第七話 痴話喧嘩を船員は食わない
とりあえず、旅の道連れとして。ウィルテイシアに同行することにした俺。
しかし彼女は、いざ歩き出したかと思えば。ずんずんと先を行ってしまう。
「あの~、ウィルテイシアさん?」
「何だ? ライオット=ノールディ!」
「ああ~、ライオットだけでいいよ。ノールディは孤児院の名前だし、もしいずれ君の言うように俺たちが結婚することになるなら。その……。同じ苗字になる訳だし?」
「そうか! ではライオット。改めて聞くが、どうした?」
こうして話している間も、彼女の歩みは止まらない。ルンルン気分で歩む様は、次の瞬間にはスキップでも踏みそうなほど。それも、当てもなく歩いている風ではなく、明らかに向かうべき先が決まっている様子。
(この先は……。確か一般民家と船着き場くらいしかないはずだけど……)
「こんな夜中に、どこに向かってるんだ?」
「船乗りの家だ! まだ結婚していないとは言え、いい人が見つかったと、故郷の
「ああ~、それは~。なるほど?」
どうやら実家に帰るのに、大陸を渡る船をご所望らしい。
「いやいやいや! こんな夜中に船を出してもらえる訳ないだろ!?」
「何故だ?」
「何故って……。今、何時かわかってる?」
住民には住民の生活がある。勇者パーティを追い出された男と、おとぎ話に出てくる英雄と同じ名前のエルフが、二人そろって押しかけたところで、「はいそうですか」とならないだろう。港町の住民ばかりは、異種族に対しても多少寛容だったりするにしても、だ。
世知辛い話だが、そこは信用問題にしかならない。どこの誰とも知らない男女。それも異種族同士のペアに、信用に値する実績がある訳もないのだから。
それを説明すると、彼女は急にふくれっ面になって、俺に詰め寄った。
「では何だ!? この
「そうするしかない。現実的に……」
膨れた頬は口いっぱいに食べ物を詰めた小動物のようで、思っていたよりも子どもっぽい一面があることを伺わせる。
一番気にかかるのは、やはり彼女の豊満なお胸が、今にも俺のみぞおち辺りに当りそうなところ。あと半歩詰められたら、間違いなく当たる。
エルフ特有のものなのか。それとも彼女の特有のものなのか。何だかいいにおいもするし。
これは……。正直、結構きついかも知れない。
(……でも、やっぱり美し可愛いし! 英雄エルフが最高に美し可愛い問題について、今すぐに叫びたい!)
とは言え。俺は恋人に手ひどくフラれたばかり。すぐに恋愛をする気にはなれないので、あくまで「美し可愛い」という感想止まりである。
しかしながら。普段凛々しい成人女性の思いがけない可愛らしい一面に、男としてグッと来るものがあるのは仕方がないこと。こういった部分で男が女に勝てないのは、世界の真理と言えよう。
なので、こうも近寄られると。『男性としての本能』と、精神を
「……急ぎたい気持ちはわかるけど、ルールはルールだ。今晩はどこか宿を取って、明日の出発に備えようぜ?」
あまり詰め寄られると、顔が近過ぎて目のやりどころに困るし。俺の方が若干背が高いので、上目遣い気味になっているのも危ない。もっとも、彼女自身は、それが男に対してどれだけの効果があるのかをわかっていないようだけど……。
(このぐいぐい来る感じは、エルフ特有のものなのかな~。エルフの感覚でそれがどういうものなのかはわからないけど。長年生きているからこそこうなるのか? 長く生きていて、ようやくそう思える相手と出会えたから浮かれてる……。って感じで……)
考えたところで答えは出ないし。今の彼女にそれを尋ねたら、延々と甘い言葉が飛び出て来るかもしれない。
だから、余計なことは言わないようにしようと。俺は決めたのだ。
「いいや、わかってない! わかってないぞ、ライオット! 私は
初めて
(長寿であるエルフの精神発達の過程と、そこから生じる性的な衝動について、か。よくわからないから、彼女を観察して研究してみたい……。ああ、いや。この思考は師匠に毒され過ぎてるな……)
思考の海に沈みそうになったのをごまかすように、俺は慌てて居住まいを正す。
ともあれ、彼女の言い分のままに行動してもろくな結果にならないことは目に見えているので。俺は懇切丁寧に事情を説明して彼女をなだめようと試みる。しかし、彼女は意外と頑固だったらしく、結局、朝になるまで言い合いが続いてしまった。
いくらか日が昇り、水面の輝きが映える時間になった頃。
「おい、あんた等。
いかにも寝起き一番と言った感じの男性に声をかけられ、俺たちはハッとする。
俺たちがあまりにも声を張り上げていたものだから。近所の住民が、いつもよりも早起きしてしまったらしい。
「す、すいません……」
「誠に申し訳ない……」
二人でそろって頭を下げて、何とかその場をしのいだ後。朝一の船の出る時間まで、朝食をとることにする。
もっとも、俺は大して金を持っていないので。ウィルテイシアに奢ってもらうという形になってしまった訳だけど……。
(
ウィルテイシアの直感で入った店は、粗挽き肉の
目の前に並んだのは、うず高く積まれた
(……もしかして。これで二人分? ちょっと量多くない?)
サービスがいいと言われれば、確かにその通りなのだろうけど。この盛り方はちょっとやり過ぎなのではないかと。
それでも。ウィルテイシアがフォークを使って、豪快に
(
感情が耳に出るのが、エルフの特徴なのだろう。人間の耳はここまで器用には動かないから、これは種族的な特徴と捉えていいはず。
それはもう、美味しそうに食べるものだ。食べることの喜びを、全身で表しているような。彼女の身振り手振りなどのしぐさが、それをいかんなく発揮してくれていた。
そんなこんなで、大量の腸詰めを二人がかりで胃袋に収めた俺たちは、オーランド行きの船に乗る。
ここベガリア大陸からオーランド大陸までは、船で一週間ほど。
船旅を想定した準備はしっかりして来たし、あとは気ままに船に揺られるだけでいい。
空は晴れ、波は穏やかで、適度に風は吹いている。絶好の航海日和。
適度に揺れる船内は心地よく、徹夜の疲れも相まってか、俺たちは出航からほどなくして、静かに眠りについていた。
あの言い争いを夜間デートと呼ぶには、少々色気が足りない気もするけど。それでも一晩中言葉を交わしていたことに変わりはない。ほんのわずかな時間かもしれないけど、それなりに彼女の人となりは理解できたような気がする。
俺たちが選んだのは格安の三等客室とは言え、
こんなに深く、心地よい眠りにつくのは久しぶりだ。勇者パーティーにいた頃は、順番にやってくる見張り番があったので、短時間の強制睡眠が多かった。なので、この
心なしか、腕に何やら柔らかいものが「フニフニ」と当たっているし、何やらいいにおいに包まれている気もするけど、何だか心地いいから、そのままにおこう。たぶん、きっと。悪いことではないはず。
が、これも嵐の前の静けさだったらしく、安息の時間は、そう長くは続かなかった。
不意に響いた警鐘とともに、棒か何かで、文字通り叩き起こされる。
「何、人前でベタベタと――。いやっ、の、のんきに寝てやがるんだ! ええい! さっさと起きろ! 魔物だ! 魔物が出たぞ!」
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