第16話

明け方、軒の下に立つ。灯りは低い。湿った砂に足が少し沈む。ハルトとの稽古が始まる。二人の影が並ぶ。


木がこすれて音が一つ出た。言葉は交わさず打ち合う。そろえて踏み出すはずが、足の裏で砂が鳴り、わずかに遅れた。刃先の停止が浅い。肩に余計な力が残る。


「間合いが甘い」


「はい」


呼吸を数え直す。五拍で吸い、五拍で吐く。次は肩を落として入る。胸の前に薄い壁を作り、腕だけを軽く走らせる。木が鳴き、音は短く切れた。刃の腹がわずかに揺れ、止めの角度が立たない。


まただ、と思う。護衛班への返事を決めかねている。意識と逆に体がわずかに固くなる。兄の木刀の焦げた柄の感触が指先に戻り、目の前の相手を一瞬見失った。握りが強すぎて音がこもる。いつもの位置に戻せばいいのに、指が強張る。打ちが浅くなり、足も半拍ほど遅れる。


「休め」


ハルトが合図を下ろす。砂の上で影がほどけた。湿りが抜けきらない土の匂いが立つ。


朝の列が組まれる。内庭の空気は冷たい。点呼の輪に木の札と、ろうで押した印が並ぶ。護衛長ハルトが横を通りながら、短く告げた。


「締め過ぎだ。呼吸が死ぬ」


ライアンは指をゆっくりほどき、巻いた布を緩める。布の目が指の腹に当たり、節が鳴る。札の角に触れると、表面の刻みは乾いて冷たい。手の汗が引き、握りの跡が薄く残った。


午前は街中で訓練を行う。護衛長ハルトの指示で列が動く。門を抜け、石畳の広場を斜めに渡る。角では歩幅を半分に落とす。坂は荷の向きを内側に少し寄せ、くさびを声で確認する。水売りの桶が道にかかる。先頭の若い隊士が先に右手を上げ、女は頷いて下がった。通りの角で、子ども連れの女が列に入ろうとする。ライアンは短く止め、手で距離を示す。子どもが指先で石を拾い、親の手に戻した。


列の間隔は手のひら一つ。歩度は四。靴が石の目を拾い、踵の釘が軽く音を打つ。狭い路地では片側通行に切り替え、荷車の車軸が縁を擦らないように角度をつけた。橋の手前で一度だけ立ち止まる。風が川面から上がり、帯の結び目が揺れた。


昼過ぎ、裏庭で手入れをする。木刀の布を外し、汗の塩を水で落とす。柄の木目に指が止まる。兄の木刀の焦げた柄を思い出し、握りの位置をほんの少しずらした。刃の縁に欠けがないかを見て、布で乾かす。手入れ帳に印をつけ、紐を結び直す。護衛班への返事はまだ出せない。日が経つほど、答えは遠くなる。


午後、短い走り込みが入る。内庭を三周。息が上がり、胃が熱くなる。止めの角度の確認。柱回りの旋回。内側の足を軸に、外側の歩幅を伸ばす。踵を半歩切って、振り返りの向きを保つ。木が鳴り、音は二度で止まった。汗が目に入る。袖で拭き、呼吸を五拍で整え直した。


夕方、道具を倉に戻す。側板の割れを指で確かめ、くさびの欠けを拾う。紐の結びを二重にして余りを内へ折り込む。滑車の油が冷えていて、金具が乾いた音を立てた。通りから屋台の声が流れ、空は薄い色に変わる。同僚が肩で軽く小突いた。


「おい、今日のお前、少しおかしかったぞ。何か考え事か? ハルト様がじっと見てたぞ」


ライアンは曖昧にうなずき、木箱の縁を一度なぞった。木の粉が指に残る。胸のざわめきは言葉にならない。呼吸を数え直し、道具の位置を整えた。小さな欠片を拾い、掌で粉をまとめ、桶に払う。


日が落ちると、倉で集合がかかる。監督兵が卓の前に立つ。手元に角笛がある。革が乾いて軽く鳴る。明かりはさらに絞られ、影は短い。書付が二枚、卓に出た。明朝の動きが記されている。


「明朝、フロントリアへの輸送だ。前後警戒は護衛班。列の間隔は手のひら一つ。声は近くに限れ」


「護衛以外も剣を持て。刃は抜くな。動きは短く合わせろ」


配分表が回り、荷の積み場と持ち場が決まる。ライアンは刻み目を指でなぞった。溝は冷たく乾いていて、爪が小さく引っかかる。兄の木刀の焦げた柄が胸で静かに当たる。布を巻き直すと、手の甲の汗が冷えた。


倉を出ると夜気が落ちる。遠い通りの響きは薄い。列の道具は所定の場所へ戻り、灯りはさらに低くなる。足跡は角で止まり、まだどちらへも向かわなかった。屋根の縁から水が一滴落ち、砂に丸い印が一つ残る。ライアンはその印を見てから、歩を返して宿舎へ向かった。息は静かに戻り、指の震えはやがて収まる。

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