ゲーマーエラー
祇斬 戀
第1話 ログイン不能の世界
視界が暗転したのは、
確かレイドボスの最終局面だった。
残りHP1%。タイムアタック世界ランキング更新まであと数秒──その瞬間、俺の意識はぷつりと途切れた。
……次に目を開けた時。
「……どこだ、ここ」
空は群青。木々は見たこともない形で生い茂り、地面は湿った苔に覆われていた。
キーボードも、モニターも、ヘッドセットもない。ただ、自分の両手が、現実以上に鮮明に見えている。
本能的に叫んだ。
「ステータスウィンドウ、オープン!」
――パリン。
目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がる。
STR、DEX、INT……見慣れた数値。俺が何千時間も触れてきた、あのMMORPGと全く同じUIだ。
「マジかよ……死んで転生ってやつか?」
状況を飲み込むより早く、耳をつんざく咆哮が響いた。
振り返ると、灰色の狼が三匹、ヨダレを垂らしてこちらを睨んでいた。
ゲームなら「初期狩場の雑魚モンスター」。だが現実に牙を向けられると、笑えない。
「……おいおい、チュートリアルにしては強すぎんだろ」
心臓はバクバクだが、俺の“手”は震えていない。
PvPで千回以上死線を潜った俺の“ゲーマー脳”が、すでに戦闘モードに入っていた。
「よし……狩場テスト、開始だ」
灰色の狼三匹。
こっちは丸腰。装備スロットを確認すると――
「初期武器、錆びた剣……か。お約束すぎるだろ」
ウィンドウを操作し、腰に差していた片手剣を抜く。
重さと質感が、ゲームと違ってリアルすぎる。震えそうになる手を、経験で抑え込んだ。
一匹が飛びかかってくる。
タイミングは読めた。PvPで“ジャンプ読み”を外す俺じゃない。
「右ッ!」
剣を横に振り抜くと、狼の首筋をかすめた。血が飛び散り、鼻をつく鉄臭さが広がる。
……ああ、これが現実か。ヒットエフェクトもダメージ数値も出ない。ただ、肉を切り裂いた感触だけ。
二匹目が回り込んでくる。残りは二秒。背後を取られる――
「クソッ、ヘイト管理ミスった!」
思わずゲーマー用語が口をつく。
死を覚悟した瞬間。
――ズガンッ。
狼の頭に矢が突き刺さった。
崩れ落ちる巨体。その背後から現れたのは、革鎧に身を包んだ少女だった。
「おい、何やってるの!? 初心者がこんな森に入るなんて!」
「……初心者?」
俺は狼を睨みながら苦笑した。
彼女は弓を引き絞り、最後の一匹を狙っている。動きに迷いはない。
「しゃがんで! 今よ!」
言われるままに身を屈める。次の瞬間、放たれた矢が狼の眼を射抜き、静寂が戻った。
少女は肩で息をしながら、俺を見下ろした。
その眼は、警戒と好奇心が混ざっている。
「アンタ、冒険者じゃないのね……名前は?」
俺は剣を地面に突き立て、深呼吸をして答えた。
「……ユウ。
ただの、ゲーマーだ」
少女はきょとんとした顔をしたが、すぐに口元を緩めた。
「変わった自己紹介ね。……私はリナ。あんたが生き残れたのは運じゃない。
……仲間になるかどうかは、これから判断させてもらうわ」
――リナは矢を収め、俺を値踏みするように見下ろした。
「それにしても……ここで死んでなかったのは奇跡よ。新人なら尚更ね」
「新人、ね……まあ、そう見えるか」
俺は錆びた剣を鞘に戻す。息は荒いが、体はまだ戦える。
リナは周囲を見回し、何かを探しているようだった。
「で、あんた。さっきの狼は何を守ってたか知ってる?」
「……守ってた?」
「そう。大抵こういう場所には“宝箱”が置かれてるの。森の狼の巣には、古びた箱か、隠し穴があるはず」
宝箱。
ゲームなら、確かこのマップの北西にランダム出現する仕様だった……が。
俺は記憶を掘り返し、森の地形と照らし合わせる。
けれど視界に広がる木々や岩の配置は、知っている“マップ”と微妙に違っていた。
「……クソッ、リスポーン地点から南に二十歩……いや、違うな」
「なにブツブツ言ってるのよ?」
「いや、知ってると思ったんだが……まるで違う」
リナは呆れたようにため息をついた。
「じゃあ役立たずね。宝箱の場所を知らないなら、ここにいる意味はないわ」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
俺は何千時間も“この世界”を攻略してきたはずなのに。
画面越しじゃ最強でも、現実では座標も把握できないのか。
リナは森の奥へ足を向け、振り返りざまに言った。
「森から抜けたきゃ、北の街道を目指しなさい。……死にたくなければ、ね」
俺はその背中を見送り、握った拳を震わせた。
「……攻略本も、Wikiもない世界、ってわけか」
リナの背中が木々に消えようとした瞬間、俺は思わず声を張り上げた。
「ま、待て! 一人じゃ街に出られそうにない。道を教えてくれ!」
彼女は振り返り、鋭い目を向ける。
だが、狼の血を浴びた俺の姿を見て、少しだけ眉をひそめただけだった。
「……はぁ。足手まといは御免だけど、死なれても後味悪いわ。街までついてきなさい」
その言葉に救われた気がして、俺は小さく息を吐いた。
森を抜けると、石畳の街道と石壁に囲まれた街が広がっていた。
門をくぐった瞬間、俺は無意識に呟いていた。
「……おお、初期都市グランベリア……!」
「? 何を感心してるの」
リナは怪訝そうな顔をしたが、俺の耳には入っていなかった。
見慣れたはずの街並みが、まるで“現実”のように目の前に広がっている。その感覚に酔いそうだったのだ。
「さて、まずは装備だな」
俺は鍛冶屋の看板を見つけ、店の中へ入った。
「おう、いらっしゃい! 初心者向けの軽装なら、銀貨五枚だぜ」
「よし、それで……」
手を伸ばしかけて、硬直する。
そうだ。俺には財布なんてない。
「……お金が、ない」
鍛冶屋の親父が眉をひそめ、リナは額に手を当てて深いため息をついた。
「アンタねぇ……街までついてきたと思ったら、所持金ゼロ? どうやって生きていくつもりなの?」
「……ログインボーナスも無いのかよ、この世界」
俺の独り言に、リナはさらに呆れ顔になる。
結局、装備を手に入れることはできなかった。
途方に暮れる俺を見て、リナは肩をすくめる。
「仕方ないわね。……今夜はうちに泊めてあげる。ただし条件がある」
「条件?」
「私の冒険に、しばらく付き添うこと。荷物持ちでも戦闘要員でもいい。何もしないなら宿代だって払えないでしょ」
俺は一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「いいだろう。どうせ暇だし……いや、むしろ願ったりかなったりだ」
「そう。じゃあ決まりね、ユウ」
リナはそう言って歩き出す。
その背中を追いながら、俺は不思議な高揚を覚えていた。
この世界に来て初めて、“次のクエスト”を手に入れた気がした。
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