八話
走り出したシルエイティの中で、真子は離れて行く財前家をサイドミラー越しから眺めていた。
完全に見えなくなった時、隣に座っていたヒスイが微笑みを浮かべる。
真子も釣られて笑い出してしまった。
「あははは!」
ヒスイは顎に手を添えながらチラリと彼女の方を見る。
「先ほどの別れのセリフ、素晴らしかったですよ。きっと、姐さんも誇らしいと思ています」
彼のセリフに真子は呆れた顔をした。
彼女は顎の下に手を入れる。次の瞬間、真子の顔は剥がれ、中から可愛げのある少年の顔が現れた。
「何言っての。姐さん」
現れたのは見たものを皆、女の子だと騙してしまいそうな少年。
変装とハッキングの天才ツグモだった。
彼は窓のヘリに寄りかかりながら、姐さんと呼んだヒスイの方を見る。
「……」
ニコニコと張り付いた笑みを文字通り剥がす。
中からストロベリーブラウンの髪を団子にまとめた竜胆真子が現れた。
彼女の頭には可愛らしくぴくぴくと動く猫の耳がついている。
「そのカチューシャよく出来てるね」
「えぇ、壁越しの音も拾ってくれる便利な道具よ」
財前武司を呆気に取らせたから、牽制の効果もあるみたいと言いながら猫耳を外す。
「にしても、わざわざ僕が変装する意味ってあったの?」
ツグモは真子に変装して、パーティーに参加したが、結局、合流して出て来てしまったら、意味がなくなってしまうのではと疑問になってしまう。
真子は笑みを浮かべて答える。
「当然よ。わたしのアリバイ作りの為にも必要だったもの。それにパーティに潜入するならうってつけの席でしょ?」
彼女の言葉に肩をすくめるしかない。
パーティの料理をあまり食べれなかったのはとても残念だったからだ。
ツグモは履いていたヒール脱いで楽にする。
「それで、お宝のアクアマリンのブレスレットは手に入ったの?」
「えぇ、当然」
彼の問いかけに真子はシャツのボタンを片手で器用に外す。
首元から黒いラバーと煌めく水色の宝石が輝いていた。
ピンポン玉程大きな水色の宝石にツグモは目を引かれてしまう。
「そんなに見ないでよ。恥ずかしい」
シャツを上げて覆い隠す真子。
ニンマリとイタズラな笑みを浮かべている。
彼女の視線にツグモは慌てて否定した。
「別に僕は姐さんのむ、わあ!」
突然、車内が揺れる。
真子が話を遮る様にハンドルを揺らしたのだ。
彼女はクスクスと笑いながら謝る。
「ごめんなさい、からかっただけよ」
車の端で丸くなりながらツグモはグヌっと眉間に皺を寄せて真子を睨む。
(酷い……)
心の中で呟いた。
「本当に助かったわ」
真子は改めてお礼を言う。
「私に変装してくれて助かったのは事実よ。カイやヒスイじゃ出来なかったし、あいつらは柄でもないから」
まっすぐな言葉で言われると妙にこそがゆく感じる。
ツグモは頬を赤くしながらうなずいた。
「まぁ、美味しいもの食べれたし……快適な生活もできた……何より楽しかったから」
「ははは! それは良かったわ。なんなら……」
言いかけた直後、バックミラーに光が映る。
真子は口をつぐみ。
バックミラーに睨みを効かせた。
黒塗りのセダンが五台追いかけて来ている。
逃がさないぞ! と言わんばかりに近づく光。
「追ってか!」
慌てるツグモに対して、真子は極めて冷静だった。
ため息を吐いてから、ボソリと呟く。
「掴まっていなさい。飛ばすわよ」
聞き漏らしそうな声に一瞬冷や汗が出る。次の瞬間、ゴーゴーと轟くエンジン音と共にツグモの体は後ろに押さえつけられる。
暗闇に包まれて、一寸先も見えない峠を高速で走り出したのだ。
「ひっひえええ!」
思わず情けない悲鳴が出る。
けたたましいエンジン音と心臓が激しく鳴り響く。
目の前にガードレールの白い太線が見えた。
(ぶつかる!)
