第14話 英雄に勝っていた男

「セラフィナ、口を慎め」


 皇帝の声が低く響いた。

 その瞳には、娘の奔放さへの苛立ちが滲んでいた。


「アマンスはただの囚人ではない。帝国の未来を左右する存在だ。戯れにペットなどと口にすることは許されん」


 ヴェルナーも、静かに口を開いた。


「姫様。あなた様の才覚は帝国の誇りですが、今は慎重さが求められる局面です。  そのような発言は、帝国の威信を損なう恐れがあります」


 帝国の重鎮たる二人の重い言葉。

 しかしセラフィナは、扇を口元に当てながら、くすりと笑った。


「まあまあ、父上もヴェルナー卿も、そんなに眉をひそめないで。私がただの気まぐれでここに来たと思って?」


 皇帝が目を細める。


「……何を言うつもりだ」


 セラフィナは、ゆっくりと会議室を歩いた。

 その足取りは、まるで舞台の中心に立つ女優のように堂々としていた。


「帝国と王国の大戦が勃発していた頃……私は、帝国南東の山間地に赴いていたのですわ。ご存じですの? ヴァルゼ族。あの地図にも載せづらい奥深くに潜む、厄介な独立民族」


 幹部たちがざわめく。

 皇帝とヴェルナーの表情が、明らかに変わった。


「まさか……」

「ええ。彼らは王国との戦争を好機と見て、帝国の補給路を狙っていましたわ。だから、私が行って、少々の武力と平和的な優しい交渉で……平定してきましたわ!」

「な、なんだと! 平定しただと!? ……単独で?」

「もちろん。護衛は最小限。だって、あまり大人数で行くと、彼らはすぐに逃げるもの。それに、私の顔を見れば、少しは話を聞く気になるかと思って」


 その言葉に、皇帝とヴェルナーの顔色が変わった。 幹部たちは一斉にざわめき、数名は椅子から転げ落ちそうになった。


「……待て。セラフィナ、お前は帝都を離れていたのか!」

「ええ、そうですわ。三日前から。父上が王国との戦争に夢中になっていたから、少しだけ自由行動をさせていただきましたわ」

「勝手に動いたのか……!」


 皇帝の声が、雷鳴のように響いた。

 その顔には、怒りと驚愕が入り混じっていた。


「帝国の皇女が、許可もなく軍事行動を起こすなど前代未聞だ! しかも、ヴァルゼ族だと!? あの連中は、帝国軍が何度も討伐に失敗してきた相手だぞ!」


 ヴェルナーも、顔を青ざめさせながら言葉を継いだ。


「姫様、なんということを! 奴らは地形を利用した奇襲に長け、交渉も通じず、帝国の補給線を何度も寸断してきた。それを……姫様が、単独で……?」


 セラフィナは、涼しい顔で扇をひらりと振った。


「ええ。少し話して、少し叩いて、懲らしめてあげて……最後は優しく微笑んであげましたわ。それだけで、彼らは糞尿垂れ流しなが………コホン、『降伏します』と言い出しましたわ……あら、そんなに驚くこと?」


 皇帝は、拳を握りしめたまま、言葉を探していた。怒りは確かにあった。


「我が軍が……何年も手を焼いてきた相手を……アッサリと……平定したと……セラフィナ、貴様は……」


 だが、それ以上に、敗北感があった。


「はい、父上。私は帝国の安定に貢献しましたわ。ですので、褒美をいただきたいの。可愛い『おもちゃ』を一つ。例えば……アマンスなんて、ちょうど良さそうではありませんの? たかが敗戦国の将一匹……お得ではないかしら?」


 会議室が、再び凍りついた。

 ラヴィーネは、思わず息を呑んだ。


「ねえ、ラヴィーネ、あなたはどう思いますの? アマンスという男はブ男? それとも端麗なのかしら?」


 セラフィナが、にこりと笑って問いかける。 

 ラヴィーネは、言葉を失ったまま、ただ彼女を見つめていた。

 その瞳には、確かに好奇心と、支配欲が宿っていた。


「特に容姿が醜いわけではないと思います」


 ラヴィーネはセラフィナの問いに無視することもできず、静かにそう答えた。

  その声は淡々としていたが、内心では警鐘が鳴り響いていた。

 セラフィナは、満足げに微笑んだ。


「なら、見もしないで首を刎ねるのは勿体ないですわね」


 その言葉に、会議室の空気が一瞬止まる。


「せっかくだから案内してちょうだい、ラヴィーネ。今すぐに」

「……今すぐ、ですか?」

「ええ。噂では聞いていたけれど、今も噂になっていますわ。何より――」


 セラフィナは、意地悪な笑みを浮かべながら大げさに、そしてわざとらしく言葉を続けた。



「何よりも、『横槍が入らなければ、あの帝国の英雄にして勇者とまで称えられたラヴィーネが負けていたほどの強さ』だとか。『帝国が揉み消していた真実』、だったかしら? 騎士の誇りを穢した恥ずべき行為を醜い豚たちが覆い隠しているようですけれど♪」



 その言葉に、幹部たちは居心地悪そうに顔をそらした。誰もがその話を知っていた。だが、口にすることは禁忌だった。

 そして、ラヴィーネは合点がいった。


(そうか……この方がアマンスにどうして興味を持たれたのか……それが理由……)


 ラヴィーネは、表情を変えずに頭を下げた。


「ま、まさか……姫自ら監獄に?」

「そんな……あのような場所に、姫様が?」

「陛下、これはさすがに……!」

「お待ちを、姫様!」


 幹部たちがざわめき始める。


「誰を諫めているの? 黙りなさい」

 

 だが、それをセラフィナは一喝して黙らせる。

 流石に皇帝は声を荒げた。


「セラフィナ! 貴様、何を言っている! 帝国皇女が、囚人の監獄に赴くなど、前代未聞だ! 」


 だが、セラフィナは一切動じなかった。  

 扇を閉じ、優雅にラヴィーネへと歩み寄る。


「父上。前代未聞だからこそ、価値があるのではなくて? それに、帝国の英雄が案内してくれるのなら、何も問題ないでしょう?」


 ラヴィーネは、皇帝とセラフィナの間で視線を揺らした。どちらの命令を優先すべきか。


(どうすれば……陛下の命令は絶対。でも、この方は……)


 その思考を遮るように、セラフィナがラヴィーネの腕を掴んだ。


「さあ、行きましょう。あなたの『敗北の記憶』を、私の目で確かめてあげますわ」

「ひ、姫様!」

「セラフィナ、待て!」


 皇帝の声が響くが、セラフィナは振り返りもせず、ラヴィーネを引き連れて会議室を後にした。

 扉が閉まる直前、ラヴィーネは一度だけ皇帝を振り返った。その瞳には、困惑したままだったが、どこか「止められない」ことへの諦めもあった。


(……仕方ない……か)


 扉が閉まり、ラヴィーネも観念した。


「……ご案内いたします」

「ふふ、素直でよろしい」


 そして、その言葉にラヴィーネは美しく微笑んだ。


「私のラヴィーネに勝っていただろう男……アマンスという男。どれほどのものか、一目見てあげますわ」


 帝国の英雄と、帝国の姫。

 二人の足音が、宮殿の石畳に響く。

 そして二人はアマンスの元へと行き、物語は再び動き出す。

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