王子にパワハラで訴えられて国外追放された教官の元に、「問題児」だった元教え子たちが国中から集まってきて、国家転覆を狙っているようです

田の中の田中

第1話 元孤児の聖騎士

乾いた土埃と、若者たちの汗の匂いが風に乗って運ばれてくる。

ヤチマッタナー王国、一般兵訓練所の昼下がり。

号令をかける張りのある声と、それに応える気合いの入った返事が、活気となって空に響き渡っていた。

その様子を、腕を組んで静かに見つめる一人の男がいた。アデル・スターロ。

四十歳手前のその顔には、かつて戦場を駆け抜けた猛々しさの代わりに、穏やかで深い眼差しが宿っている。


「そこまで!今日の対人訓練は終了だ!」


アデルの声が響くと、木剣を打ち合わせていた訓練生たちが一斉に動きを止め、その場にへたり込んだ。


「はぁ…はぁ…クソ、また負けた…」

「お前、動きが単調なんだよ。アデル教官がいつも言ってるだろ?もっと相手をよく見ろって」

「言うのは簡単だっての!」


若者たちの軽口を耳にしながら、アデルは一人の少年に歩み寄った。


「足の運びは良くなってきたな。だが、まだ上半身に力が入りすぎている。剣は腕だけで振るものじゃない、体全体で振るものだ」

「は、はい!教官!」


少年は、泥だらけの顔を輝かせて答えた。アデルはそんな彼に柔らかく微笑みかける。


「焦るな。お前の長所は、その粘り強さだ。一つずつ、着実に自分のものにしていけ」

「はい!ありがとうございます!」


まっすぐな瞳。磨けば光る原石たち。彼らの成長を見守るこの時間が、今のアデルにとって何よりの充実感を与えてくれていた。

ふと、訓練所の向こうにそびえる王城の尖塔が目に入る。

あそこには、今も親友が団長として王国最強の騎士団を率いているはずだ。


(ジラルド…お前は今も、最前線で戦っているんだろうな)


