第34話 誰か来てるよね?
ピーンポーーーーーン。
もう一度、響くチャイム。
「違うんです!! もう部屋の前まで来てますっ!!」
そう。モニターに映る碧は、すでにエントランスではなく――
わたしの部屋の前に立っていた。
そこからの部長の動きは、驚くほど素早かった。
自分の荷物を抱えたまま玄関に向かい、靴を手に取る。
そしてそのままベランダへ移動し、
「私はここに隠れているから」
と小声で告げると、ドアを開けて外へ出ていった。
その身のこなしに思わずポカンとしてしまう。
わたしもベランダ越しにコクリ、と頷いた。
部屋の中からは見えない位置に移動する部長。
――もしかして修羅場慣れしてる?
そう疑いたくなるほど、スピード感のある行動だった。
ピーーンポーン。
チャイムとともに、ドアの向こうから
「おねーーさーーーん!」
という
「ごめん! 今開けるから!!」
玄関に向かって声をかける。
ドアを開けると、そこには碧が立っていた。
金色の髪に、整った顔立ちの美青年。
改めて見ると――やっぱり、ドキッとしてしまう。
「どうしたの?」
「うん。ちょっと忘れ物というか、これ……」
碧がズボンのポケットに手を入れ、取り出したのは――
わたしの家の鍵だった。
碧が差し出した鍵を受け取る。
(そっか、これでエントランス突破できたんだ……)
「ごめんね? 今朝は無意識にポケットに入れてたみたいで……
途中で気づいて、慌てて戻って来たんだ」
申し訳なさそうに見つめてくる碧。
その表情が少し子犬みたいで、怒る気なんて起きない。
「いいよぉ、そんな。
むしろ昨日は、酔っぱらったわたしをここまで連れて来てくれてありがとう」
「おねーさんを抱っこして連れて来た騎士は駿さんだけどね……」
ふいっとそっぽを向きながら、拗ねたように言う碧。
「そうなの? でも、ここまで案内してくれたのは碧でしょ?」
「ありがとう」
そう言って笑うと、碧の目が一瞬うるんだ。
「おねーさぁん……」
泣きそうな声。
「僕、おねーさんのこと、泣かしちゃって……嫌われててもおかしくないのに。
それでも、こんなに優しくしてくれるんだ……」
下を向いて震える碧。
その姿はまるで――ウルウルした目の子犬、“きゅるきゅる君”。
「大丈夫だから。……ね?」
思わず抱きしめて、背中をポンポンっと叩いてしまった。
その瞬間、碧の周りの空気が変わった。
(しまった……!! そうだ……!
最初に碧の“肉食獣スイッチ”が入ったのって、玄関先でヨシヨシしたとき――)
慌てて離れようとするも、碧が逃がすまいと手を引き、抱きしめてきた。
思いのほか力強くて、逃げられない。
「碧っ……!!」
思わず叫ぶと、耳元に甘い声が落ちてくる。
「おねーさん……やっぱり無防備なんだから」
ゾクッとした。
さっきまでの泣きそうな子犬はどこへ――完全に肉食獣じゃない!
心臓が早鐘を打つ。
至近距離で、碧の息が肌に触れる。
(やばい、近い……目、逸らせない)
時間が止まったように感じた――そのとき。
碧が、ふっと笑った。
ほんのわずか、唇の端を上げて。
そして、静かにわたしから離れた。
突然のことに身体がふらついたが、碧がすぐに支えてくれた。
「えっ……」
まさか、何もないなんて。
「大丈夫。おねーさんが嫌がるようなことはしないから」
少し悲しそうな顔をしながらも、碧は笑った。
「続きはちゃんと付き合ってから……だよね?」
そう言いながら、碧はそっと手を伸ばした。
わたしの頭を、ゆっくりと撫でる。
――まるで、壊れものを扱うように。
その動きは、優しくて、でもどこか切なかった。
我慢……してくれてるんだ。
そんな碧を見て、胸の奥がきゅっとなった。
「うん。そうだね」
わたしも小さく頷いた。
「……じゃあ、続きは一か月後の定期報告会で、かな?」
冗談めかして笑う碧。
「その頃には、ちゃんと全員と別れててよね?」
思わず釘を刺すと、碧は頭をかきながら「えっと、善処します」と言った。
「善処しますって何よ……もう」
思わず吹き出してしまう。
互いに小さく笑い合って、空気が和らいだそのとき――――
ピーロリロピロリ……♪
キッチンから軽快な電子音が鳴り響いた。
どう聞いても、ご飯が炊きあがったメロディ。
しかも、けっこうな大音量。……隠しようがない。
「ご飯、炊けた……?」
碧がぽつりと言う。
「そうだね……」
これは、マズイ流れだ。嫌な予感しかしない。
クンッ――。碧が鼻をひくつかせた。
「おねーさん、お昼ごはん作ってたの?」
「あー、うん」
「いい匂い……! 僕、お腹空いたなあ」
食べたいと顔に書いてある。
「あ~~、ご飯作ってたけど、ちょっと焦がしちゃって」
「え~! いい匂いだよ?」
食べたいオーラ全開の碧。
今にも靴を脱いで玄関から上がって来そうな勢い。
「いや~~、その、焦がした上に塩と砂糖を間違えちゃって、
とても食べられないというか……」
我ながら苦しい言い訳に、冷や汗が伝う。
「……」
「……」
嫌な沈黙。
碧がじっとわたしを見て言った。
「おねーさん、何か隠してない?」
「ナイナイ! 何も怪しいことなんて!」
両手をブンブン振って否定する。
「絶ッ対、怪しい!!」
そう叫ぶと、碧が靴を脱ぎ始めた。
「碧!! 待って!!」
必死に止めようとしたけれど――
……いや、これ、逆に怪しい。
そう思って、そっと手を離した。
碧がスタスタとリビングに入っていく。
「も~! 別に何もないったら!」
後ろから声をかける。
(部長は隠れてるし、大丈夫……だよね)
リビングを見渡す碧の動きがピタッと止まった。
「これ……どういうこと?」
テーブルを指さしている。
「何よ。フツーにテーブルでしょ……」
言いかけて――ハッとした。
テーブルの上には、お茶のグラスが二つ出したままだった。
「あ……」
漏れた声に、ジロッと鋭い目。
「喉乾いちゃって、二杯飲んでただけ……だし」
「……」
「ふうん」
呆れたように言う碧。
「じゃあ、これは?」
今度はソファを指す。そこには――
ジョ〇ョのコミック47~50巻が並べられていた。
「それは……読み直したくなって」
言いながら、汗が頬を伝う。
「誰か来てるよね?」
碧の声が低くなった。
その確信めいた響きに、背筋が凍る。
碧がゆっくりと振り向く。
鋭い視線が、まっすぐわたしを射抜いた。
「友達だったら、隠す理由ないし……」
間を置いて、さらに一言。
「男が来てる?」
心臓がドクンと跳ねた。
息を飲んだまま、何も言えない。
部屋の空気が一瞬で張りつめた。
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