第19話 え……誰?

 会議が終わり、フワフワした足取りのままの田島と一緒に第2開発課へ戻った。

 デスクに座る間もなく、すぐに森下と有村が駆け寄ってくる。


「杏先輩! 三十周年記念プロジェクトのメンバーに選ばれたんですね!?」

「先輩も田島さんも凄いです~!」


 目を輝かせるふたりに、私は思わず瞬きをした。

「え、もう知ってるの?」

「はいっ! さっきSlackで通知が来たんですぅ!」

「“三十周年記念プロジェクトM発足のお知らせ”って!」

「え、そんな早く!?」

 田島が口をあんぐり開ける。


 たしかに、会議中にスマホが何度か震えていた気がする。

(あれ……Slackの通知だったんだ)

 わたしたちがキックオフミーティングしている間に、もう社内全体に共有されていたらしい。


 そんな状況を知ってか知らずか、田島は鼻の下をこすりながら得意げに笑う。

「いや~、俺もまさかだったわ。会社が誇る精鋭たちの中に俺がねぇ!」


「もー! 調子乗らないでよ、田島。ちゃんと頑張んなさいよ!」

「ふんス! 俺だってやるときはやる男だから!」

 鼻息荒くドヤ顔を決める田島に、有村が吹き出した。


 そんな掛け合いに笑いながら、私は肩をすくめた。

「いや、わたしも……正直、なんで選ばれたのか自分でもわかんないよ」


「またまた~。いつも私たちのフォローしてくれてるの、先輩じゃないですか」

 森下がさらりと言ってくれて、胸の奥がじんわり温かくなる。


「そうかな……ありがとう」

 照れくさく笑いながら、話を切り替えた。

「それで急で悪いんだけど、来週からプロジェクトMに専念することになるの。

 今週中に、わたしと田島の担当業務を引き継がせてもらうことになるけど――」


「もちろん! 任せてくださいよ!」

 森下が胸を叩いて笑う。


「わたしも~。出来る範囲でお手伝いしますぅ」

 有村ののんびりした声に、空気がふんわりと和んだ。


 そこへ、いつの間にか安東課長が近づいてきていた。

「おっ、三枝さん、田島くん。二人とも、おめでとう!」

 温厚で人の好い笑顔を浮かべながら、課長は軽く頷く。


「引き継ぎについては私の方でも調整しておくから、安心してプロジェクトに専念しなさい」

「ありがとうございます、課長」


「わが社の命運を賭けた一大プロジェクトに、第2課から二人も選ばれるなんて――私も鼻が高いよ」


 課長は得意げに胸を張り、にこっと笑った。

「鼻たーかだっか!……なんちゃって」



「…………」

 

 一瞬の沈黙。

 森下が「……え、いまの……は?」と首をかしげ、

 隣の有村がぽやんとした顔で首を傾げた。


「ん~~? ……なにかの呪文ですかぁ?」


 その天然すぎる一言に、思わず吹き出しそうになる。

「有村、それ多分ギャグ……」

 苦笑しながらフォローすると、課長が「あはは、いやあ、昭和世代のギャグでね!」と照れ笑いを浮かべた。


 場が緩んで、みんなの肩から力が抜ける。


 ――この穏やかな空気。

 この人が上に立ってくれているから、第2開発課はいつも平和なんだと思う。


 

 * * * * * *


 「来週から杏先輩と田島、神谷課長と別室に缶詰になるんですよね!」

 森下のひと声で、急きょ仕事終わりに「壮行会(?)」が開かれることになった。


 場所は駅前の居酒屋。木目調の個室に通され、テーブルの上には枝豆とお通し、そしてビールのジョッキや、カクテルのグラスが並ぶ。


「来週から寂しくなります~」

 有村がグラスを両手で持ちながら、しゅんとした声を出した。


「たまにはランチでも一緒に行ってくださいよ、先輩」

「もちろんだよ」

 そう笑いながら、グラスを軽く合わせる。


「いや~しかし。プロジェクトメンバーに選ばれたのは光栄なことっすけど……」

 田島がビールを一口飲んでから、深いため息をついた。

「気が重い……俺、神谷さん怖くって……」

「あの人、俺が何か言うたんびに睨んでくるッスよ!

