Episode.13 捜索

【日時】ミルス暦400年6月15日 14時30分

【場所】ログリア町 ガンサイ邸 商会主執務室


 部屋の中央で、ノーマンとガンサイが互いに一歩も引かず睨み合っていた。

 空気は張り詰め、ふたりの殺気が火花のようにぶつかり合っている。


「貴様……自分のしたことが、何かわかっているのか」

「わかってるさ。それがどうした?」

「多くの目が集まる場所で、女性をはずかしめたよなッ──!」

「あぁ、いちいち言わなくていい。だがな、俺は法は犯してねぇ。てめえにとがめる権利なんざあるのかよ?」


 その声は人のものとは思えず、ノーマンの背筋を冷たいものが這い上がった。


「……人だぞ?」

「奴隷に人権なんざねえ。この国がそう決めてんだろうが」


 話が通じない。

 ノーマンはその事実に背を向けるように言い放つ。


「……もういい。とにかく、彼女たちをこちらに渡せ」

「あいつらは俺の所有物だ。渡すわけがねえだろ」

「貴様──ッ!」


 沈黙が数拍、部屋を支配した。

 ノーマンは深く息を吸い、吐き、静かにきびすを返す。


「負け犬が」


 背後からの捨て台詞に、足が止まった。


「あまり図に乗るな、ガンサイ……」


 言葉は低く、鋭く、空気を裂くように続く。


「このままでは済まさん。必ずすべてのツケを払わせてやる。そのことを、よく覚えておけ」


 怒気に満ちた声に、ガンサイは思わず冷や汗をにじませた。

 かつて敗れた男──十五年前、全てを奪われたその記憶がよみがえる。

 しかも今や“SS級”にすら到達している。


(……敵対はしてもやり合う事だけは、避けねばならねぇ)


 口を歪め、扉が閉じる音を聞きながら、ガンサイは苦々しく舌打ちした。


 ──その夜、ビッチ、ノミ、クズの三名が奴隷小屋に戻ることはなかった。



 ────────────



 何が起きたのか。

 ほかの奴隷たちに尋ねても、口を閉ざし、ただガタガタと震えるだけで要領ようりょうを得ない。


 不安が部屋中に広がっていた。


「どないなってんねん……」

「流石に遅すぎるよね。クズ……大丈夫かな?」



 ──ハァ……よかったぁ……!!今回ばかりは本当にダメかと思った──



(……あの時も、クズは──)


「様子を見に行こう」


 静かな決意を口にしたゴミに、カスとアホが同時に反応する。


「えっ!?」「あ…あかんって!」

「そうだよ!下手したら──!」

「それでも俺は、クズに助けられたんだ!」


 その一言に、二人は言葉を失う。


「で…でも……見張りはどうするの?」

「そのまま行ったら、殺されるだけだぞ!」

「今朝なんかバカも危なかったんだから……って、バカはなんで、あの時わざわざ扉を閉めに行ったんだ?」

「……そういえばあのとき──」


 バカは無言で立ち上がった。

 まるで何かに導かれるように、静かに入り口へと歩いていく。


「バカ……?」


 不安げなカスがその背中を見つめた。

 バカは振り返り、そっとその頭を撫で、微かに笑った。


(わらっ──)


