Ep.22 黒騎士の憂鬱
王太子カミル殿下直属の騎士隊は騎士団から特にカミル殿下への忠誠心が篤いものを選抜した少数精鋭の部隊である。騎士団の制服の濃紺とは違い、殿下の騎士隊の制服は黒、主な仕事は殿下の手となり足となって密命をこなすことだ。
この騎士隊に所属している私、ノエル・グレンジャーが薬剤師室への出向から戻りしばらく経った頃、殿下の執務室に呼ばれた。
一人で呼ばれる時は大体面倒ごとの方が多い。
嫌な予感がする。
前回のフィオナさんの護衛任務では、すったもんだの末、個人的にフィオナさんに好意を抱いてしまい、今はお付き合いを始めたばかりだ。
薬剤師室にいた時は良かった。職場でも一緒だし、帰りに食事を共にする機会もあって。
だが、ここに戻ってからというもの、仕事が忙しすぎて殆ど会う時間も取れない。
休みを合わせるのは難しいと彼女は理解してくれているが、そもそもここは休みの概念がない。殿下が元々ワーカホリック気味なのだ。その手足となる我々がどうして休めようか。
殿下の執務室を訪れると、執務机ではなく窓際で外を眺めていらした。
「ノエル……」
いつもならすぐさま仕事の話に入る殿下の歯切れが悪い。
珍しい。
何かそんなに危ない仕事なのだろうか?
いや、そんな時の方が嬉々として仕事を振ってくる人だな。
「お前にしか頼めない仕事がある」
「はい」
前置きがあるのも珍しい。
そして沈黙が長い。
他の仕事もあるのだから、早くしてもらえないだろうか。
「妹のエリーゼは知っているな」
エリーゼ殿下。カミル殿下とは歳が離れていて今年十二歳。
勿論、自国の王女であるからして知っている。
公務に護衛として同行したことも数回あった。
「そのエリーゼがな……。セレーナから『妖精の小瓶』のフィオナの話を聞いて、いたく感銘を受けたとか言い出して……」
王太子妃殿下セレーナ様はそろそろ臨月で出産準備に入られているはずだ。
公務も休まれている。
フィオナさんは『妖精の小瓶』のおかげで一躍有名になった。
安価で婦人病の諸症状を改善するその薬は、フィオナさんの故郷に咲くアジルスの花を原料にしたもので、麻薬ルピナスの効果を打ち消すとして今は王立薬学研究所で研究が進んでいる。
そして、『妖精の小瓶』はフィオナさんの名前で特許を取ったが、その特許料を全て王太子妃の慈善事業にと寄付していることで美談として広がっているのだ。
エリーゼ殿下が聞いた話とはそのことだろう。
「お前、ベルウッドと交際しているだろう?」
「はい」
それはその通りなのだが、関連性が分からない。
「エリーゼにベルウッドの話をしてやってくれ。
それから、護衛というか……監視だな、を頼みたい」
突っ込みどころが色々ある。
まぁ、フィオナさんの話をするのはいい。
護衛は近衛の仕事じゃないのか?
で、なんで監視?
しかもいつもは命令なのに、頼むって何だ。
「護衛……ですか?」
とりあえず全部を言うわけにはいかないので、途中だけ疑問を呈する。
殿下は執務机につくと、頭を抱えた。
「護衛もあるが監視の方が比重が大きいな……
あれは誰に似たのか、行動力がありすぎる。そしてあの歳で悪知恵だけは人一倍だ」
貴方の妹だからではないですか、と心の中だけで唱えた。
「『妖精の小瓶』の妖精さんに会いたいというのは、なんとか公務として病院の視察を入れるからと宥めたのだが、聞く耳を持たん。その上、小瓶を実際に使っている人の話も聞きたいとかで『聖地巡り』に春花亭に行くとか言い出す始末でな……。
この一月で王宮からの脱走を試みた回数三十二回、そのうち近衛が完全に撒かれた回数八回だ。近衛だけに任せていたのでは、そのうち城門を突破される。
そこで、だ」
凄いガッツとバイタリティだな。
十二歳でそれなら、大人になったら目の前の殿下を越えそうである。
殿下が手を組み顎を乗せてこちらを見た。
「お前からベルウッドの話で釣って、城内でなんとか大人しくさせてくれ」
「お話しするのは構いませんが、それはいつまででしょう?」
「当面、あいつが落ち着くまで、だな」
フィオナさんの話をするのは構わない。
潜入捜査をしていた時から、フィオナさんのことは何でも知っている。
好きな食べ物、好きな色、好きな花、ちょっと鈍臭いところや実は毒舌家なのも。
話をするネタはたくさんあるが、無期限で王女を四六時中監視していたら肝心のフィオナさんに全く会えなくなるのではないか?
