第23話 囁きの夜

### 第23話「囁きの夜」


 首都〈レグナス〉に夜が落ちると、街は別の姿を見せた。市場の喧騒は消え、路地は濃い影に覆われる。水路に映る灯火は揺れ、どこか遠い世界の光のように頼りなかった。だがその静けさの奥で、確かに別の声が生きていた。


 篠森蓮は宿営地の一室で眠れずにいた。瞼を閉じても、昼間に見た会議の光景と市民の沈黙が甦る。修復に塗り潰される街、人知れず消えていった存在。胸の奥の波動が疼き、鼓動とともに熱を広げる。


 ――聞こえるか。我が子よ。


 再び声が訪れた。低く湿った響き。崩壊の主の囁きは、夢と現実の境界を侵食する。蓮は布団を押しのけ、冷たい床に膝をついた。耳を塞いでも声は消えない。


「俺は……違う」


 必死に呟くが、言葉は力を持たない。心臓が赤黒く脈打ち、視界が二重に揺れる。壁に刻まれた影が蠢き、かつて戦った影獣の形をとった。



 その時、扉が開いた。ユリスが薄布を羽織り、心配そうに覗き込む。彼女の瞳は暗闇の中でも光を宿していた。


「蓮……また声が?」


 蓮は答えず、震える手を見せた。指先から赤黒い光が漏れ、床にひびが走る。ユリスは躊躇せず近づき、彼の手を両手で包み込んだ。


「大丈夫。ここにいる。あなたはひとりじゃない」


 その温もりが、波動をわずかに鎮めた。蓮の呼吸が荒いまま整い、赤黒い光が次第に消えていく。額の汗を拭いながら、蓮は低く呟いた。


「……俺は人間でいられるのか」


 ユリスは強く頷いた。涙が滲んでいたが、その瞳には確かな芯があった。


「いられる。私が証明する」



 一方その頃、別の建物の地下。イオは結晶に耳を澄ませていた。そこには波動の残響が記録されていた。赤黒い揺らぎは主系そのもので、蓮の存在を証明していた。イオは眉をひそめ、筆を走らせる。


「観察継続。暴走の兆候、強。制御の可能性は――ユリスの存在に依存」


 その言葉を記した瞬間、結晶が微かに震えた。まるで外から覗かれているかのように。イオは手を止め、冷たい汗を流した。封じたはずの記録に、何者かの囁きが混じっていた。


 ――選ばせろ。我が子を。


 声は、確かに結晶の奥から響いた。

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