第4話 教え子たちの現在

吹雪が砦の壁を叩きつける夜、警報がけたたましく鳴り響いた。


「隊長!オークの大規模な群れです!吹雪に乗じて、南の渓谷から!」


副官が血相を変えて飛び込んでくる。


司令室に座る若き隊長――カイネは、地図から顔も上げずに静かに問うた。


「数は?」

「目視で300…いや、500は下りません!王都へ救援を!」

「間に合わない」


カイネは即座に言い放つ。


「それに、必要ない」


彼女は立ち上がると、居並ぶ部隊長たちに淀みなく指示を飛ばした。


「第一部隊、渓谷の入り口で防衛線を構築。ただし、戦闘は許可しない。あくまで敵を誘い込むための『餌』だ」

「はっ!」

「第二部隊は崖の上へ。合図と共に、大規模魔法で敵の足を止めろ。狙いは先頭集団だ」

「了解!」

「第三部隊は私と来い。我々は迂回し、敵本隊の背後を突く。狙いは指揮官個体、一体のみ」


あまりに大胆かつ的確な指示。だが、カイネの部下たちに動揺はない。


「カイネ隊長の指示だ!一寸の狂いもなく遂行するぞ!」

「おう!隊長を信じろ!俺たちは隊長の指揮下で、負けたことがねえんだ!」


部下たちの信頼を背に、カイネは自ら馬を駆り、猛吹雪の中へと飛び出していく。

その戦いぶりは冷徹な精密機械のようだった。

敵の動きを読み、最小限の動きで致命傷を与え、オークの群れが砦に到達する前に単身で指揮官(ボス)の巨大な首を刎ねてみせた。


戦闘後、部下たちの歓声に包まれながら、カイネは一人、遠い王都の方角を見つめる。

その厳しい表情が、ふと和らいだ。


(先生。あなたの教えの通り、私は今日も、この国を守っています)


腰の剣の柄に結ばれた、古びたお守りをそっと握りしめる。それは卒業時にアデルから贈られたものだった。いつか、胸を張ってあの人に再会できる日まで。




* * *




「――以上が、魔法の多重起動と思考分割における最適化理論の基礎です。理解できない方は、基礎魔導学から学び直しなさい」


冷たい声が、静まり返った講義室に響く。教壇に立つのは、史上最年少で教授に就任した天才、チナツ・フォン・ハイゼンベルク。

学生たちは、彼女を畏怖を込めて「氷の女王」と呼ぶ。


「質問は?」


チナツが問いかけるが、誰も手を挙げられない。


「結構ですわ。では――」


講義を終えようとしたチナツの前に、一人の学生がおずおずと進み出た。


「せ、先生!今の理論ですが、右手で防御魔法を、左手で治癒魔法を、口で攻撃魔法を、なんて…本当に可能なんですか!?」


呆れたようにため息をついたチナツは、こともなげにそれを実演してみせた。


「――このように」


右手には輝くシールドが、左手には癒やしの光が生まれ、同時に口からはライトニング・ボルトの雷撃が淀みなく紡がれる。

神業を目の当たりにし、学生たちは呆然と口を開けていた。


講義が終わり、一人になった研究室で、チナツは窓から訓練所の方角を眺めていた。

机の上には、最新の魔導論文に混じって一枚の古い羊皮紙に書かれたメモが置かれている。


『蝋燭の芯だけを焼き切れ』


それは彼女の原点だった。


「あの人なら、この理論をどう評価するかしら…」


チナツは口元を歪める。


「きっと、『面白いが、もっと民衆の役に立つ使い方を考えたらどうだ?』なんて、つまらないことを言うに決まってるわ」


口ではそう悪態をつきながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。

彼女が今、研究しているのは、この高度な魔法理論を大規模災害時の人命救助へ応用する技術なのだから。

アデルの教えは、彼女の研究の根幹に今も深く根付いていた。




* * *




ひっそりと佇む薬草店の奥の部屋。店主のアブリル――裏社会の情報屋「黒百合」の主は、部下からの報告を受けていた。


「…食糧大臣が、穀物の不正な買い占めを?民が飢えることになりますわ」


「はっ。こちらがその証拠です」


差し出された書類を一瞥したアブリルは、表情一つ変えずに指示を出す。


「この証拠の写しを、大臣と敵対する派閥の者に渡しなさい」

「かしこまりました」

「横流しされる穀物の隠し場所は、匿名で聖騎士団へ通報を。手柄は彼らにくれてやります」

「御意」

「そして…大臣が失脚した後、後任に就くであろう清廉な役人の『良い噂』を、王宮の茶飲み話にでも流しておきなさいな」


彼女は決して表には出ない。

情報を操り、人を駒として動かし、物事をあるべき方向へと導くだけ。


全ての指示を終え、アブリルは私室に戻る。

壁には、彼女が記憶を頼りに描いたアデルの肖像画が飾られていた。


「先生。今日もまた、この国から小さな澱みを取り除くことができました」


彼女は絵の中の恩師に、優しく微笑みかける。


「あなたが悲しむような国には、決してさせませんから」


彼女の行動基準は、常にただ一つ。アデルが安心して暮らせる国を守ること。

そのために、彼女は闇に生きることを選んだのだ。




* * *




「はい、みんな!今日の勉強はここまで!よく頑張ったね!」


子供たちの歓声の中心に、シスター・シエルの姿があった。

かつての不良少女は、今や民衆から「生ける聖女」と慕われ、次期聖女の最有力候補と目されている。


「シエル様!シエル様!」


一人の少年が、教科書の騎士の絵を指さして尋ねた。


「シエル様は、どんな人が好きなの?やっぱり、こういう強ーい騎士様?」


子供たちの無邪気な質問に、シエルは一瞬、遠い目をした。脳裏に浮かぶのは、たった一人の男の姿。

そして、はにかむように微笑んだ。


「そうだねぇ…私が好きなのは、誰よりも強くて、誰よりも優しい人、かな」


その頃、街の有力者たちが、彼女の行動力に頭を抱えていた。


「またシスター・シエルから寄付の要請が来たぞ…断れるわけがないだろう…」

「先日も、貴族の夜会に乗り込んできて、貧民街の窮状を涙ながらに訴えていた。あの場にいた貴婦人方は、皆有り金をはたいて寄付しておったわ…」

「昔はただの暴れん坊だったと聞くが…今や、あの人の言葉一つで王都が動く。まさに生ける聖女様よ…」


彼女の力は、もはや暴力ではなかった。人々を救うための、愛と情熱に昇華されていた。


カイネ、チナツ、アブリル、シエル。

彼女たちはそれぞれの場所で、アデルの教えを胸に国の重要な役割を担う存在となっていた。


立場もやり方も全く違う。

しかし、心は一つだった。


いつか、あの人に会って胸を張って言いたい。

今度は私たちがあなたを守ります、と。


彼女たちはまだ知らなかった。その再会の時が思いもよらない形で、すぐそこまで迫っていることを。

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