潜伏と依頼
アパートに入居して三日。
俺は、ずっと黙っていた。
人間社会に潜り込むには、まず“目立たないこと”が最優先だったからだ。
だが現実は、想像以上に重い。
無職。
友人ゼロ。
社会のどこにも繋がりがない。
まして、身体はすでに心臓も血管も存在しない“液体金属の器”。
年齢すら曖昧な自分を、誰も必要としない。
(今日も一日……誰とも会話していないな)
――問題ナシ。
――エネルギー消費、極小化。
――潜伏ニ適ス条件。
(お前は満足かもしれないけどな……俺は違う)
――無意味ナ感情。
そう言うたび、身体の奥で金属質のざらつきが響く。
右手が勝手に震える。
液体金属生命体が“癖”のように動くのだ。
(落ち着け。ここは人間の世界だ……暴れたら終わりだ)
――終ワリナド存在シナイ。
(黙れ)
意識の奥にもうひとつの意識が潜む。
そのせいで眠りは浅く、食欲も薄い。
人間として最低限の行動をするだけで精一杯だった。
四日目の夜。
アパートの郵便受けに、一枚の封筒が入っていた。
宛名はない。
俺の部屋番号も書いていない。
中には、白いメモ用紙が一枚。
『依頼を受けてくれたまえ。
君は “まだ使える” と、こちらは判断している。
詳細は裏面にて。』
(……は?)
裏返す。
『殺してほしい男がいる。
報酬:500万
期限:7日
ターゲットの名前:――――』
名前の部分だけは黒塗り。
その隣に、QRコードが貼り付けられている。
読み取れ、ということか。
――受諾セヨ。
――戦闘行動、適合シテル。
――復職ノ好機。
(俺はもう殺し屋じゃない……はずだ。そんな仕事は――)
――必要ナイ拒絶。
――汝ノ価値ハ破壊ノ機能ニ在ル。
(だまれ!!)
声は出していない。
だが頭の内側で金属音のような反発が響いた。
封筒を机に置き、俺は独り考え続けた。
(……どうして“俺の存在”を知っている?
俺が生きてることすら知っているはずのない連中が、なぜ)
――追跡痕跡、ゼロ。
――通信記録ナシ。
――外部観測必要。
(外部観測って……勝手にやるなよ)
――拒否デキナイ。
窓の向こうの暗闇に意識が広がっていく感覚。
隣人の寝息、数十メートル先を歩く犬の音、遠くの電車。
人間の耳では聞こえないものまで拾ってしまう。
(やめろ……!)
――情報収集完了。
――依頼者ノ痕跡……不明。
――人物特定……不能。
逆に言えば、プロ。
俺の過去の裏稼業を知り、俺の現在の状態まで把握している。
(……殺しの依頼を受けた時の“俺”とは、もう違うんだ)
右手を見る。
皮膚は普通に見えるが、殴られれば金属的に変質し、切られれば溶けた銀が修復する。
(こんな身体になって、仕事なんて――)
――可能。
――殺害行動、効率大幅向上。
「……ちっ」
思わずため息を漏らした。
すると、アパートの戸が“コン”と小さく叩かれた。
(……誰だ?)
時計は午前0時10分。
訪問にしては遅すぎる。
――開ケ。
――殺害意図ナシ。
(どう判断してるんだよ……)
仕方なく扉に近づき、チェーンをかけたまま少しだけ開けた。
そこに立っていたのは――
顔の半分が影に飲まれた、黒いコートの男だった。
「……やぁ、久しぶりだな。“何でも屋”」
「……誰だ」
男は答えない。
だが、封筒の差出人であることは明らかだった。
「仕事を受けろ。君はまだ、社会の裏側で生きられる」
男の声は妙に柔らかく、落ち着いていた。
「……断ったら?」
「断れない。君は“選ばれた側”だ。
少なくとも、我々はそう見ている」
(我々……?)
――警戒ヲ。
――敵意ノ兆候アリ。
すると男の表情が固まった。
俺に見えないはずの“内部の声”を感じ取ったかのように。
「……ふむ。やはり“入って”いるな」
(……!!)
――警告。
――対象人物、危険度高。
「君の身体……いや“中身”か。
それを求めている者は多い。政府も、宗教連中も、軍も。
だが――我々だけが君の価値を理解している」
(価値……?)
「殺しの依頼は試験だよ。
君がまだ人間として判断できるのか……
それとも既に“そちら側”なのか」
男は軽く笑った。
「君はどちらに転ぶ?」
扉の外で、ただひとり、男は俺の答えを待っていた。
――受諾ヲ。
――殺害行動ニ適応スベシ。
(……黙れ。俺は――俺はまだ……!)
頭の中で金属音が鳴り響く。
意識が二つに裂ける。
――殺セ。
――行動セヨ。
――存在意義ヲ果タセ。
(ちがう……俺は……!)
人間としての意識と、液体金属の意思がぶつかり合う。
額に汗は出ない。
本来の身体機能はもう存在しない。
だが、苦しさだけは残っていた。
「君の答えを聞かせてくれ」
男の声が、暗闇の中で静かに響く。
俺は――どちら側の存在になるのか。
人間として生きるか。
それとも、裏社会の影として再び戻るのか。
その選択は、俺の意識をほとんど引き裂きながら、今まさに迫っていた。
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