第11章 反響の塔(はんきょうのとう)

朝の空は灰色の雲に覆われ、エリアナとライラが谷のふもとに辿り着いた頃、空気はどこか奇妙だった。

息を吸うたび、過去の残響が胸に入り込んでくるような感覚――。

遠くには一本の塔がそびえ立ち、くすんだ銀色の石で築かれた壁面が鈍く光っている。

鳥もいない。風もない。

完璧すぎる静寂だけが支配していた。


エリアナはその塔をじっと見つめた。

「これが……“反響の塔”? 名前、どう考えても“憂鬱の塔”の方が合ってるんだけど。見た目だけで鳥肌立つし。」


ライラは無表情のまま塔を見つめる。

「ここは初代の光の守護者たちが建てた場所。霧に飲まれないよう、自分の“もうひとつの側面”をこの中に封じた。」


「もうひとつの側面?」

エリアナは眉をひそめる。

「それって、オルタ自分とか、闇落ち人格とか、永続ムードスイングみたいなやつ?」


ライラは答えず、一歩進んで塔の石壁に触れた。

淡い光が壁の紋様に沿って走り、重々しい音を立てて扉が開く。


内部に入った瞬間、エリアナはゾクリと震えた。

床も壁もすべて鏡のようで、あらゆる方向に自分たちの姿が映り込んでいる。

だが、その反射は……完全ではなかった。


笑顔が歪んでいたり、目が赤くなっていたり、

中には動かないままこちらを見ている影もあった。


「……この場所、無理。

もし反射が勝手に笑いかけてきたら即退出するからね。」


「集中を切らすな。」

ライラが静かに言う。

「この塔が映すのは現実ではない。私たちが隠しているものだ。」


二人は螺旋階段をゆっくりと登っていった。

一歩進むごとに、足音が妙に反響し、誰か別の存在が後ろについてくるような気配がした。

鏡に映るエリアナは、黒い瞳で睨んだり、微笑んだり、泣いていたり――どれも本当の自分ではない。


「……あの視線、やめてほしいんだけど。」

エリアナがつぶやく。


「彼らはただの反射じゃない。」

ライラの声は冷たい。

「失われた“断片”だ。」


突然、ライラの足が止まった。

大きな鏡の前で、彼女の反射が――動いていなかった。

ライラ本人とは別に、鏡の中の彼女はただ微笑を浮かべて立っていた。


エリアナは青ざめた。

「ねぇライラ……あれ……普通じゃないよね?」


ライラが答える前に、反射のライラが勝手に動いた。

紫色に染まった瞳でライラを見据え、剣を持ち上げる。


「偽りの光の守護者よ。」

その声は塔全体に響き渡った。

「お前に世界を救う資格があるとでも思うのか。

ひとつの世界を救えなかったくせに。」


エリアナは口を開けたまま固まった。

「うわ、闇落ちバージョンもう口悪い。」


ライラは迷わず剣を抜いた。

「私は過去と対話するつもりはない。」


二人は戦い始めた。

戦っているのは影ではなく、“生きた反射”。

ライラの斬撃がそのまま返され、鏡が衝突のたびに砕け散る。


エリアナは後退し、どう助けるか考える。

その時、手にしたモップが震え、先端から彼女自身の“反射”が現れた。

同じ顔、同じ体。

ただし――瞳が真っ黒だった。


「ちょ、私にも分身!? いや、これ普通じゃないでしょ!」


「分身ではない。」

その黒い瞳のエリアナが冷たく笑う。

「私はお前が捨てた部分。恐怖、疑念……

そして、本当は光の守護者なんてなりたくなかったという気持ち。」


エリアナは言葉を失った。

その声は、どの攻撃よりも深く刺さった。


「望んでいない責任を背負わされて、帰りたくて、逃げたくて――

でも世界はそれを許さない。」


エリアナはモップを握りしめる。

「……かもね。

でも、私がやめたら――この汚れ、誰が掃除すんの?」


彼女は踏み込み、モップを振るった。

だが反射も同じ力で受け止める。

光と闇が弾け、部屋中の鏡が震えた。


その頃、ライラは“自分の闇”を斬り裂いた。

反射はガラスのように砕け、紫の光となって消える。


エリアナの戦いも終わりに近づいていた。

彼女のモップはまぶしいほどに輝き、闇の反射は薄れていく。


「怖いって思えるなら、まだ前に進める理由があるってこと。」


静かな声でそう呟き、

エリアナは一閃を放つ。

反射は真っ二つに割れ、塔全体にガラスの崩れる音が響いた。


静寂。


エリアナは肩で息をしながら言った。

「はぁ……セラピーいらないじゃん。自分でトラウマ掃除できるし。」


ライラが近づき、

映るもののなくなった鏡を見上げる。

「お前は塔の試練を越えた。自分の意思で乗り越える者は少ない。」


エリアナはモップを見つめた。

「ねぇ……じゃあ、この塔の頂上には何があるの?」


ライラは霧に包まれた塔の上を見上げる。

「真実。そして……おそらく、お前を待つ者。」


エリアナは固まった。

「絶対いい奴じゃないやつじゃん、こういうの。」


それでも二人は最後の階段を登った。

一歩一歩が重く、しかしエリアナのモップは温かく、背中を押すようだった。


塔の頂上では、薄い青の光が渦を巻き、

その中心にひとりの人物が立っていた。

長い白髪、星が死にかけるような光を宿す瞳。


その人物はゆっくりと振り向き、エリアナを見つめる。


「ついに……来たのだな。」

その声は優しくも、震えていた。


エリアナは息を呑む。

「あなた……誰?」


影のような微笑が浮かぶ。

「私はエルタラ。

初代光の守護者――そして、お前の力の源だ。」

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