そう思った瞬間、車から放り投げられそうな遠心力がかかる。
ツグモは窓に張り付いてしまった。
タイヤの甲高い叫びと共にシルエイティは曲がって行く。
今のが、ドリフトだと、ツグモが気づいた時には次のコーナーの中、振り回されていた。
彼女の運転に意識が飛びそうになる。
もう少し安全な運転をしてくれないか、と真子に言おうと思った。
これでは捕まる以前にいつか、事故ってしまう。
そう思い彼女の方を向く。すると、左カーブに差し掛かった所、シフトチェンジを流れる様に行い、ブレーキとアクセルを心地よく踏みこなす。
一寸の狂いないハンドル捌きをする真子の姿があった。
延伸力に振り回されるツグモに対して彼女は片手間に肩を押して抑える。
「邪魔よ」
どけられたツグモは何も言えず、小さく振り回されない様にドアのミゾとシートベルトにしがみ付くのだった。
コーナーを曲がり切った彼女は速度を落とさずに進み続ける。
狭く、暗く峠を高速で走るシルエイティをまるで体の一部の様に操っていた。
彼女のスピードについていけなくなったセダンの追跡者たちは次々に速度を落とすか、スリップでぐるりと車体を回して止まって行く。
ついには最後の一台のみになってしまった。
これさえ、振り切れば逃げ切れる。
だが、最後のセダンも負けず劣らず真子のシルエイティに着いてきた。
後ろを振り返ると警備員の男と隣に浮吉の姿があった。
険しい顔で何かを騒いでいる。
「しつこいわね……」
ジト目になりながら真子は呆れてしまう。
「仕方ない、プランBで行きましょう」
彼女はクスッと微笑みながら窓を開ける。
出遅れてしまった警備員の男だったが、急いでシルエイティに追いついた。しかし、あと少しの距離で一向に近づけずにいる。
「何をやっている! ぶつけて止めればいいだろ」
助手席の言葉に耳を疑った。
(正気か? 下手したらこっちが死ぬんだぞ!)
浮吉は先程からずっと、カンカンに怒っていて、早く追いつけと騒いでいる。
だが、ぶつかりに行こうとしても、避けられてしまう。
操作を誤れば、事故ってしまうのは自分たちの方だ。
下手に出れない。
(こうなったら追って追って追いかけ続けてやる!)
緩やかな道になれば、こちらの方が早いのだ。
ハンドルを握る手に力が入る。
真っ直ぐな道に入り、ジリジリと距離を詰めて行く。その時、不意にシルエイティの窓が開いた。
チラリと何かが投げ出される。
次の瞬間、世界が白く輝く。
「うぉ⁉︎」
あまりの眩しさに思わずブレーキを踏んでしまう。
キーギギギッとタイヤが擦れる音と共にセダンは止まってしまった。
「閃光弾か、クソ!」
「何をやっているんだ! 止まってないで早く進むんだよ」
隣で騒ぐボンボンの言葉を聞き流しながら、警備員の男は眩んだ視界を少しずつ戻るのを待つ。
ようやく見える様になってから走り出そうとした。しかし、視界が元に戻った頃にはシルエイティは消えていた。
窓を開けて周囲の音を聞いても、真夜中の静寂の音しか聞こえない。
「消えた?」
「何を言っているんだ。道はこの先一本しかないんだぞ!」
隣の浮吉がボンネットを叩く。
警備員の男はどうする事もできず、途方に暮れていた。その時、遠くで夕暮れの様に空が色づくのが見えた。
ゆっくりと車を動かし見に行ってみる。
着いてみるとガードレールを突き破って、崖の下が燃えているのが見えた。
浮吉は、いち早く何が起こったのか気づき、指を鳴らす。
「ざまぁみろ! 僕をみくびるからこうなるんだ」
喜ぶ彼の姿は、警備員の男から見て、とてつもなく哀れに見えたが、本人は楽しそうである。
後処理に頭を悩ませる男の胸にあった無線が響く。
「……」
通信の内容に耳を疑った。
男はすぐに浮吉に知らせる。
「ボッちゃま、大変です」
「なんだ?」
「屋敷で問題発生です!」
「な、なんだって!」
「急いで戻りましょう」
状況が読み込めないまま、急いで車に戻り、降りてきた道を引き返す。
一方、財前家の方では怪盗シルエイティのせいで大騒ぎだった。
パーティーどころではなくなっている。
