瓦礫の街の金の檻 第2章 ~ドレスデン1947~
美冬
第1話 新しい生活
「ああ、忙しい……疲れた……」
頭の中はこの言葉ばかりだ。もう一か月もバイオリンを弾いていない。図書館で借りて読みかけの本も、読み終わらないうちに返却期限が来てしまう。毎日疲れて疲れて、きつい、だるいと繰り返してしまう。
1947年5月、ドレスデンに来てから2か月がたち、日は長く初夏の気候だ。リーザ・ノイマンは今日も仕事の帰りに保育園へ子供を迎えに行き、長い列に並んで配給品を受け取ってから家に帰る。家は夫の職場からあてがわれた官舎だった。エレベーターのない古い集合住宅を3階まで上がり、鍵を回し重いドアを開ける。夫は帰っているはずもない時間だ。
「エド、一人で遊んでおいてね。お母さんは洗濯物を取り込んでくるから」
子供を一人家に放り込み、荷物を玄関に置いて、地下の共同物干し場へ向かう。昨夜は地下室の共同の洗濯機置き場でたくさん洗濯しておいた。地下室はボイラーの熱でよく乾くのだ。自分の家の分をまとめて持ち帰り、とりあえずソファの上に置く。台所の水切りかごから、もう乾いている朝食の食器を食器棚にしまう。それから夕食の準備だ。パンとハムを切り分けたら、冷蔵庫の作り置きのスープを温める。洗濯物も畳まなければいけない。少しでも暇があれば、仕事場で中途半端になってしまった企画案の続きをやりたい。ああ、もう少し、1日があと1時間でも長ければ……そんなことばかり考えてしまう。
毎日毎日、まるで女学校の時間割のように決められた生活だった。
5:00起床 朝の配給に並ぶ
6:00帰宅 夕食の皿を片付け、朝食の用意
ここでやっと夫アレクサンダーが起きてきて、エドゥアルトを起こす
家族で朝食、片付け
7:15出発 途中エドゥアルトを幼稚園へ送る
8:00勤務開始
デザインを描く、企画の会議、サンプル作成、工場との打ち合わせ
販売先との打ち合わせ、試作品のチェック……
12:00頃 仕事場から支給される昼食をかきこむ
午後も同じように仕事をこなす
16:00勤務終了 幼稚園へお迎え 買い物 配給の長い列に並ぶこともある
待ち時間にこどもの今日一日の話を聞く
17:30帰宅 洗濯物の取り込み 朝食の皿を片付け
夕食の準備 洗濯物の片付け 新たな洗濯
19:00 ここでやっと夫が帰宅 家族で夕食
後片づけ、順番にお風呂
20:00 やっと一息つく こどもに本を読む、遊びに付き合う
夫は書斎で仕事の続き
20:30 こどもを寝かしつける
これがだいたい一日のルーティンだった。エリザベート・フォン・リヒテンラーデはリーザ・ノイマンと名前を変え、希望に満ちてドレスデンにやってきた。これでも自分はかなり頑張っていると思い込んでいた。だが、昼間仕事をし、帰宅後息つく暇もなく家事に追われる日々は、想像以上に体力を消耗した。慣れない仕事と家事、そして何が腹立つって、夫アレクサンダーは自分が家事の「主たる担当者意識」が皆無なことだった。声をかければ嫌な顔をせずに手伝ってくれる。だが、自分からは動こうとしない。こんなものなのか、男性って? では私が気づかなければどうなる?
