第3話 さて、何して遊ぶ?
「人間……」
シウゼルはリビングに戻ると、その響きを口の中で唱えた。
かつての記憶を思い出しながら。
『オーレさん、どうして俺だけみんなと違うんだ?』
『あなたはあなたよ。何も案ずることはないわ。そうね……でも、知りたいと言うならそろそろ教えましょう。人間の世界のことを』
そうして何度目か前の夏の日に、シウゼルは己が妖精ではなく、人間という種族なのだと知った。
森の外に、人間だけが暮らす世界があることも。
(外に出たらダメだけど、出たいとも思わない。森はいつも楽しいから。……でも)
先ほど言葉を交わしたばかりの、客人のことを考える。
(……知りたい、かも)
自分以外の人間という存在が、どういうものなのか。
もっと、話してみたい。
浴槽から上がった客人は、シウゼルから借りたローブを纏って「魔法使いみたい」と目を輝かせた。
彼の名前については、記憶がハッキリしないので、ハンカチに書かれた名前の「アシュレイ」と呼ぶことになった。
アシュレイをテーブルに案内して、ドリズルケーキを振る舞う。
「美味しい!」
「今朝つくったの」
「わたしたちと、シウくんと」
「すごいな。お菓子って、大人の職人じゃないと作れないと思ってた」
アシュレイの尊敬の眼差しが注がれている。
正面から受け止めるのがこそばゆくて、シウゼルはアイスティーの氷に視線を落とす。
ストローでつつくと、カランと涼しい音がした。
テーブルには、オーレさん、シウゼル、ダリアが並ぶ。
そしてシウゼルの正面に、アシュレイが座っている。
アシュレイの両隣にはポプリとサシェがいて、好奇心いっぱいの瞳で彼を見つめていた。
「まあ、そう、記憶がないんですか」
ダリアは懐から取り出したノートをパラパラと捲って、首を振った。
「うーん、人間の記憶喪失に関する本は、蔵書がありませんね」
「ダリアさん、それなあに?」
「お店の蔵書目録ですよ。どんな本を持っているかのメモ、ってことです」
ダリアが誇らしげに手描きの目録を掲げた。
ポプリとサシェが、アシュレイにかわるがわる説明をする。
「ダリアさんはね、貸本屋をやってるんだよ!」
「とっても愛書家なの」
「本を集めるのが好きなの」
「でも、集めた本が好きすぎて、あんまり貸してくれないの」
「ふふ、貸本屋なのに?」
アシュレイが笑う。
「それは誤解です。本をなくしたり、破ったりしないならお貸ししますのに」
ダリアが心外だとばかりに頬を膨らませる。
「オーレさんは、レイくんの記憶を取り戻せる?」
「レイくん?」
「アシュレイくん、って舌がもつれちゃうから、レイくん」
「そうねえ……」
オーレさんはしばらく考え込む仕草をして、言った。
「記憶を取り戻す方法なら、わかるわよ」
「ほんとう?」
「この森で、めいっぱい遊べばいいの。たったそれだけよ」
優雅にティーカップを傾けるオーレさんに、皆は一瞬ぽかんとした。
「たったそれだけ?」
「ええ、そうよ」
ポプリとサシェがアシュレイを挟んで、互いの両手をぱちんと合わせた。
「じゃあ、たくさん遊ぼう!」
「わたしたち、そういうの得意」
シウゼルは不思議な心地に包まれていた。知らない人間と、この森で遊ぶ。
それだけでいつもと違う今日の続きが始まる気がして、心臓のあたりがそわそわする。
「ねえ、なにして遊ぼうか」
「どこに行こうか」
「まあ、あなたたち、これから外に出かけるつもりですか」
はしゃぐポプリとサシェに、ダリアが信じられないと首を振った。
「いいですか、もうじき夕方になります。夕方が来るとどうなります?」
「お腹が空く?」
「夕方の次は、夜が来るんです。夜に外に出歩くなんて、とんでもない。こわくて、私にはとても無理です」
「そっか、ダリアさんは夜が苦手だっけ」
「はい。夜は部屋に閉じこもって本を読むに限ります」
アシュレイがぽつりと呟いた。
「へえ……俺も夜に外に出たことなんてない、かも。たぶん。そう覚えてる」
「じゃあ、初めての出来事だ!」
「行こうよ、レイくん!」
「雨も、もう止んでるよ!」
そう告げられてようやく気付く。あんなに降り続いていた雨の音は、いつの間にか遠ざかっていた。
アシュレイはオーレさんに視線を向ける。
「行ってもいいの?」
「構わないわよ。これから外に行くなら、お弁当を用意しましょうね。シウゼル、あなたはどうする?」
「シウくんも行くよね?」
「いっしょに行こうよ!」
あっという間に、話が進む。
夜の探検。これが初めてではないけれど、今日は無性にわくわくした。
「行く」
「「やったー!」」
「さあ、そうと決まったら準備をしてらっしゃい」
そうして、シウゼルたちは慌ただしく探検の支度に取り掛かった。
一番忘れちゃいけないのは、森を照らす色硝子のランプ。
木で出来たおもちゃのナイフ。太い蔓のロープ。万が一、怪我をした時の薬瓶と包帯。
それから、もっと大事なのは、オーレさんお手製のお弁当。
服装も大事だ。彼らが探検服と呼んでいる、シャツとズボンをアシュレイに貸すことにした。
アシュレイの背丈はシウゼルよりも少し高いけど、探検服は着た者の体の大きさにぴったりと形を変えた。
「さっきの服も魔法使いみたいでかっこよかったけど、これもいいね」
アシュレイは探検服を身に着けて、二、三歩スキップした。
****
彼らが出かけた少し後、残った妖精たちのしばしの話。
「オーレさん、それは何ですか?」
「あの子の持ち物よ。探検のあいだ預かっているの」
「見慣れませんね。ネックレス?」
「おそらく、外の世界の祈りの用具ね」
「祈り? 外にも森の意志があるのですか?」
「いえ……深くは追及しないでおきましょうか」
彼らには彼らの教義と信仰があるでしょうから、と静かに呟く。
そして、続く言葉は心のうちにだけ留める。
これは死者に祈りを捧げる時に使う用具ね、と。
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