ばたつく会場をよく似た顔立ちの長身の男女が歩いていた。
彼らは双子だが、どちらが兄で妹あるいは、姉で弟なのか、決めていない。
カイは首を鳴らしながら隣に立つヒスイに尋ねる。
「ヒスイ〜ここを爆破させるんだっけ〜?」
「違いますよ、カイ。私たちは地下の金庫に向かうんです」
クスリと笑いながら、暴れ足りないカイを宥める。しかし、気持ちはよく分かっていた。
なにせ兄弟だから。
「ですが」
ヒスイはカイと目を合わせていった。
「私たちの計画を邪魔する者がいれば……」
その時、会場から離れ様とする不審者を追って、警備員の人たちがゾロゾロと集まってくる。
二人は大きく目を見開き、笑みを浮かべた。
「「ふふ……ふふふ……」」
セダンが峠を登って行く。
その横でひっそりと隠れる者たちがいた。
グレーの布と草木で青い車を隠していた真子とツグモである。
二人は追っ手が帰って行くのを見計らうと布をめくった。
「でも、上手く誤魔化せるもんだね」
相手の視界を閃光弾で奪い、自分達は先に行く。曲がり角を通った先で端っこのスペースに潜り込んだ。その後は用意していた布を手早くかけて岩肌に偽装する。
「あとは爆発して事故った様に見せる。視線誘導を使った初歩的なマジックねみたいなものよ」
使い終わったスイッチをカチカチと鳴らしながら真子は言う。
「あいつらの方も大詰めね。ツグモ、お願い」
彼女の言葉にツグモはニヤリと笑った。
目の前のダッシュボードからパソコンを取り出した。
立ち上げるとすぐに制作中だったプログラミングを実行した。すると、財前家の屋敷の防衛システムはダウンする。さらに財前家のネットワークから彼らの不正な記録が流失した。
警察が来るのは時間の問題だろう。
所で財前武司には多額のへそくりが隠されている。
屋敷の地下に宝石以上の防犯システムで守られていた。だが、ツグモの実行の合図と共にUSBを通じて金庫を守るシステムが停止した。
そこに顔がよく似た長身の男女が警備員を倒して階段を降りてきた。
応援を呼ぼうにも無線は奇妙な音が繰り返し流れている。
あの二人なら存分に暴れて、帰って来そうと思った二人はエンジンをかけ直し、ひと足先に帰ることにした。
ふと、彼女はエンジンキーを回す手を止める。
「ねぇ、ツグモ」
真子はハンドルに寄り添い、ストロベリーブロンドの髪を傾けて、ツグモの顔を覗き込んだ。
改めて尋ねる。
「もし、良かったらで、良いんだけど、これからもわたしたちと色んな物を盗んでいかない?」
ニンマリと笑みを見せる彼女の瞳は、どこか期待に満ちた様な表情で、見透かす態度や下に見る様な目ではなかった。
ツグモはそんなまっすぐな態度に言葉を失う。
椅子に寄りかかりながら口を開いた。
「僕はもともと、小銭を稼げればそれでよかった……仕事だって、人間関係だって、続けるのは面倒だったし、本気じゃないのにやり続けるのは虚無でしかない」
いろんな会社に入っていて、ずっと思っていたことだ。
自分の目的と周囲のギャップがツグモには後ろめたい物でしかなかった。
「今回のカーチェイスはジェットコースター見たいです面白かったけど……」
ツグモは言葉を濁してしまう。
「姐さんの隣に乗るのは正直、しばらく良いかな……」
あの不安を煽ぐようなエンジン音と振り落とされそうなドリフトの感覚は今でもツグモの足を震わせる。
走り屋の醍醐味を否定された様な気がして、口を開けてショックを見せる真子。
彼女に対して、ツグモは一息置いてから思いを伝えた。
「でも、こうやって盗むのも楽しいから、また、やりたい!」
少年は満面の笑みで答える。
「今度はもっと活躍してやるから!」
彼はそう言いながらペロッと舌を見せる。
怪盗シルエイティに新たな仲間ツグモが加わり、真子は嬉しくなる。
指先を丸め口元を押さえながら笑った。
「えぇ、楽しみにしているわ」
胸を張ってイキがる少年に期待の言葉をかけるのだった。
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