占領ソビエト軍の憲兵であったアレクセイ・ペトローヴィチ・ジューコフ中佐は、陸軍からMGB(ソビエト連邦国家保安省)に転属となり、アレクサンダー・ノイマンというドイツ人に化け、ドイツ社会に潜入するという任を負っていた。これは占領ソビエト軍の交際禁止令という軍規に反して二人とも逮捕されて尋問され、あの恐ろしいアバクーモフ大臣から「二人で一緒にいること」というエサとの引き換えの潜入任務だった。アレクセイは表向きはドレスデン市役所で市長直属の復興担当官として、瓦礫の撤去計画や資材調達、新規の住居建設など多方面に渡り奔走していた。高度な専門知識、ソビエトの強力な後ろ盾により入庁2か月で、もうすでに一目おかれる人物になっているようだった。午後からは「出先」に行くという形で、SMAD(占領ソビエト軍司令部)に赴き、MGB内の仕事についていた。つまりアレクセイは二重に仕事をしているのだった。拘束時間も長いし、神経を使うことだろう。それは、エリザベートもよく理解し、彼を支えたいという思いもあった。しかし自分も同じように昼間働き、家の中のことをしているのだ。
エリザベートは、戦後国有化された服飾企業フォルクス・テキスタイル人民公社に入社し、婦人用作業服部門で働いていた。新しい社会主義の女性像として、これまでエレガンスだけを求められた婦人服ではなく、働く時に動きやすい衣服を企画し、作成していくのだ。仕事自体はやりがいがあったが、デザイン部チーフからの却下やダメ出しにへきえきしていた。
この日、エリザベートはエドゥアルトを寝かしつけ、やっと自由な時間が持てると思って子供部屋から出てきた。ダイニングテーブルで少し仕事の資料を見ようと思い、鞄を開けた。見るともなしに、書斎のドアが目に入る。市役所職員として宛がわれた、この集合住宅には独立した個室は3つ「しか」ない。夫婦の寝室、子供部屋、そして後の一つはアレクセイが書斎に使っていて、エリザベートも入ってはいけないと言われていた。MGBの秘密の仕事をしているのだ、そんなもの見たくもない、と彼女は思っていた。自分だけ個室を持っちゃって……とまた不満を心に浮かべてしまう。思い出すでもなく、かつてのグリューネヴァルトの豪邸が心に浮かぶ。彼女は自分専用のサロンや、仕立て屋と打ち合わせをするためだけの部屋さえ持っていたのだ。朝昼食と夕食ではダイニングルームは別だった。今の家は実家で彼女が専用にしていたスペースにすら満たなかった。
ああ、過去の優雅な記憶を消す薬でもないものか。仕立て屋が持ってくる布サンプルから、好きに選んで毎シーズン何着もあつらえていた娘時代。財布を持ち歩く習慣すらなく、百貨店の外商が持ってくる品物から値段も聞かずに購入していた日々。何も考えなくても、部屋はいつも美しく、服にはアイロンがかかっていた。
服を作る仕事がしたい、という希望は通った。しかし彼女はもっと楽しい服が作りたかった。服なんて、着てみて心がときめかないと何のためのものなのだろう。だが、入社時に欠員が出ていたのはこの部署だけだったのだ。作業服は極端なまでに装飾を廃し、動きやすいことだけが求められた。自分の好きなデザインの服が作りたかった。けれど企画会議でことごとく却下されてしまう。ここに来るまで、小さな借り店舗の奥でミシンを踏んでいた。自分の好きな布、自分の好きなデザイン。それを量産でき、街の人々に着てもらえたらどんなにうれしいだろうと思っていたのだ。しかし、大きな組織では形になるために幾重もの手順を踏むのだ。100の提案のうち、99は廃案になってしまう。ポケット一つ付けるかどうかも、コストとの戦いだった。
ひどく眠くなってきた。5時に起きているのだ。体は8時間の睡眠を求めているのだろう。一日のうち自由になる時間なんて30分ほどしかない。今日は寝てしまおうか……どうせ描いたって、またチーフから罵倒されて却下されるに決まっている。エリザベートは机にうつ伏せた。
「……リーザ、リーザ」
声とともに体が揺すぶられ、エリザベートは目を覚ました。ダイニングテーブルで眠ってしまっていたらしい。頭の下敷きにしていた腕がしびれていた。夫が起こしてくれたらしい。
