第8章 岐阜基地防衛戦(後編)
第二防衛線の攻防
第二防衛線――滑走路手前に急造された遮蔽とトーチカの列。
コンクリートブロックが焦げ、金属板が熱で歪んでいた。爆風で吹き飛んだ土嚢の継ぎ目から、砂埃がかすかに煙のように立ち昇る。
「各機配置につけ! 第二防衛線を死守する!」
静香の声が無線に響き、各隊の確認応答が次々と重なった。
空は既に薄く煙っていた。弾薬の燃える匂いと、潰れた機体の油が焼ける臭いが混ざり、喉の奥に鉄の味を運んでくる。
俺のHUDに、敵の新たな波が赤い点で散りばめられる。数は多い。さっきまでの倍以上。無人機と有人機が入り混じり、重装甲機が隊列の中心を固めていた。
「右翼、防御準備完了!」
「左翼も持ち場についた!」
報告が上がる中、第一射が降ってきた。高高度からの滑空爆弾。軌道上で太陽の光を反射し、次の瞬間には轟音と共に防衛線の手前にクレーターを刻む。
「長瀬、迎撃を! 水島、桐生、左側面を押さえろ!」
静香の指示に従い、俺たちは即座に散開した。HAYATEのサーボが脚部を伸ばし、地面を削って加速する。
肩部のキャノンが旋回し、発射の反動がシートの背中に突き刺さった。煙の切れ間から、一機、二機と敵影が炎を引いて墜落していく。
防衛線の崩壊
だが敵の波は止まらなかった。
無人機の群れが低空で旋回し、重装甲機が砲撃を繰り返しながら前進する。
味方の歩兵陣地が一つ、二つと火に呑まれ、通信が次々と途絶えていく。
「桐生機、左側面被弾! 防御装甲破損!」
「問題ない、まだ持つ!」
桐生の声が荒い。だが落ち着いていた。彼は生真面目な男だ。任務の手を絶対に緩めない。
水島のストライダーがその横で素早く旋回し、迫る無人機を散弾で吹き飛ばした。
「桐生さん、気を抜いたら死にますよ!」
「お前もな!」
火花と煙の向こうで、二人の機体が背中を合わせる。そのわずかな瞬間だけ、戦場に人間らしい匂いが戻った。
藤堂の決断
それでも、防衛線はじりじりと後退を余儀なくされた。地面が砲撃で抉れ、遮蔽が次々と消えていく。
その中で――藤堂が、低く、はっきりと言った。
「神谷三佐。ここは俺が殿を務める」
無線が一瞬、静まった。
静香の声がすぐに返ってくる。
「許可できません。単独行動は――」
「許可なんざいらん。俺が残れば数分は稼げる。お前らは内側に下がれ」
彼の声は妙に落ち着いていた。戦場の轟音の中で、そこだけ時が遅く流れているようだった。
「教官……」水島の声が震えた。
藤堂は短く笑った。
「大丈夫だ。帰ったら釣りに行こうな」
水島の回想
その言葉で、水島の脳裏に数日前の光景が蘇る。
夜の食堂。藤堂が妻と息子の写真を見せながら、少しだけ照れくさそうに笑っていた。
「終わったらな、真っ先に帰るんだ。息子と釣りに行く約束がある」
水島は「いいなあ」と笑って返し、カップに入ったぬるいコーヒーをすする。
「教官、じゃあ釣りのコツ、今度教えてくださいよ。私、そういうの全然ダメで」
「簡単だ。魚がいそうな所に糸を垂らして、あとは待つだけだ」
「いや、それ一番難しいやつ!」
笑い声。戦場の外にある、ほんのわずかな時間。
水島にとって藤堂は父親のような存在だった。自分を叱り、時に褒め、そして一緒に笑ってくれる人。
だからこそ、今ここで彼が殿に残ると言ったことが、胸を締め付けるほど怖かった。
藤堂の機体が、第二防衛線の前に一歩進み出た。
敵陣との間に、わずかな静寂が生まれる。
次の瞬間、砲声が重なり合い、世界が再び燃えた。
「教官、戻ってください! 私たちも――」
「下がれ、水島。お前らは生きろ」
藤堂は振り返らなかった。
スラスターが背後に炎を吐き、機体が一気に加速する。
狙撃銃が火を吹き、正確無比な射撃が無人機の関節を砕いていく。爆炎が立ち上り、敵の進撃が一瞬止まった。
その間に味方部隊は後退し、格納庫へと撤退を開始する。
「各機、退避! 急げ!」静香の声が重なる。
敵は止まらない。重装甲機が包囲を狭め、空からは無人機が次々と降下してくる。
藤堂は一発ごとに正確に敵を撃ち抜き、最後の防衛線を一人で支えていた。
だが――上空で光が瞬いた。
複数のロックオン警報。飽和攻撃。
藤堂は一瞬だけ息を吸った。
視界の端に、妻と幼い息子の後ろ姿が浮かぶ。
家の縁側。麦茶のグラス。笑い声。
風にそよぐカーテンの向こうから、二人がこちらを振り向く。
「帰ったら……釣りに行こうな」
藤堂の口元がわずかに緩む。
次の瞬間、無数の閃光が彼の機体を包んだ。
爆散と沈黙
時間が引き延ばされる。
衝撃波が周囲の空気を震わせ、光が視界を白く焼き尽くした。
藤堂のストライダーが爆炎に飲まれ、腕部が、脚部が、砲身が、光と煙の中で分解されていく。
遠くで誰かが叫んだ。水島の声だったのか、桐生の声だったのか、もう分からない。
炎が収まり、そこには黒く焦げた地面と、崩れ落ちた重装甲機の残骸だけが残った。
撤退と余韻
「全機、撤退完了を確認」
静香の声が低く落ちる。
格納庫に戻った兵士たちは誰も口を開かなかった。
ただ、藤堂が最後に稼いだ二十秒がなければ、自分たちはここにいなかった――その事実だけが胸に重く沈んでいた。
水島はヘルメットを抱えたまま、静かに顔を伏せた。
「教官……釣り、行きたかったな……」
風が格納庫を抜け、瓦礫の匂いを運んでいった。
遠くで再びサイレンが鳴り始める。
戦いはまだ、終わっていなかった。
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