 先輩! 俺をあの氷の視線から守ってくださいねええ!」

 テーブルに身を乗り出してくる田島。


「う、うん。もちろん」

 と返しつつ、(確かに……)と思う。

 わたしも神谷とはどうにもそりが合わない。

 そしてなぜか、あいつは田島には特にあたりが強い気がする。

 お調子ものでドジっ子の田島と、俺様気質で完璧主義の神谷。

 ――水と油、とはまさにこのこと。


 そんなことを考えていたら。


「え~~! 神谷さん、優しくないですかぁ?」

 有村ののんびりした声が響き、場の空気がピタリと止まった。


「そんなこと、みじんこ足りとも思ったことないわ……」

 つい口をついて出た言葉に、向かいの田島がブンブン頷く。


 けれど有村は気にする様子もなく、マドラーをくるくる回しながら話を続けた。

「この間~、市場調査から戻ったときに社員証が見つからなくて、玄関ホールでおろおろしてたら、

 ちょうど神谷さんが通りかかって、一緒に探してくれたんです~。

 結局スカートのポケットに入ってたんですけど、見つかって良かったな、って。

 頭ポンってして微笑んで去っていったんです~。わたし、しばらく見とれちゃいました」


「「え……誰?」」

 私と田島の声がぴったりハモった。


 一緒に社員証を探して「見つかって良かったな」って頭ポン??

 あの神谷が? どの神谷が??

 全く想像できない。


 わたしと田島は顔を見合わせて「???」の顔になる。


「神谷スマイルですね」

 と森下が箸を置いて説明を始めた。

「第一開発課の女子たちの間で有名なんですよ。

 普段は近寄りがたい神谷課長が、何かの拍子にふっと笑うことがあるらしくて。

 そのレアさから“神谷スマイル”って呼ばれてるんです。伝説級のシチュエーションなんですよ」


「伝説級て……」

 田島が脱力したように笑う。


 その伝説級の神谷スマイルを――有村には見せている?


「えっ、有村……他にも神谷に優しくしてもらったりしたことあるの?」


「ん~~、何度かあってぇ。

 新人研修のとき、社内で迷子になっちゃってウロウロしてたら、神谷さんが気づいて案内してくれて。

 “頑張れよ”って微笑んでくれたんです~」


「……」

「……」

 田島とわたし、また顔を見合わせる。


 それは、次々に出てくる神谷の知らない顔だった。


「明らかに俺らと待遇が違い過ぎるwww」 

「神谷課長、有村ちゃんみたいな子が好みのタイプってことかもですね」


 なんてわかりやすいんだろう。

 神谷の弱点が、まるでスポットライトみたいに浮かび上がる。

(なるほどね……癒し系で、ほんわかしてて、しかも巨乳の若くてピチピチの可愛い子が神谷のタイプ…!!)

 ――神谷も所詮は人の子。

 いけすかない俺様男の弱点を握ったようで、私はついニヤリとしてしまった。




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登場人物紹介(桜文具株式会社編)

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桜文具株式会社

創業29年の文具メーカー。

若手からベテランまで幅広い人材が活躍しており、

今年は創立三十周年を記念した大型プロジェクトが始動した。

 

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◆ 企画・開発事業部

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◇ 第1開発課(大型案件を多く手掛ける精鋭部隊)

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課長 神谷 迅かみや じん(35)

 杏の同期でエリートコースを歩む俺様タイプ。口が悪いが実力は確か。


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◇ 第2開発課(小規模案件・既存商品のリニューアルなどを担当するアイデア勝負の課)

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課長 安東 幸雄あんどう ゆきお(46)

 穏やかで人柄が良く、部下からの信頼も厚い。

 たまに放つオヤジギャグは世代ギャップが激しく、

 課内を一瞬で静まり返らせる威力を持つ。


主任 三枝 杏さえぐさ あん(35)

 本作の主人公。温厚で面倒見がよく、仕事熱心なオトナ女子。

 つい人の世話を焼きすぎてしまうところがある。


森下 亜衣もりした あい(27)

 入社5年目。しっかり者で杏を姉のように慕う。


田島 郁斗たじま いくと(26)

 森下と同期。ドジっ子でお調子者だが、アイデアセンスはピカイチ。


有村 由莉ありむら ゆり(23)

 天然癒し系の愛されキャラ。

 マイペースだが仕事は意外と器用で、男性社員人気No.1。

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