「どうしたんだ、そんなに疲れているのか? ベッドに行ったほうがいい」
アレクセイはエリザベートに付き添い、寝室で布団をかけてやり彼女の髪をなでた。
「リーザ、君がつらそうにしていると、俺もつらいんだ。ここに来たことを後悔しているんじゃないかって、不安になってしまう」
「……後悔なんてしないわ、絶対に」
あの尋問の後でコズロフ中佐の言った、「必ず後悔する日が来る」という不吉な予言のような言葉を二人は思い出していた。
「私、ベルリンでは仕事といっても友達の店の手伝いだったし、元の使用人たちも同居していたわ。家のことも子供のことも分担してくれる人たちがいた。あなたの官舎のハウスメイドに行っても、ろくすっぽ掃除もせずに……普通に会社で、組織の中で働くのがこんなに疲れることだって知らなかったのよ。世の中を舐めてたわ」
「……仕事を辞めたいか?」
「そんなわけにはいかない!」
エリザベートは即答した。あの恐ろしい組織から送り込まれたのだ。会社の上層部はみんな私の「正体」を知っているのだろう。ソビエトの息のかかったドイツ人として。ここで逃げ出すわけにはいかないのだ。辞めたりなんかしたら、この潜入「作戦」が全部おじゃんになってしまう。これを引き受けるということで、自分たちは一緒にいられるのに。それに、新生社会主義のドイツでは専業主婦なんて怠け者扱いなのだ。ナチス政権下でなんの学歴も職業教育も受けられなかった女性たちは、どうやって生きて行けというのだろう。
「ごめんなさい、あなたのほうがつらいわよね」
自分はドイツ人で、普通に祖国で生活できているのだ。だが、アレクセイはロシア人でありながら、ドイツ人に化けているのだ。ロシア風の習慣や風習をすべて捨てて、ドイツで生活しているのだ。かなりのストレスがたまるだろう。
「俺はそんなに疲れてないんだ。たぶん基礎体力が違うんだろうな。夕食のスープを作り置きするくらいで、家事をした気になっててすまなかった。明日からは朝の配給もエドゥアルトを送っていくのも、朝食の用意も全部俺がするよ。夕方は君のほうが早いから、どうしてもまかせることになってしまうけれど……君は朝ゆっくり寝て体力を回復させるといい」
ロシア風の習慣……ここへ来て一か月ほどたったとき、アレクセイが「夕食に温かいものがほしい」「少しは違う副菜が欲しい」と言い出して喧嘩になったのだ。どうもロシアでは夕食にスープや煮物といった温かいものを、毎日日替わりで食べるらしかった。ドイツでもロシアでも朝食は冷たいものだけで、昼食には温かいものを食べた。ところが夕食だけは風習が違った。ドイツでは時間に余裕のある土日以外は、いわゆる「冷たい夕食」であり、ほぼ同じメニューなのだ。エリザベートも、実家でもグリューネヴァルトでも温かい夕食を食べてはいた。それらは使用人が用意し、使用人が片付けるのだ。彼女は出されたものに文句を言わず食べていたに過ぎない。今の生活で温かいものを出すということは、彼女の負担増に直結するのだ。
これ以上の家事負担の増大にエリザベートは反発し、結局アレクセイが日曜日に夕食を作るついでに、いろいろと作り置きして冷蔵庫に保管し、それをエリザベートが毎日組み合わせて使うということに落ち着いたのだ。
日曜日の夕方、包丁を持つアレクセイの手際を見ていると、エリザベートは落ち込んでしまった。花嫁修業程度にしか料理を学んでこなかった自分とはまるでレベルが違うのだ。
「士官学校では一通りの調理を習うんだ。軍隊では自給自足ができるようになるし、戦時中はなんだってやってたからな。ガスも電気もない場所で、川の水を使ってキャンプみたいに野営してたんだ。そういうのって、意外とおいしいんだよ」
そして今までロシア料理なんて食べたことのなかったエドゥアルトも「おいしい、おいしい」といって食べたのにも衝撃を受けた。自分はこの人に能力でも体力でも敵うことはなく、この上家事能力でも負けてしまうのだ。そして、そのことは近隣の人や幼稚園の先生にまで知られてしまう。