 再び前を向き、歩き出す。もう止まる気配はなかった。


 バカは扉に手をかけ、全力で引いた。

 重い音と共に、木の枠がひしゃげ、扉が軋んで開く。


「何事だ!!」


 見張りの怒声。槍が向けられる。

 しかし、バカは焦る様子もなく、周囲を静かに見回す。


 その行動の意図に、ゴミはようやく気づいた。


「……ッ!そういうことか……!」


 即座に二班の扉を叩いた。


「みんな!ピッチたちを助けに行くぞ!」

「え……?」

「今しかないんだ、早く!」

「ちょ…ちょっと待って!どういうことか説明を──!」


 アホが叫ぶ。


「バカは今朝、門番の死角を観察してたんだ!俺たちがいつでも動けるように……その上で今、犠牲になってくれてる。地下牢送りも、覚悟の上で……」

「……なんやて……でも探すって、どこを?」

「とにかく屋敷中だ!本館は俺が行く!」

「ゴミ……お前……」

「オラたちも行くよ!」


 ドブが一歩踏み出す。


「ピッチたちがいないと寂しいし」

「……チリ!」

「僕たちでも、何かできることが……あるかもしれない……」

「ザコ!」

「そうだよ、行こう!」

「……あーもうっ!!」


 アホが叫ぶ。


「こうなったらやったろかい!!」

「僕だって!!」


 涙に濡れたカスの顔が決意に変わる。

 五人は扉の前へと集まった。


 バカはもう、門の方へと歩いていた。

 見張りは怒鳴るが、踏み出すことができない。

 槍を構えながらも、その手はわずかに震えている。


 完全に注意がバカに向いた今、奴隷小屋の入り口は盲点となっていた。


 その隙を突いて、ゴミたちは一斉に走り出す。

 バカはふっと笑い、背を向けたまま彼らを見送った。


 カスが思わず立ち止まりかける。

 バカは振り返らず、首を横に振った。


 ──行け。


 カスはバカの思いを受け止め、拳を握り直し、前を向く。


 その瞬間──


「なに笑ってやがるんだァ!!この野郎ッ!!」


 怒号が響き、槍の柄がバカの体を叩いた。

 しかし、倒れない。何度も、何度も殴られても、バカは立ち続けた。


 見張りが息を荒げ、ついには膝を突いたバカに唾を吐く。


「……奴隷のくせに……」


 一方、ゴミたちは裏手から本館へと忍び込んでいた。


「ここから別行動だ」

「わかった!」

「みんな、気をつけて……!」


 散っていく仲間たち。


 ゴミは一人、本館を見上げた。

 灯りが点いているのは、三階の商会主執務室だけ。


「……クズがいるとしたら、あそこだ」


 行けば地下牢行き。生きて帰れる保証などない。

 それでも、ゴミは深く息を吸い、扉に手をかけた。


 その頃、アホとカスは資料館へと向かっていた。

 修行をしていた広場を抜け、扉に手をかけたそのとき──


「お前らぁ!!」


 心臓が跳ねた。振り返ると、そこには門番の姿。


 終わった。

 誰もがそう思った、その瞬間──


「よかった……!まだ見つかってないな」


 門番は息を整えながら言う。


「とにかく小屋に戻れ……ここは俺に任せてくれ。残りのメンバーは?」


 言葉が出てこない二人。


「お前ら……ほんとに、時間が──」


 バリィン──!


 ガラスの割れる音が、静寂を引き裂いた。


「……遅かったか」


 門番とアホ達が合流する少し前、ゴミは執務室のある三階に辿り着いていた。

 扉は半開きで、光がれている。


 震える手。濡れた額。

 呼吸は荒れ、心臓が破裂しそうなほど早鐘を打つ。

 恐怖のあまり自分がまっすぐ歩けているのかもわからなかったが、足をひたすら動かして扉の前に辿り着く。


 そのとき──


「や……やめ──」


 かすれたクズの声が、背骨を駆け上がる。

 一気に恐怖が吹き飛び、勢いのまま扉を蹴り開けた。


 そこには、破かれたドレスのまま床に押し倒されるクズと、馬乗りになったガンサイの姿。


「やめろぉおおお!!!!」


 怒声が空気を裂いた。


「クズから離れろ!!!!」

「ゴ……ゴミ!?」


 ガンサイが、ゆっくりと顔を上げる。


「……今、なんつった?」


 その低く湿った声に、膝が震える。

 血の気が引くのを自覚しながらも、ゴミは一歩、踏み出した。


「ふざけんなよ、ゴミがァァァッ!!!」


 雷鳴のような怒号と共に、拳が振り上がる。


「……やめて!!」


 クズがその腕を掴んだ。

 だが、その手は無情に振り払われ──


 彼女の体は床へと叩きつけられた。


「次はてめぇだ」

「あ……あ……」


 先ほどまでの勢いは急激に鳴りを顰め、声を上げることもできず、体も硬直している。

 何もできずにガンサイが目の前まで来る。


 ──まずい!


 必死に体を動かそうとする努力も虚しく、無情にも振り下ろされる拳。

 怒りと憎しみと狂気が、何度もゴミを殴打する。


 ──やがて、視界が闇に沈んだ。



 ────────────



【日時】ミルス歴400年6月18日 12時30分


 ──鉄の冷たさが、肌に貼りついていた。


 遠くでしずくが落ちる音が響き、ゆっくりとまぶたを開くと、鼻腔びくうを衝くのは血と腐臭が混じり合った重たい空気。

 どれほどの時間が経ったのか。光も、音も、何一つわからない。


 喉は乾ききり、胃は痙攣けいれんし、身体の芯までなまりのように沈んでいた。


「あ……ぐっ……」


 呻き声とともに、鋭い痛みが全身を駆け抜ける。

 左手首には錆びた鉄鎖てっさ。右腕は、まるで別の物体のように動かない。


 視線を落とすと──骨が、ありえない角度に折れ曲がっていた。


「う…うわああああ!! いっ……いぃいぃっ!!!」


 絶叫と同時に、右腕の激痛が肺を焼き、呼吸を奪う。

 唇は裂け、片目は腫れ上がり、頬は殴打の熱で赤黒く腫れていた。


 身体はボロボロだった。

 それでも、心はまだ、折れていない。


(──ここで、終わるわけにはいかない。

 クズを……みんなを……助け出すまでは)


 錆と血にまみれた鉄の床に──"地下牢"にゴミは一人、横たわっていた。

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