第10話
夜明け前の鐘が二度鳴る。内庭に白い息が重なり、石畳の刻みに合わせて列が整う。王都補給隊の輸送隊として、今日も訓練に出る。木の名札を改め、名前が短く呼ばれた。
「実地訓練を始める。合図は角笛と手だけだ」
副隊長の声は乾いて低い。荷車は帆布を半分上げ、車体の板は固定ピンで留めてある。列は二列で門を出た。歩度は四、間隔は手のひら一つ。先頭の肩の揺れが目安になる。
東の空はまだ灰色だ。道は城下を抜け、緩い上りへ変わっていく。石の継ぎ目で車輪が小さく跳ね、肩で受けた力は背へ抜ける。息は五拍で吸い、五拍で吐いた。背のひもは一度だけ締め直す。
最初の課題は道直し。穴へ小石を入れ、粉を掃いて踏み固める。足跡は一度で薄くなり、通り道が小さく整う。角材で縁をならし、浮いた釘は木槌で一度だけ押さえた。
次は警戒の展開。合図で左右に広がり、荷車の前後に人を置く。視線は腰の高さで保つ。遠い物だけは追いかけない。影の向きで風を読み、片側通行の切り替えを想定して立ち位置を調整した。
角笛が短く鳴る。野道から二人が走り出て、棒で車体の板をコツンと叩いた。兵の演習だとすぐ分かる。列は崩れない。
「左、替え」
指の合図が落ち、前の若者が半歩退く。ライアンは前へ入った。木刀は布のままだが、棒の軌道を肩の高さの前で止めるだけなら届く。膝の向きを揃え、肩を落とす。
棒が車輪の縁を狙う。ライアンは足を斜めに置き、体重をかけて軌道を外へ押し出す。棒先が木に当たり、乾いた音が一度だけ鳴った。荷車は揺れず、帆布も跳ねない。
「続けろ」
短い声が落ちる。野道の二人は草に身を沈め、列は緩く進む。
堰の手前で川渡り。班長が声を落とし、順番は静かに回る。水は冷たいが押しは弱い。ひもは肩と腰。杭で一度回し、折りで噛ませ、結びは内へ落とす。
ライアンの番が来る。ひもを指で挟み、石を探す前に重心を前へ送る。踵を半歩引いて向きを戻し、胸で水の勢いをいなす。上着の裾が濡れただけで済む。先頭は葉を二度落とし、流れの速さを確かめ続けた。
「よし」
班長がうなずく。列は歩調を戻し、斜面へ入る。風は細い。陽はまだ弱い。足は刻みを崩さない。荷車の側板は一度だけ鳴り、釘の浮きは指の腹で押し直した。
丘の肩で小休止。水袋を回し、靴ひもを一度締め直す。肩の熱は細く続き、呼吸は静かに整う。帆布の影でひもの毛羽立ちを寝かせ、余りは内へ折った。
午後の課題は運搬。樽を二本、棒で担いで坂を下り、指定の場所で下ろす。膝で受け、腰は折らない。下ろすときは腕を先に抜く。手順は声に出さない。相手の肩の高さで合図を取る。
前を担いでいた二人組が一度よろけ、樽が斜めに回る。ライアンは棒の端を肩で受け、足幅を半足ぶんだけ広げた。重みが安定し、二歩で持ち直す。樽の口は地へ触れない。
監督の兵は顎をわずかに引き、名札を指でコツンと一度叩く。言葉は要らない。割符の板に短い線が一本足された。
夕方、地図の照合。道標の目盛りを紙の線へ置き換え、距離は目印の数で測る。ライアンは指で線をたどり、峠の手前に薄い影を見つけた。
「ここに崩れの跡がある」
短く言うと、副隊長がうなずく。明日の通り道は少し変わるらしい。紙の角が風で持ち上がる。杭の位置を一つずらすだけで、波は小さくなると告げられた。
最後は連携の確認。角笛が二度鳴り、列が一呼吸で左右に広がる。木刀は布のままでも、腰の返しだけは合わせる。止めの位置を低めに統一し、音は短く切る。合図の手は少ない。
訓練は日暮れ前に終わる。荷車は門へ戻り、帆布が半分だけ下ろされた。汗は冷え、指の節は乾く。ひもは結びを残したまま陰に掛けた。
「明日の実戦演習に備えろ。夜は長くするな」
副隊長が告げ、解散の合図を示す。列はほどけ、器の音が薄く続く。
路地の灯りが揺れる。ライアンは靴の釘を確かめ、針で一度押し直す。名札の角は乾いて冷たい。
寝台に横になり、焦げた柄を骨の上でそっと押す。痛みはない。呼吸は静かに落ち、耳の奥で角笛の音が一度だけほどけた。
夜明け前の列は頭の中で整う。足は重くない。目を閉じると、砂の上の裏庭の円だけがはっきり残った。明日の最初の鐘で、歩度は四。間隔は手のひら一つ。準備に抜けはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます