Episode.30 物語のはじまり

 おそらく歴史上初であろう、奴隷解放の瞬間を目の当たりにしたポルディアは幻覚に包まれた気持ちになっていた。

 奴隷解放を協力の条件にしていた為、予定通りではあるのだが、魔族マージたちの気持ちを焚きつけ、ましてや奴隷紋を全体的に解除する魔法が存在するとは考えもしなかった。


 約束した手前、手を出すことはないが、いずれにせよここまで燃え広がった炎を制御するのは、自分では難しいだろう──


 ポルディアは冷静に分析し、ある意味ではとてつもない恐怖を感じ、またある意味ではいい知れぬ感動を覚えた。


「……流石にお疲れのようですね」


 隣で肩で息をする門番に声をかけた。


「ま…まああんまり多用できるものでもないですかね」

「それにしてもあなたは……いえ、あなた方は一体──」

「それは──まだ話せません」


 門番は大きく深呼吸をする。


「この炎がもっと大きく炎上し、世界を巻き込む頃──それまでは、ね」

「そうですか……せめてあなたのお名前だけでも教えていただけませんか?」

「そうですね……ギル──とでも」

「──わかりました。今はそれで良しとしておきます」

「と、そんなことより……もうそろそろポルディア様の出番ですよ?」

「やれやれ……”何もしないこと”が出番と言われましても、ね」


 二人は笑い合い遠くを見つめる。


 二人の見つめた先から、集団がこの場所へ向かっている。

 やがてポルディアの前にやって来る集団はこの街の民衆だった。

 ポルディアは民衆をこれ以上彼らに近づけないよう、自ら集団へと歩み寄る。


「ふざけないでください!!!」


 ガンサイの暴走が終わったとみた民衆が騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた。


「なんのことでしょうか?」


 とぼけるポルディアの態度に怒りが頂点に達する人々。


「どれ──使用人のことです!!」

「勝手に解放ってどういうことですか!?」

「あなたがこの街の領主になってからめちゃくちゃだ!」

「高い金払って買ったんだ!!弁償してくれるんだろうな!!」


 身勝手な言い分に呆れ返るポルディア。


「今度はあなたが疲れる番のようですね」

「本当は遠慮させていただきたいのですが……」


 小声で話し合うギルとポルディア。


「ちゃんと説明してください!!」

「説明……ですか」


 咳払いをするポルディア。


「いいでしょう。まず先にお伝えしておくと、私は領主として奴隷というものを認めておりません」

「な…何を言っているんだ!」

「ああ……あなた達のいうところでの使用人、と言ったところでしょうか?ただ、私はここへ奴隷を解放しに来たわけでもありません」

「でもあいつらは解放されているではないか!!」

「それは我々とは別の組織が勝手にやったことになります」


 ポルディアがギルをチラリと見やる。


「だったらそいつを逮捕しろ!!」

「いえ、奴隷を解放してはいけないという法はここに存在しませんので」

「なんだと!?」

「仮に使用人だとしましょう。使用人であれば法を犯さなければこの街の良き民ということになります。しかし……あなた達はどうでしょう」


 生唾を飲む音が響いた。


「仮に使用人を不当に雇用し、対価の支払いもなかったとすると……それは立派な犯罪になりますね」

「そ…そんな証拠はあるのか!?」

「もちろん今はありませんが、調べればいくらでも出てくるでしょう?」


 集まった民衆は皆一様に沈黙した。


「──奴隷だったら良いわけか……?」


 一人の男が開き直り質問してくる。

 その態度にため息を吐くポルディア。


「舐められたものですね」


 小さく呟きながらメガネを外した。


「確かにこの”国”において奴隷というものを保護し人権を与える法律など存在しません。その為、どんなに不当に扱おうが奴隷なら許される、ということになりますね」


 ポルディアは魔族マージ達の方を振り返り、仰々しく手を広げる。


「それに、仮に再度あなた方がここで奴隷の証である奴隷紋を再度刻んだところで、それを問うこともできないでしょう」

「それなら──」


 安堵の空気が民衆に広がる。

 しかしポルディアはそれを手で制した。


「ちなみに……地方領事権というものをあなた方はご存知でいらっしゃるかな?」

「は──?」

「それがなんだってんだ?」


 混乱する民衆。


「つまり国の法とは別に街だけの法律を作ることができる権利なのですが……私はこの国で初となる、奴隷を禁ずる法を制定する予定でいる」

「な……んだと──!?」

「その法が施行された後、奴隷を利用している民は厳粛に罰する!」

「そんなこと──」

「それに現時点において奴隷紋の外れた彼らは私にとって、良き領民だ。我が民を傷つけるものは許さん!!」


 若き領主の圧に人々は押し黙る。


「──とはいえ、今回の件において領主として関与しないことを約束している。あなた方が彼らに奴隷紋を再度つけたかったら勝手にするがいい」


 ポルディアの言葉に迷いながらも、再度刻印をする為、魔族マージ達の元へ歩み寄る。


「ただし、彼らはすでに解放され、反乱の印を掲げている。彼らがあなた方に何かをすることについても私は関与しない」


 民衆はその言葉に恐怖を感じるも、入り口付近に大量においてある武器を各々持ち始める。


「あいつらと俺らが対等だと……」

「そんなこと許せるものか!」

「私たちは人間だぞ!!!」


 ポルディアは呆れ返る。


「彼らも同じ人間なのですがね……些細な違いでそんな簡単なこともわからないとは──どこまでも愚かな」

「それが人族ヒューマですからね」

「同じ種族として恥ずかしい……いずれにせよお気をつけなさい。今の彼らをそんなもので止められるとは思わないことだ」


 散々罵倒された民衆は顔を真っ赤にし、憤慨していた。


「うるせぇ!!」

「突っ込めえ!!!!」

「この底辺どもが、戻って来やがれー!!!」


 動きも初動もバラバラの民衆は、怒りのままに魔族マージ達へ突っ込んだ。


「どうしようもないな……」


 一部始終を見ていたエクリオンは小さく呟いた。

 そして剣を鞘から抜き去り、口上を述べようとすると──


「これは、俺たちの戦いだ」


 陸斗が手で制した。


「──そうでしたね」


 一歩下がるエクリオン。


 陸斗は落ちている折れた刀を拾い上げ見つめる。


「俺たちはずっと虐げられてきた。そしてそれはこの先も変わらないかもしれない」


 皆が陸斗の言葉に集中していた。


 今彼は何を思い、そして何を伝えようとしているのか──


 陸斗は柄を強く握りしめ、天に高々と掲げた。


「それでも──例え刃が折れようとも俺達の心を折ることはできなかった!例えこの身が傷つこうとも俺たちの誇りは傷つけることはできなかったッ!!」


 陸斗の咆哮に彼らの目つきが変わる。


「もう誰にも屈する必要はない!!今こそ恐怖に打ち勝ち、目の前の怨敵を今ぶっ倒すぞ!!!」


 陸斗は力の限り叫ぶ。


「あいつ……強くなったな──」

「うん……すごくかっこいい──!!」


 圧倒的な陸斗のオーラにアホが呟きカスが頷く。


「これが歴史を塗り替える俺たちの初陣だあ!!!」

「「「おおお!!!」」」

「行くぞぉおおおおお!!!!」


 陸斗の叫びに呼応するように──


「「「うぉおおおおおおおおお!!」」」


 ビリリッ──


 時の声が上がり、空気が振動する。


 クズはその振動に全身鳥肌が立っていた。


(──この迫力っ!!すごい──!!)


 全軍が動いた。

 陸斗の口上で魔族マージ全員の恐怖が吹き飛び、力がみなぎる。

 それはまさに王の資質であった。


 そして武器を持った民衆五百人ほどと武器を持たずまだ動ける魔族マージ二百人ほどが衝突した。


「これはこの街に必要な戦いである!!何人死のうが、必ず手を出すな!!治療を受けたい怪我人は領事館にて受け入れろ!!」


 ボルティアは全軍へ指示を出す。


「面倒をかけます」


 ギルが頭を下げる。


「あなた方が何を狙っているのかはわかりません。ただ、これは必要な戦争ぎせい……歴史の行く末を見届けるのが我々に課せられた責務なのでしょうね」

「そうですね──」


 世界規模でいうと、所詮取るに足らない小さな街の戦いに過ぎない。

 しかし、確実に歴史が動く初めの衝突でもあった。


 一方はこれまでの秩序と立場を──


 一方は尊厳と信念を──


 譲れぬ両者の思いは、徐々に形勢がつき始めていた。


 砂煙と怒号の渦の中、力尽きたカスが膝をつく。呼吸は荒く、腕が震えて剣すら握れない。

 その背に迫る斬撃を──バカが強化魔法を纏った腕で受け止めた。金属が軋む音と共に、バカは敵を押し返す。

「どっかに消えろや!」と叫ぶや否や、アホの風刃が唸りを上げ、押し寄せる敵を吹き飛ばす。


 だがそのアホにも槍が迫る。

 間一髪、カスの放つ水の奔流が横からぶつかり、敵の体勢を崩す。

 その水を利用しクズは氷の魔法で足元を凍らせ、動きを封じる。

 だが彼女の息はすでに荒く、傷口が再び滲み始めていた。


 上空から降る矢の雨──

 ノミが闇の靄を広げ、瞬く間に光を奪い取る。

 その暗闇の中でチリが土壁を立ち上げ、雨音のように矢が突き刺さる音だけが響く。


 壁の陰から、カスとドブとザコが飛び出す。

 カスの水が地面を満たし、ドブの泥がそれを吸い込み、ザコの雷撃がその泥水を纏う。

 稲光が地面を這い、泥を踏み込んだ敵兵が次々と悲鳴を上げて倒れる。

 その衝撃は近くの魔族マージにも救いの間を与えた。


 気づけば、戦線の中心に彼ら八人が立っていた。

 その後方で、ふらつくクズへ敵が迫る。

 ──炎が奔った。

 陸斗が炎を纏わせた剣で一撃のもとに斬り伏せ、クズの肩を支える。


「あとは俺がやる」


 陸斗が前に躍り出て剣を掲げる。


「行くぞおおおお!!!」


 その声は雷鳴のように響き、周囲の魔族マージたちが一斉に動いた。


 視界が一気に広がる。

 民衆の軍勢が押し寄せる波、その波を魔族マージたちが押し返す。

 魔法の閃光と拳の衝突、地面を揺らす衝撃音──押し返されるのは民衆の方だった。


 血煙がまだ街路に漂い、焼けた鉄と土の匂いが鼻を刺す。

 瓦礫の影で膝を抱える者、剣を落とし虚空を見つめる者──

 戦いに恐怖し、あるいは敗北を悟って命を乞う声が、まだ耳の奥で震えていた。


 数で劣っていたはずの魔族マージたちは、互いの背を守り、意志を一つにして民衆を押し返した。

 圧倒的な指揮のもと、その波は崩れ、やがて民衆は秩序を失い、蜘蛛の子を散らすように暗い街路へと消えていった。


 その中心に立つ陸斗は、荒い呼吸を肩で刻んでいた。


「はあ……っ、はあ……っ」


 胸が焼けるように熱く、全身の筋肉が鉛のように重い。



 ──十五年。



 鉄鎖が擦れる金属音、腐った藁の匂い、夜ごと響く仲間の断末魔。

 名を奪われ、声を奪われ、立ち上がるたびに足を蹴り砕かれた日々。

 それでも、折れなかった。

 わずかな火種のような希望を、胸の奥で必死に守り続けた。


「……うぐっ……」


 そして今、その手で掴み取った。

 初めての、紛れもない“自由”を。


 頬を伝う雫は、止まることを知らなかった。


「お……俺たちの──」


 その声に振り向いた彼らの目も、同じ熱で濡れていた。


「お゛れだぢの゛ッ!!!」


 ──静寂。


 戦場のざわめきが、ほんの一瞬だけ遠のく。

 陸斗は全員の顔を一人一人見渡す。

 剣を握る手は震えていたが、それは恐怖ではなく、昂ぶりの証だった。


 陸斗は肺いっぱいに空気を吸い込み、腹の底から声を放つ。


「勝ちだあああああああ!!!!!」


 その叫びは夜明けの空を突き抜け、瓦礫も、傷だらけの街も、すべてを揺らした。


「「「うおおおおおおおお!!!!」」」


 地を踏み鳴らす歓声が波のように広がり、熱と震えが街全体を包み込む。

 その瞬間、確かに世界は少し変わり始めた。

 彼らの紡ぐべき歴史は、ここから始まった。

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