夕暮れの雨にオレンジ色をかざす


 夕暮れの雨。


 空が沈みきる寸前の、どこか決断をためらっているような灰色。雲の層が重なり合って、光をすべて飲み込んでしまった。視界全部が薄い黒で埋め尽くされていて、その上から、ほんのオマケ程度に青白い光がかぶさっている。街灯がひとつ、またひとつとともり始めて、まるで世界が夜の支度を始めたようだ。


 私は立ち止まって、濡れたあめだまりの反射を眺めた。

 傘をさしているのに、指先はひんやりと濡れている。雨粒は落ちては弾け、雨だまりに流れていく。


 私の手には四角い折り紙のようなフィルターが何枚もあって、その一枚を抜き取り視界にかざす。


 抜き取ったフィルターの色はオレンジ色。

 暖かいようで、どこか切ない色。手の中で傾けると、街の景色が柔らかく染まる。


 視界の全体を黒で満たしていた世界は深い緑に変わり、雨粒は白く光る。オレンジの色はボケて輪郭りんかくだけを沿う形で反映はんえいさせた。

 フィルターを一枚変えるだけで、現実はまるっきり姿を変えていく。まるで人の心みたいだと、私は思った。


 人は誰でも、自分だけのフィルターを持っている。

 それは生まれたときから少しずつ集めてきた色でできていて。


 親からもらった色、友達に影響された色、恋人の涙で染まった色。どれも少しずつ違っていて、誰一人、同じ組み合わせを持つ人はいない。だからこそ、人は共感するし、嫉妬もする。似た色を見つければ安心して、違う色を見つければ不安になる。そんな単純で、そんな厄介な生き物だ。


 私の学生のころはよく思っていた。

 「なんであの人は、私の言葉をわかってくれないんだろう」って。

 でも今は、少しわかる気がする。わかってくれなかったんじゃなくて、見えている色が違っただけだった。相手の世界では、私の青が灰色に見えていたのかもしれない。赤が青に見えていたのかも。

 それを誤解と呼ぶこともできるけれど、本当はただ、フィルターの色が違っていただけ。


 人は自分のフィルターにない色を見せられると、どうしても目を背けたくなる。

 羨ましくて、でも認めたくなくて、いつの間にか「そんな色は存在しない」と言い張ってしまう。

 そして、その言葉で誰かを傷つける。自分を守るために。


 フィルターを外すと、夕暮れの街が、一層あおく沈んでいく。


 人は完全に分かり合うことなんて、たぶんできない。だけど、お互いの色を認め合うことなら、きっとできる。

 誰かの青を羨ましがるより、自分の青を少しだけ誇ってみよう。そうすれば、世界の見え方も変わるかもしれない。


 雨はまだ止まない。

 けれど、傘の下から覗く世界は、いつも通りのえない色で満ちていた。







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