「だめよ、そんなこと。配給の列も幼稚園の送迎もお父さんたちは誰もいないわ。あそこの奥さんは何してるんだって、私が責められるのよ!」
エリザベートは両手で顔を覆った。戦争でたくさん男性が亡くなったから、女性も社会に出て働けといわれても仕方がない。それが新生社会主義ドイツだというならなじもうと思ってここに来た。けれど、家事や家の管理は変わらず女の仕事なのだ。それが社会の常識であり、慣習に反したときに責められるのは女性なのだ。
「あなたが夜中まで仕事をしているのは知っているわ。その上早起きまでなんてしてもらったら、そんな、そんなこと頼めない!」
「リーザ、リーザ、落ち着いて」
アレクセイの手でエリザベートの両手は難なく顔から離された。乱れて顔にかかった彼女の金髪を、彼の手がかき上げた。
「他の人がどう思うかは気にしないでくれ。とりあえず明日は俺が配給に行ってみるから」
「でも、ドイツ人らしくないって疑われたら?」
「新生ドイツ人の模範になるさ。俺が第一号になったら、続く男性も出てくるかもしれない」
エリザベートはクスリと笑った。
「そうだ、笑っていてくれ、リーザ。この街で一緒に暮らせる、それだけで俺は幸せなんだ。さあ、他には何がつらい? 全部言ってみてくれ」
「……チーフがきつい」
「チーフ? 上司かい? 君にだけきついの? みんなに?」
「フレデリカはみんなにきついわ。すぐにキャンキャン怒鳴るのよ。みんなが一生懸命考えた提案の紙を、人の前で破ったこともあるくらい。みんなから嫌われてると思う」
「……そうか。それはちょっと対応を考えよう。さあ、今日はもうお休み」
アレクセイはエリザベートにお休みのキスをして部屋から出て行った。エリザベートは暗闇の中で目を閉じた。さすがにこんなに疲れている自分に対して、あの絶倫夫も今日は「夫婦生活」を求めてはこなかったな、と安心する。あれをすると30分睡眠時間が減ってしまう。ああ、あんなに幸福感につつまれていたアレクセイとの情事まで、今では睡眠を妨げるものになってしまったなんて……土曜日の夜だけでいい、とすら今では思っていた。週に何度も会い、官舎に通った時は日に二度もアレクセイに求められ、女として至上の幸福を味わっていたベルリンの日々は遠くなっていた。
自分は何をしても中途半端になってしまう。音楽大学にも行けず、教師にもなれなかった。女性は家庭にいろと言われた第三帝国時代は、自分にとって都合がよかったのだ。
どうしてアレクセイは何でもそつなくこなしてしまうのだろう、と落ち込んだ。彼は貧しい農村に生まれたと言っていた。子供のころ両親が亡くなり、親戚の家で育ち、学費が無料の士官学校に進学したと。出会った時、憲兵隊の若き少佐だったアレクセイ。そこまで到達するのにどれほどの努力をしたのだろう。ああ、自分の足で立つということは、こんなにも難しいことなのだ。では……戦争で夫を亡くした人たちはどうやって生きているのだろう。
違う、これは後悔じゃない、とエリザベートは心の中で叫んだ。私は労働に慣れておらず、ちょっと疲れているだけなのだ。もう今日は何も考えず、眠ってしまおうと彼女は目を閉じた。
翌朝ゆっくり眠ったエリザベートは、アレクセイの用意した朝食を食べ、すっきりした気持ちで職場に向かった。作業服部門の机につくと、いつも早く出勤しているチーフ:フレデリカがいないことに気づいた。同僚たちはみんな押し黙っている。隣の席のマリアに話しかけてみる。
「ねえ、何かあったの?」
「しいっ! チーフが飛ばされたらしいのよ」
「え? どこに?」
「地方の工場らしいけれど。なにか反体制的な問題があったらしくて、再教育だとか」
「……」
え? これって偶然? 昨日の今日で? 夜中のうちにアレクセイが何か手を回した? 市役所の復興担当部とフォルクス・テキスタイルに何の関係がある? いや、そっちじゃない。占領ソビエト軍司令部から何かした? まさか一企業の人事にまで口を出せる? 偶然であるはずがない。彼が何かしたに違いないのだ。エリザベートは昨日自分がぐちったことでこんなに大事になったのだろうかと、ぞっとした。
午後からは各社員に対して人事課長から面談が入った。フレデリカの人間性や嫌がらせなども聞かれたが、大きくは今後の希望を調査することだった。
「ノイマンさんは、入社時点の希望では婦人服か子供服のほうに行きたいということでしたね」
「はい。できればマタニティウェアや乳幼児服の製作にかかわりたいです」
エリザベートは入社時の面接のような受け答えをした。
「すばらしいですね。戦争でたくさんの方が亡くなったので、国策としても多産を推奨していますし、展望のある分野です。現在その部門は独立してはいませんが、会社としても設立を考えていきたいところです。ところで、あなたは再婚したばかりと入社時に聞きましたが、お子さんは考えてはいないのですか?」
「あ……もちろん考えてはいます。妊娠・出産しても仕事は続けられると聞きましたが?」
「もちろん続けられますし、産休などの制度もあります。今後は平和な時代となり、社内の妊婦も増えていくと思います。マタニティ服部門は妊娠した女性や小さな子供のいる方を優先して配属してはと思っているんですよ」
子供か……帰り道、エリザベートはエドゥアルトの手を引きながら、妊娠について考えていた。エドゥアルトを妊娠することについて、彼女は何の疑問も抱いていなかった。私とジークフリートはナチス時代に推奨された金髪の夫婦だった。そして金髪の子を産んだ。だが、アレクセイとの子となると、おそらく金髪の子は産まれるまい。
1年前、カウフマンの葬儀の後、ギゼラから言われたことが心をよぎった。ルッセンキンダー(ロシア人の子という意味、ここでは占領ソビエト軍将兵による強姦で出来た子の意)を産む覚悟はあるのですか?と。あの人との間に産まれる子は混血児であり、ロシア風の外見を持つのだろうか。
私はすべてを捨て、ここに来た。名前さえ捨て、友人や家族との連絡も取れなくなった。ただ、アレクセイと一緒にいたかったから……彼自身も、陸軍で積んできたキャリアを捨てて、MGBという組織にとらわれてしまった。彼女の命を助け、これからも共に人生を歩むためにアバクーモフの配下になったのだ。ただ、今のこの時間的にカツカツの生活で乳児なんて育てられるのだろうか。
「リーザ、エド!」
後ろから呼ばれ、振り向くとアレクセイがいた。鞄を持っているから、退勤したのだろう。
「お父さん!」
エドゥアルトが駆け出し、アレクセイに飛び付いた。
「お父さん、早いね。どうしたの」
「エドと遊ぼうと思ってな。ボールがいいか? 模型遊びにするか?」
こどもは喜び、跳び跳ねた。義理の子をこんなに可愛がってくれるのだ、実の子ならどんなに子煩悩の父親になるだろう。まだ夕焼けにもなっていない明るい時間帯だった。3人は手をつないで歩いた。
「お父さん、何か不思議な匂いがするよ」
「ああ、これな」
アレクセイは手に持った袋をエドゥアルトの顔に近づけた。
「珍しい南方のスパイスをもらったんだ。今日の夕食に使ってみようかと思ってな」
「へえ、楽しみだね」
この人、夕食まで作る気なのだろうか、とエリザベートは思った。しかしそこまでされては、自分が何のためにいるのか存在意義までなくなってしまいそうなので、エリザベートはせめて自分が料理をしようと思った。
「あ、じゃあ作り方教えて。どの野菜と合わせたらおいしいかしら」
「ベルリンのころのように一緒に作ろう、リーザ」
そう言ったアレクセイのほほ笑みを見て、エリザベートは幸福を実感した。ひとめを避けて、アレクセイの官舎にハウスメイドとして通った日々。抱き合って眠り、二人で昼食を作った日々。コーヒーを炒ってくれた貴方。今は誰はばかることなく夫婦として、こうして明るい道も歩ける。コズロフ中佐、予言ははずれたわ。私たちはこんなにも幸せなんです。後悔なんて絶対にしないわ。エリザベートは今朝のフレデリカのことを、アレクセイに聞こうかと思っていた言葉を飲み込んでしまった。
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