有結界』。


 守るためではなく、攻めるために張り巡らせる。俺による、俺だけの、俺のための専用空間。構成上一分の隙もないはずと、俺自身は思っているし。そうなっている確信だってあった。


 そして。ここはもう、俺の魔力が支配する、固有結界の中。外を覆うドーム状の氷の壁と、その中に群立した透明な氷柱が外から光を取り込み、一方で外には逃がさない、一種の異界。俺が許さぬ限り、何者も自由に出入りすることあたわず。


 故に、この空間で動けるのは、俺以外にはたった一人だけ。


「ライオット!」


 数分ぶりにようやく姿が確認できたウィルテイシアは、先ほどのデモストールの攻撃の影響で、全身に傷ができてしまっていた。傷は決して深くないものの、見ていて痛々しい。


「ごめん、ウィルテイシア……。最初からこうしておけばよかった……」

貴方あなたが謝ることは何もない。私は大丈夫だよ」

「あとでちゃんと治療するから、それまで待っててくれないか?」

「……そうだな。私もあなたもボロボロだ。終わったら、一緒に治療しよう」


 そう言って。にっこりと微笑みかけてくれる彼女が、まぶしく見える。海水の塩分で傷口が痛むだろうに。彼女の心遣いが、一層俺の心に影を射す。


(俺がもっと上手く立ち回れていれば、彼女にこんな痛い思いをさせる必要はなかったのに……)


 こういう部分がダメなのだと、自分を卑下するも。どうやらウィルテイシアの考えは違ったようで――。


「ライオット、それよりも――」


 彼女の笑顔が一転。段々青ざめて行った。俺の無事を確認したことで、ようやく周囲の状況に意識が向いたらしい。


「――これは、何だ?」


 何と言われても見たままのものでしかないけど、何が気になるのだろうか。


「たぶん師匠のには及んでないけど、俺なりに構築した、氷を使った固有結界だよ。氷の純度を上げて透明にすることで光の屈折率をコンロトールして、外に光が漏れない一種の隔絶空間に――」

「ちょっと待ってくれ。固有結界と言ったのか?」


 何やら相当驚いた様子のウィルテイシア。このくらいの精度の結界ならば、修業時代に、師匠に何度も閉じ込められたものだけど……。


「どこか変か? 何かほころびがあるとか……」


 自分ではわからないが、英雄ならではの目利きでは見つかるのかもしれない。そう思ったのだが、彼女が口にしたのは全く想定していない言葉だった。


「固有結界は、今となっては失われたはずの古代魔法の一種だぞ?」

「……え?」


 そんなはずはない。何故なら師匠は。普段使いと言っていいほどに、何度も何度も。俺の前で使って見せたのだから……。

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