Ep.02 最初の予感

「お大事になさってくださいー」

 

 不審な手紙は置いておいて、休暇明け私は薬剤師室でいつものように仕事に励んでいた。

 処方箋から患者さんの名前のところを開き、台帳に薬の情報を書き写すと、処方箋に処理済みのサインを入れて箱に放り込む。次の処方箋は、と。胃薬か。これなら混ぜる作業いらないから、日数分の薬包にするだけだな……。

 それにしても、あの手紙一体なんだったんだろう。

 いたずらじゃなくて、私個人を標的にしたとしたら家知られてるって相当怖いんじゃ?

 でもなぁ……

 

(『お前の秘密』って言われてもなぁ。今秘密にしなきゃいけないことなんてないんだけど……)

 

 そうだ。

 今の私は生まれ変わったというくらいまっさらだと言っても過言ではない。

 王立病院の薬剤師はそれなりに高級取りで、しかもバイトの副収入もある。

 私は今のところ全くと言っていいほど金に困っていない。

 むしろ貧乏が板につきすぎて、余暇にお金を使うわけでもなく。洋服やおしゃれにお金を費やすことも後ろめたさが先に立って出来ないのだ。染みついた貧乏性の悲しさよ……。

 唯一の悩みと言えば、彼氏になったはずのノエル君となかなか会えないことくらいだろうか。

 

(それにしたって秘密じゃないしな。ノエル君とお付き合いしてることは皆知ってるし)

 

 タチの悪いいたずらだろうか?

 いたずらでも「お前の秘密」って言われたらドキドキするよね。

 身に覚えがあるかどうかは別にしても。

 手早く必要な量の胃薬を計りとって日数・回数分の薬包に分け包んでいく。

 よし。

 ピッタリと薬包に折り目をつけて包み終えた時、ロシュフォール室長代理に声をかけられた。

 

「ベルウッドさん、今月納入予定の薬のリストについてちょっとお聞きしたいのですが、この後室長室まで来てもらってもよろしいですか?」

 

 納入リストの言葉に自然と眉が寄る。


(室長、さては投げっぱなしで出ていったな……? しかし、通常業務を放り出すなんてもっと大事なことがあったって事……?)


 大分前に提出したはずなのに、業者に提出するの明日が期限じゃなかったのか?

 しかも、納入業者は一つじゃなかったはずだ。

 え? ちょっとそれ、もしかして全部じゃないでしょうね?

 

「分かりました。これ終わってからでも構いませんか?」

 

「もちろんです。患者さんを優先してください」


 室長代理はいつもの優しい笑顔をすこし困ったような顔をして言った。

 

 

 

 患者さんへの薬の説明と、処方箋の後処理を終えて室長室へ急ぐ。

 なんとなく嫌な予感がするのだ。

 果たして結果は予想通り。

 全ての納入業者に明日までに出さなければいけないリストが「全部」未処理だった。

 

(なんてこったい……何してくれてんだ! 室長)


 私とお茶を楽しんでる暇はいっぱいあったんだから、ちゃんとやらなきゃいけない仕事は期限通りにやらなくてどうすんのさ!

 室長代理と手分けして薬の管理台帳と在庫を突き合わせ、購入する量が正しいかどうかをチェックしていく。「全部」だよ「全部」。これ今日いっぱいで終わるの? もう既に終わりが遠く彼方に走り去って行って残像くらいしか見えないんですけど!


「ごめんね、ベルウッドさん。さすがに私一人じゃ終わらないかなと思って……」


 いや、こんな分量一日でとても終わるわけがないですよ。

 だからこそ、こちらは早くから提出しているというのに、最後の決済する人間が放置してどうする!

 おかげで在庫を確認した日から日にちが経ちすぎていて、もう一度チェックし直す羽目になってるじゃんよ!


「いえ……さすがにこの量を室長代理お一人では無理ですよ、はぁ……」


 やりきれなさにため息をこぼした私を見て、室長代理もふふと笑った。


「あぁ、アルフレッドと名前で呼んでもらえますか? 室長代理となってはいますけど、実は管理職とかしたことないんですよ。あまりそういう上下関係みたいなの好きではなくて」


 えっと、それはいくらなんでもフランクすぎやしないか?


「いや……、一応ここでは上司ですし……」


 確認していた薬瓶をことりと置くと、室長代理は苦笑いを浮かべながら首を傾げた。

 く……イケメンがそういう仕草をするのはズルすぎると思うのよ……。


「えーっと……アルフレッド……さん?」


 よくできましたと言わんばかりにアルフレッドさんはにっこりと笑った。

 その後は黙々と二人でリストのチェックをする。


(ん? んん……?)