アデルは昔のことを思い出す。

それは、全てが始まった、あの灰色の孤児院の風景だった。




* * *




ヤチマッタナー王国の王都の片隅に、その孤児院はあった。物心ついた時から、アデルの世界はそこが全てだった。

静かな昼下がり、他の子供たちが中庭で騒ぐ中、アデルはいつも通り、古びた英雄譚を読みふけっていた。


「アデル、またその本か。少しは外で遊んできたらどうだ?」


背後から、厳しくも温かい声がした。孤児院の院長だ。


「…院長先生。この本に出てくる聖騎士様は、どうしてこんなに強いんですか?」

「ふむ…国と民を守りたいという、強い心があるからだろうな」

「守りたい、心…」


アデルは、本の挿絵に描かれた白銀の騎士を指でなぞった。

その輝きは、自分の境遇とはあまりにもかけ離れているように思えた。


その数年後、アデルは本物の聖騎士団を目の当たりにする機会を得た。

王都で行われた凱旋パレード。院長に連れられて沿道に立ったアデルは、息を呑んだ。

磨き上げられた鎧、風にはためく団旗、そして何より、騎士たちの堂々とした姿。


「うわー!キラキラだ!」

「かっこいー!」


周りの子供たちがはしゃぐ中、アデルは食い入るように、列の先頭を行く一人の騎士を見つめていた。

顔には無数の傷跡。だが、その瞳は驚くほど優しかった。

沿道で転んだ子供を見つけると、その騎士はためらうことなく馬を止め、屈んで子供を助け起こし、優しく頭を撫でた。


強さとは、こういうことなのか。

アデルの胸に、熱い何かが込み上げた。その日から、孤児院の裏庭が、彼の最初の訓練所になった。


「おいアデル、またやってんのか?騎士ごっこかよ」

「どうせなれるわけないのにさ。俺たちみたいな孤児が」


他の子供たちの冷やかしを背に、アデルは黙々と木の棒を振り続けた。

嘲笑は気にならなかった。あの騎士の姿が、彼の道標になっていたからだ。


そんなアデルの姿を、院長は何も言わずに見守っていた。

ただ、その日の夕食のアデルの皿には、いつもより少しだけ大きなパンが乗せられているのだった。


十五歳になったアデルは、聖騎士団の入団試験に臨んだ。

会場には、上等な衣服に身を包んだ貴族の子弟たちが溢れている。

みすぼらしい身なりのアデルは、明らかに浮いていた。


アデルの剣には型がない。

だが、そこには生き抜くための、守るための、純粋な強さがあった。

相手の華美な剣技を最小限の動きで受け流し、的確に胴を打ち、試験官たちを驚かせた。

体力測定では誰よりも長く走り、重い武具を運んだ。

そして、最終面接。


「志望動機を述べよ」

「守りたいものがあるからです」


まっすぐに前を見据えるアデルの瞳に、試験官たちは言葉を失った。

結果は、合格。孤児の合格は前代未聞だった。


入団後、アデルは一人の男と出会う。


「おい、お前が噂の孤児か!俺はジラルド。侯爵家の次男だ。なかなか面白い剣だったぜ、お前の!」


太陽のような笑顔を向けてくるその男は、アデルの同期であり、後に無二の親友となるジラルドだった。


「…どうも」

「なんだ、愛想のない奴だな!だが、気に入った!明日から俺と組んで訓練しろ!」

「え?」

「決定だ!」


ジラルドの強引さに戸惑いながらも、その裏表のない人柄は、アデルの閉ざしかけた心を少しずつ溶かしていった。


戦場に出れば、アデルの才能はさらに開花した。

彼は常に仲間を守るために動き、最も危険な役目を引き受けた。

ある魔獣討伐の任務で、部隊が窮地に陥った時のことだ。


「クソッ、数が多すぎる!このままじゃ全滅だ!」


ジラルドが叫ぶ。


「ジラルド、俺が奴らの注意を引きつける。その隙に部隊を立て直してくれ」

「馬鹿を言うな!無茶だ、死ぬぞ!」

「だが、このままでは皆が死ぬ」


アデルはジラルドの制止を振り切り、単身で魔獣の群れに突っ込んだ。

その自己犠牲的な戦いぶりで、部隊は壊滅を免れた。


任務後、ジラルドはアデルの胸ぐらを掴んだ。


「アデル、無茶しすぎだ!お前が囮になる必要はなかった!」

「だが、被害は最小限で済んだ」

「そういう問題じゃない!俺は親友を失うところだったんだぞ!」


初めて見るジラルドの必死な形相に、アデルはただ一言、呟いた。


「…すまない、ジラルド」


いつしかアデルは、聖騎士団に不可欠なエリートとして、その名を轟かせるようになっていた。





しかし、栄光の時は永遠ではなかった。

三十歳を目前にした頃、アデルは自身の身体に衰えを感じ始めていた。


訓練場で、ジラルドと剣を交えた後のことだ。


「どうした、アデル。最近動きが鈍いぞ。らしくない」

「…気のせいだ」


息を切らしながら答えるアデルの顔には、焦りの色が浮かんでいた。


「俺の目は誤魔化せんぞ。何かあったのか?」

「なんでもない」


親友にさえ、弱みを見せたくなかった。

強さこそが自分の価値だと信じてきた。

その力が失われつつあるという現実が、アデルを苛んでいた。


そんなある日、彼は負傷のため、新人兵士たちの訓練監督を命じられた。

そこで、一人の不器用な少年が目に留まった。ただ力任せに剣を振るい、何度も打ち負かされている。

その姿が、かつての自分と重なった。


「おい、お前」


アデルは少年に声をかけた。


「力みすぎだ。剣は力だけで振るうものじゃない」

「で、でも、俺には力しか…取り柄がないんです…」

「違う」


アデルは少年の木剣を手に取り、構えてみせた。


「お前には観察眼がある。さっきから見ていたが、相手の剣筋はよく見えている。だが、力で対抗しようとするから負けるんだ。よく見てろ。相手が打ち込んできた、この瞬間に…力を抜いて受け流せば…」


アデルが手本を示すと、相手役の兵士の剣が見事に空を切った。


「あ…!」

「そうだ。お前の才能は、腕力じゃない。相手を見抜く『目』だ。それを磨け」


少年は、目から鱗が落ちたように、何度も頷いた。

その日から、少年は目に見えて成長していった。


教え子が自信に満ちた顔で剣を振るう姿を見るたび、アデルの心には、戦場で武勲を立てた時とは違う、温かい喜びが満ちていった。


(そうだ…俺一人の力には限界がある。だが…)


この輝きを、もっと見ていたい。この若者たちを、育てたい。


(俺の剣で敵を百人斬るよりも、百の敵を斬れる兵士を一人育てることの方が…)


その時、アデルの中で、新たな道がはっきりと見えた。




三十歳の誕生日、アデルは聖騎士団長室の扉を叩いた。

そこには、既に団長に就任していたジラルドがいた。


「…辞める、だと?冗談だろう、アデル!」


ジラルドはアデルの言葉を信じられないというように、目を見開いた。


「本気だ、ジラルド」

「なぜだ!お前はまだ聖騎士団に、いや、この王国に必要な男だ!まだやれるじゃないか!」

「俺の剣は、もう限界に近い。最前線で戦う力は、いずれ失われるだろう。だが、俺にはまだやれることがある」


アデルは、ジラルドの目をまっすぐに見つめて言った。


「後進を育てたい。俺一人で百の敵を斬るより、百の敵を斬れる兵士を一人でも多く育てたいんだ。それが、俺の新しい戦いだ」


アデルの瞳に宿る、揺るぎない決意の光。ジラルドはしばらく黙り込んだ後、大きくため息をついた。


「…そうか。お前が決めたことなら、俺は止めん。寂しくなるな、相棒」

「ジラルド…」

「だがな、アデル。いつでも戻ってこい。聖騎士団は、いつまでもお前の帰る場所だ。それだけは忘れるな」

「…ああ。ありがとう、ジラルド」


固い握手を交わし、アデルは栄光の座を自ら降りた。

彼が新たな任地として選んだのは、エリートを育成する聖騎士団の訓練所ではなく、ごく普通の一般兵が集う訓練所だった。




* * *




夕暮れの空が、訓練所を茜色に染めていく。


「よし、今日の訓練はここまでだ!解散!」


アデルの声に、訓練生たちが安堵の息を漏らしながら敬礼する。


「教官!ありがとうございました!」

「いい汗かいたな。だが、まだ課題は山積みだぞ」

「はい!明日もよろしくお願いします!」


元気に去っていく若者たちの背中を見送りながら、アデルは穏やかな満足感に包まれていた。

戦場の喧騒も、王宮での称賛も、もうここにはない。

だが、失ったものよりも、得たものの方が遥かに大きいと感じていた。

撒かれた種が芽吹き、やがて大樹となってこの国を支えていく。その礎を築くこと。


(俺の戦場は、今ここにある)


この平穏な日々が、ずっと続いていく。彼は、そう信じて疑わなかった。


ーーーーー


星・ハートが今後のモチベーションになります。よろしくお願いします。

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