彩良の作戦
じりじりと肌を焼くような熱気が、夕暮れになってもアスファルトの上に陽炎のように揺らめいている。むせ返るような人いきれと、りんご飴の甘ったるい匂い、イカ焼きの香ばしい醤油の香り。腹に響く太鼓の音と、子供たちのはしゃぎ声。
光陵神社の夏祭りは、一年で最も街が非合理的になる夜の始まりを告げていた。
「……で、お前、いつまでそうしてんだよ」
待ち合わせ場所である鳥居の前で、隣に立つ大地が、呆れ果てた声で俺に言った。俺は腕を組み、不機嫌そうに空を眺めている。正確には、空と、鳥居の笠木が作る水平ラインの角度を、脳内で測定していた。
「……約束の時間まで、あと三分十二秒ある」
「そーいうことじゃねえよ! お前、カメラないと死ぬんじゃねえの? なんかもう、構え方からして写真撮る時のクセが抜けきってねえぞ」
「うるさい。これは観測だ。今日のミッションは、集団における非合理的な高揚感が、個々の判断能力に及ぼす影響を……」
「はいはい、分かった分かった。で? どの子が詩織ちゃんだっけか?」
大地の屈託のない質問に、一瞬、言葉に詰まる。
今日の、このカオスな状況になった原因。それは、一週間前の、あの日の部室。彩良の、悪魔のような一言がきっかけだった。
◇◇◇
「ねーねー! みんなで夏祭り、行かない!?」
夏の合宿の計画が一段落した部室で、彩良がキラキラした目で提案した。その瞬間、俺と響は、まるで示し合わせたかのように、即座に拒否の意思を表明した。
「却下だ。非効率の極みだろ。ただでさえ暑いのに、わざわざ人口密度の高い場所へ行く意味が分からない」
「……ノイズが多すぎる。無理だ」
俺たちの鉄壁のディフェンスに、しかし、彩良は全く怯まなかった。彼女はまず、御しやすい相手から攻略にかかった。
「えー、響、ダメなの? お祭りじゃないと録れない音、いっぱいあるよ? 金魚すくいのポイが破れる音とか、綿あめを作る機械のモーター音とか……絶対、面白いって!」
「……っ」
響の眉が、ピクリと動いた。図星らしい。次に、彩良は栞先輩に向き直る。
「栞先輩! 境内には、すっごく古い骨董市も立つんですよ? 昔の教科書とか、古地図とか、面白いものがたくさんあるって!」
「……骨董市、ですか。それは、少し、興味がありますね」
栞先輩まで、あっさりと陥落した。最後に残った俺を、彩良は悪魔のような笑顔で見つめる。俺は、断固として首を横に振った。
「俺は行かない。夏川と先約が……」
「うん、知ってる! だから、もう呼んじゃった!」
彩良は、そう言って、すでに通話状態になっているスマホの画面を俺に見せつけた。スピーカーから、聞き慣れた能天気な声が響く。
『おー、彩良ちゃん! もしもしー!』
「もしもし大地くん? 彩良だよー! 夏祭り、凪くんも行くから、大地くんも一緒にどうかなって!」
『え、まじで!? あの凪が!? 行く行く! 絶対行くわ!』
「なぜ、お前が夏川の連絡先を……」
俺が呆然と問い詰めると、彩良は「え?」と心底不思議そうな顔をした。
「私、サッカー部のマネージャーやってるんだよ? ……凪くん、知らなかったの?」
初耳だった。
外堀を、音もなく、完璧に埋められていた。
こうして俺は、風景保存協会の面々と、日常の象徴である大地という、最も混ぜ合わせるべきではない二つの集団に挟まれる形で、この祭りに強制参加させられることになったのだ。
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