 おかしい。

 数字が大幅に合っていない箇所がある。

 これは……睡眠導入剤か……。

 この日にチェックした在庫と今ある在庫の数字が大幅に違う。

 一ヶ月も経ってないのに、普段患者さんに出す分量を考えても明らかに今の在庫数が少なすぎる。

 在庫のカウントを間違えた?

 いや、このリストを作った先輩はとにかく神経質な方でこういう数字を間違えるとは思えない。

 それに、この最初にカウントされた数量も通常の在庫量を考えれば少ない気がする。

  

「どうかした? フィオナさん」

 

 アルフレッドさんがこちらのリストを覗き込む。

 さらっと名前呼びされたけど、まぁいいか。

 

「えっと……ここの睡眠導入剤なんですが、明らかに数字がおかしくて……」

 

 アルフレッドさんの眉間にも皺が寄る。

 ここは王立の病院で薬や医師、看護師、薬剤師の給料は国からの予算で動いている。

 その国の財産の管理責任を問われる事態になりかねない。

 

「本当だね……睡眠導入剤か……」

 

 そう言ってアルフレッドさんは薬の名前をサラサラとメモに書きつけた。

 

「そこは後で調べることにして、他を進めてくれるかな?」

 

 大量の薬のチェックを終え、ようやく納入リストの決済が終わったのは日が暮れて随分たった後だった。

 

 

 

 遅くなったし付き合わせたから、とアルフレッドさんの「送るよ」との申し出を受けて私は家路についた。

 

「フィオナさんはドレイク室長とお付き合いしているの?」

 

 アルフレッドさんの言に顎が落ちるかと思った。

 何を言い出すんだこの人は。

 でも無様に口が開きっぱなしになっている自覚はある。

 そんなわけあるかいな。

 

「……あぁ、そういうわけじゃないんだね。室長がフィオナさんのこと凄く心配してたから、お付き合いでもしているのと思っただけなんだ。あ、こういうのってセクハラになっちゃうんだっけ?」

 

 まぁ、交際云々上司が聞くのはセクハラです、えぇ。

 

「えっと、室長とはなんでもありません。『ただの』上司と部下です」

 

 笑いが堪えきれない風でふふふとアルフレッドさんが笑う。

 一体室長はアルフレッドさんにどういう伝え方をしたんだろう?

 帰ってきたら締め上げなくては。

 

「ただの、ね。それはいいことを聞いた」

 

 ん? 何かいい情報が今のところにあっただろうか?

 

「じゃぁ、私が立候補してもいいってことかな?」

 

 はい?

 脳が理解を超えて機能停止する。

「立候補」とは……?


(え? アルフレッドさん、私がノエル君とお付き合いしてるって知らないの?)


 それにしたって、なんで?

 まだアルフレッドさんとは出会って十日も経ってないはずだ。

 なんで立候補とかそういう話に……

 

「フィオナさん!」

 

 走り込んできたしゃぼんの香りに包まれる。

 いつかのようにぎゅっと抱きしめられた。

 あれ? ノエル君?

 仕事忙しいからしばらく会えないって……

 殿下直属を示す黒の騎士服ではない、濃紺の騎士服の胸にぎゅっと顔を押し付けられた。

 いやいやいや、往来で何してくれんの。

 しかもこのタイミングかよ! 助かったのか大ピンチなのかよくわかんないよ!

 

「の……ノエル君、室長代理は遅くなったからって送ってくれてるだけだよ!」

 

 抑え込まれている手を慌てて押し留めて少し離れてもらう。

 少し走ったからだろう、サラサラの白金の髪が少し乱れて散っていた。

 

「本当ですか……?」

 

 ノエル君が不審そうだが、それ以外になんと説明のしようがあるというのか。

 グルグルと唸り声が聞こえてきそうな勢いでノエル君がアルフレッドさんを睨みつけた。

 

「送りはもう大丈夫そうだね、それじゃおやすみ、フィオナさん」

 

 アルフレッドさんは大人の余裕でノエル君に苦笑いをよこすと踵を返す。

 

「あの、ありがとうございました、アルフレッドさん!」

 

 振り返らず片手を振ると去っていく。

 スマートな人だなぁ。

 

「へぇぇ……、名前で呼ぶんですか……。室長代理なのに?」

 

 ノエル君のいつもとは違う低音が響く。

 ひ、という声が漏れるところだった。

 いや、普通に怖いから! それ!

 

「詳しくお聞かせ願えますか?」

 

 ひぃぃぃぃ!

 声が極寒の冷たさである。

 黒騎士モードだ!

 これって尋問された時のやつだよ!

 

 その後、なんとか誤解を解いてお帰り頂くまでに相当な時間を要したことはお伝えしておかなければならない。

 そして、ようやく一息ついて玄関を開けたとき、またカサリという音がした。

 見覚えのある紙片。

 


「お前の秘密を知っている」


 

 ……だから、心当たりないんだってばよ。

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