(今でも会う時間が激減しているのに?)
この人は鬼だな。
薬剤師室に出向させてくれた時は神だと思ったが、鬼か悪魔に違いない。
「その代わり、今日この後明日まで休暇をやる」
たった半休でそれを飲めと。
……だが、ここにイエス以外の返答は存在しない。
殿下の騎士隊は殿下の意向が絶対だ。
「承りました」
「エリーゼには伝えておく
それからもう一件、これは叔父上からの情報だが……」
カミル殿下の叔父、王弟オリヴァー殿下は臣籍降下され、現在は王立病院薬剤師室の室長オリヴァー・ドレイクとして勤務している。マッドサイエンティストと言われているがあながち間違ってはいない。
私とフィオナさんが付き合っていることを知っている癖に、いつも邪魔をしようとする。
諦めの悪いことだ。
「最近、デートドラッグによる被害が増えているそうだ。女性の飲み物に薬を盛って昏倒させた状態での性犯罪だな。叔父上は薬の出所から調べているそうだが、どうもきな臭いらしい。こちらに話が回ってくる可能性もある。薬関係だとお前に頼むことがあるかもしれん、気に留めておいてくれ。以上だ」
「失礼します」
殿下の執務室を出る。
デートドラッグか……。
私がいない時は酒は飲まないようにフィオナさんとは約束しているが、あの人は一人で食事に出たりすることもあるからな。
とりあえず、今日の夜食事をする約束を取り付けて、注意するように言わなければ。
次の日、エリーゼ殿下の私室を訪れた。
そこには王太子殿下と同じ、銀色の絹糸のような髪に濃い紫色の瞳をした少女がいた。
萌葱色のドレスに身を包んで佇む姿からは、カミル殿下の言う逃走劇を実行するようには見えない。
少女から大人に近づいた体、下ろした長い髪、そして細くて白い手。
ただ瞳だけが好奇心に輝いている。
「ノエル・グレンジャーね、兄上から聞いているわ。
妖精さんのお話しをしてくれるのでしょう? 座って」
「失礼いたします」
エリーゼ殿下の対面に腰掛けると、早速殿下が身を乗り出した。
「フィオナ・ベルウッドとお付き合いしているって本当?」
「え、えぇ」
妖精さんはフィオナさんのことだったのか。
薬の命名はジュリアンだったはずだが、それはこの方は知らないのだろうな。
「フィオナさんってどんな方なの? 髪の色は栗色だって、瞳の色は緑色って聞いたわ。
それから、背は大人にしては小さい方で私より少し大きいくらいって。
王立学院の薬学科から王立病院に入ったって優秀な方なのね!」
まぁ、確かに学院の薬学科を出ても王立病院に就職できるのは一握り。
相当勉強したのだと言っていた。
「えぇ、とても優秀な薬剤師です。薬にかける情熱と信念を持った、芯の強い女性ですよ」
「やっぱり!」
そう言いながら殿下はうっとりとした顔になる。
こうして見ると年相応なのだがな。
この時はそう考えていた。
だが、すぐに考えを改めることになる。
歳は十二でもこの方はあのカミル殿下の妹。
ガッツとバイタリティと知的好奇心にあふれた、面倒臭いお子様だったのだ。
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